野球と街着 その77

 

本日紹介するのは、カンザスシティ・ロイヤルズのBPジャージです。

 

80年代後半から90年代前半のデザインの復刻版ですが、4大スポーツ復刻ジャージ、ジャケット、ユニフォームといえばここ。というメーカーMitchell&Nessです。

 

左胸のKCのワンポイントが懐かしいデザインですが、左肩にチラリ見える背番号。

 

そう背中は、、

 

 

16番です。

 

 

そう、MLB&NFLの二刀流オールスター選手

ボー・ジャクソン外野手です。

 

BPジャージというとどうしても背番号だけで名前がないスタイルなんで、知らない人から見ると

 

 

ブラジル出身の大リーガー、パウロ・オーランドのファンか?と思われるかもしれませんが、どうしても名前入りのグッズは、ユニフォームになると高価なうえ街着というより観戦応援グッズのようになるし、Tシャツになると殿堂入りクラスでないとなかなか有名プレイヤーの復刻版は出ないですし、お気に入りでも長く着続けられないところもあり、名前入りでないBPジャージでわかる人にはわかるというところがあえて渋いんじゃないかと気に入っております。

 

てことで、コスト的にも品質的にも丁度いいBPジャージ、後に残るファングッズとしても最適ではないでしょうか。

 

 

| ファングッズ | 23:50 | comments(0) | trackbacks(0) | ↑TOP -
ベースボールカードのススメ その128

 

本日紹介するのはおなじみのファミリーネタ。

 

今回は、プレイオフシーズン真っ只中のアメリカン・フットボールと野球の家族を紹介。

 

画像はジャック・カッセル投手。

 

2000年にパドレスの25巡目指名を受けてプロ入りして、2007年にパドレスでメジャーデビューし、翌年FAでアストロズで1シーズンプレー、メジャーでは2シーズン通算成績は先発7試合を含む15試合の登板で2勝2敗、マイナーでは10年プレーして56勝63敗とほぼ先発としてずっとプレーして09年にインディアンズのマイナーでプレーして28歳というキャリアでプレーを終えた選手なので知る人ぞ知る選手となります。

 

ちなみに最後の年は、元ヤクルトのロブロ(現Dバックス監督)監督の下で、大家、小林雅、ハーマン(楽天)、レイ(元楽天)、ペレス(元中日)、チューク(元広島)らと同じチームでプレーするなど、日本にも少しゆかりを感じるキャリアでした。

 

そんなカッセルの2歳下の弟がこちら

 

 

カンザスシティ・チーフスのクォーターバック(以下QB)として活躍、現在はテネシー・タイタンズでプレーしている現役選手のマット・カッセル選手です。

 

大学時代はハイズマン・トロフィーを獲得したカーソン・パーマー、マット・ライナートの控えとして過ごし、2005年のNFLドラフト7巡目と最終順位でペイトリオッツに入団。

 

2008年の開幕戦で今も史上最高と言われるスーパースターのQB、トム・ブレイディーがシーズン絶望の故障をすると代わりのQBとして出場し大ブレイクし、大学でもスターターでないQBがNFLでスターターとしてシーズン活躍した初の選手となり、ブレイディーの復帰と共にチーフスに移籍し、プロボウル(オールスター)選手にもなった異例のスター選手です。

 

ちなみに彼も94年に一塁手としてリトルリーグのワールドシリーズに出場し、04年には大学で1シーズン8試合しか投げていない投手で1打数1三振という打撃成績ながらアスレチックスの36巡目指名を受けるという野球選手としても評価を受けていました。

 

2012年にはカンザスシティで行われたオールスターでセレブリティが集う打撃練習やソフトボールのエキシビジョンでプレーするという野球ともかかわりを持っている一面もありました。彼のおかげでか兄ジャックもメジャーのオールスターのフィールドに関係者として来場する夢のひと時を過ごしてます。

 

更にマットの2歳下にも弟がおり

 

 

ジャスティン・カッセルは、投手として野球をプレー、03年に兄より前に30巡目にアスレチックスから指名を受けるも契約せず大学へ進学し、06年にホワイトソックスから7巡目の指名を受けてプロ入りしました。

 

08年には2Aのバーミンガムで先発として10勝4敗の好成績を挙げました。この年は後に巨人でもプレーしたトーレスやポレダらとローテーションを組んでいました。

10年のワールドカップ、11年のパン・アメリカン・ゲームでアメリカ代表選手としてもプレーしました。

 

しかし最高レベルは3Aでメジャーに昇格なく2012年に独立リーグで27歳にしてキャリアを終えています。

 

野球の世界で大きなキャリアを築くほどではありませんでしたが、アメリカの選手はアマ時代からみんな野球とフットボールをプレーするんだなと改めて思わせてくれるアスリート一家でした。

 

ちなみに長男ジャックは、現在この人。

 

 

クリス・ディッカーソン外野手と環境問題に取り組むアスリートたちの非営利団体を共同経営しているという野球選手というカテゴリに収まらない一面も見せています。

 

実はディッカーソン選手は、数年前来日選手候補としてここで紹介しようかと思ったほど長打力と守備力を備えたいい外野手で、35歳を迎えた昨年もマイナーでプレーするまだ現役の選手です。

03年にレッズのドラフト16巡目指名を受けてプロ入り、高校時代はアメフト、野球に加えてサッカーまでプレーしたというマルチアスリートで08年にメジャーデビューし、5チームを渡り歩きながらとにかくメジャー昇格時に猛チャージで長打をかため打ちするうえ守備もスピードのある面白い選手なんです。

 

14年シーズンを最後にメジャーから遠のいてますが、現役を続けつつ、ジャック・カッセルと共同経営するPlayers for the Planet というこのプロジェクトにも熱心で来日どころではなさそうと紹介を見送った名選手でもあります。

 

レッズのマイナー時代から選手が飲む水のプラスチックボトルをリユースできるアルミボトルに変更したり、オリオールズ時代は自転車で球場入りしたりと環境改善などの社会貢献活動も話題な紳士。

 

マイナー通算15年で常にメジャー傘下のマイナーでプレーし、通算1000試合以上の出場を誇るマイナーリーグ界のレジェンドともいえる名選手です。

 

そんな彼のいとこもプロフットボール界の大物。

 

 

殿堂入りのランニングバック、シーズン最多ラッシング記録を保持し、プロボウル6回選出。

ロサンゼルス・ラムズの永久欠番にもなった80年代最高の選手のひとりエリック・ディッカーソン選手です。

 

フットボールと密接な関係を持つカッセルとディッカーソンという成績的には目立たないメジャーリーガーが起こした運動は、現在MLBとNFLに多くのビッグネームの賛同によりサポートを受け、大きなムーブメントになっています。

 

興味のある方は、是非 Players for the Planet を検索してみて下さい。

 

 

今回は最後にちょっと社会派なファミリーネタでした。

 

 

 

 

 

 

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二刀流 その10

 

本日紹介する二刀流選手は、投手と打者の両方でメジャーリーグでのプレーができるかという期待をされた選手。

 

まさに今、大谷投手が注目されているのと同じ状況下にいた25年ほど前の選手の話です。

 

今回の主役は、画像のクリス・ロバーツ選手です。

 

89年ワールド・ジュニア・チャンピオンシップでアメリカ代表チームの外野手として2本塁打6打点活躍でチームの金メダル獲得に貢献。同年にはフィリーズからドラフト2巡目に指名されるも大学へ進学します。

 

91年には国際大会パン・アメリカン・ゲームで外野手として4本塁打でキューバのキンデラン、グリエル父らと大会トップの成績をあげて大会ベストナインに選ばれると、大学では投手としての才能も発揮、フロリダ州立大で3年時には6完投で8勝4敗、防御率2.34、100イニングを投げて84奪三振という活躍をしながら外野手兼一塁手として打率.300、12本塁打59打点14盗塁とまさに二刀流の大活躍をしていました。

 

そして92年にメッツのドラフト1巡目指名を受けます。当時はバルセロナ五輪の代表チームはアマチュアで構成されていたため、この年にドラフト上位指名を受けた大学生が中心の代表チームがプレー、ロバーツは投手として3試合リリーフとして登板。

 

そう、メッツはコントロールの良さから投手として注目。結局投手としてプロの道で生きていくことになります。

 

 

スピードは平均レベルながらカーブとチェンジアップが効果的で、ブルージェイズやヤンキースで活躍したジミー・キー投手のような投手だというスカウティングの通り、93年、94年とマイナーで二ケタ勝利を挙げて順調にレベルを上げていくも、故障もあり95年頃から調子を落としメッツのトッププロスペクトの評価も薄れていきます。

96年にはベネズエラのウインターリーグでノーヒッターを記録したり、決して投手の能力も低くなかったものの、アスレチックス、ロッキーズ、ブリュワーズのマイナーや独立リーグを転々として、最高は3Aレベルでメジャーリーグの舞台に立つことはできませんでした。

 

結局は、アマの強打者として鳴らした腕前を披露できず、プロ入りから投手の道を選択しましたが投手として打席に立った機会の中では3本の本塁打を放つなど、打撃の腕もまずまずでマイナーでも少しだけ打者で登場したこともありましたが、もう少し早く打者としての挑戦もしてみても面白い選手だったかもしれません。しかし引退後はアマユアの指導者として大学やアカデミーで投手コーチを務めるなど投手の魅力を大きく感じていたのかもしれませんね。

 

さて、、、ここまでロバーツ選手を紹介して、あの選手じゃ?と思ったかた。。

 

そうなんです。マイナーでプレーした際

 

 

同じ釜の飯を食ったのが、、、、

 

 

 

 

 

ジェフ・バリー外野手で、彼の紹介でテストを受けて入団。

 

 

 

 

彼は2000年に千葉ロッテでプレーした経験を持ちます。

 

先発リリーフをこなすいわゆるスウィングマンとして活躍、3勝5敗とまずまずの結果を残すもバリーと同じく1年限りでリリースされています。

 

派手でなく長くもないながら日本にもゆかりあるユニークなキャリアの二刀流選手の紹介でした。

 

 

 

 

| 二刀流 | 14:27 | comments(0) | trackbacks(0) | ↑TOP -
ベースボールカードのススメ その127

 

新年一発目は得意のファミリーネタから紹介です。

 

画像は、アアロン・ホルバート内野手。

90年ドラフト1巡目でカージナルスから指名されてプロ入りを果たした守備力に定評のある内野手でした。

 

入団時からメジャー級と呼ばれた守備は、同じタイプでチームの看板選手でキャリアの晩年を迎えていた殿堂入りの名襲撃手オッジー・スミスの後継者とも見られていましたが、打撃面で苦戦し、スミスの現役最終年度に他チームからロイス・クレイトン遊撃手を獲得したカージナルスにあって出場の機会を失い、96年に1試合だけプレーしてマイナーに落とされます。

 

その後いろいろなチームを転々とし、すっかりベテランとなりそろそろメジャーのキャリアも絶望かと思われた2005年にレッズでメジャー昇格というチャンスに恵まれます。実にメジャーデビューから9年の歳月を経てメジャー初安打をマークしたというマニアックな記録で注目された選手で、翌年06年にレッズからシーズン中解雇されると指導者に転身しマイナーでコーチや監督をしています。

 

ホームラン時代とも言われる時期を守備力だけでは、メジャーの一線では活躍できないことを図らずも証明した代表的選手でした。

 

そんな彼には3歳上の兄がいました。

 

 

それが88年ドラフト3巡目でパドレス指名でプロ入りし、94年にメジャーデビューしたレイ・ホルバート内野手です。

 

同じようなキャラながら95年は開幕時ロースター入りし、サンディエゴに比較的近いトーランス出身でフランチャイズ選手として守備堅め要員で起用されました。

 

しかし弟同様打力はメジャーレベルでは厳しく時々マイナーで打率.300近くでブレイクの兆しを見せるもメジャーは5シーズンで通算45安打と目立つキャリアではありませんでした。

 

もう一人、お正月から渋いファミリーを紹介。

 

 

画像は、ジョー・シダル捕手です。

 

87年アマチュアFAでエクスポズに入団し、93年にメジャーデビュー。

 

その後96年マーリンズ、98年タイガースとメジャー4シーズンで通算74試合しか出場していない渋い控え捕手です。

デトロイトから川ひとつ渡ったカナダ、ウィンザーの出身でフットボールのQBとして奨学金をもらって大学でプレーするもドラフト外でエクスポズ入り、強肩とアメフト仕込みの頭脳で若い投手を引っ張るリードにも定評のある捕手ながら、なかなか渋い選手だと思います。引退後はブルージェイズのテレビ解説を務めています。

 

彼が注目されたのは、

 

93年9月6日のモントリオールでのロッキーズ戦。

 

 

先発投手は、モントリオール出身のデニス・バウチャー投手で、移籍後初登板の先発試合でバッテリーを組んだという試合でした。

(フランス語読みか当時の名鑑ではデニス・ブーシェイ表記でした。)

 

スタメンバッテリーが共にカナダ出身という史上初の試合で、スタメンにカナダ人(ラリー・ウォーカー)が3人プレーした初の試合、更にカナダ人で最初にブルージェイズとエクスポズでプレーした初の選手(バウチャー)といくつものカナダ野球史に残る試合となったのです。モントリオールのオリンピックスタジアムは4万66人という記録的観衆が集まり、試合後のインタビューは2時間45分にも及んだというモントリオールが熱い日だったのです。

 

余談ながらバウチャーは87年にカナダ代表のエースからドラフト外でブルージェイズ入り、インディアンズを経てロッキーズのエクスパンションドラフト指名を受けるもユニフォームを着ることなくパドレスに移籍し、マイナーでのプレーが続き、93年にエクスポズに移籍し地元復帰で9月だけのプレーで3勝1敗、防御率1.91と大活躍しました。94年に調子を落としマイナー降格するとストの影響もあり、表舞台から遠のきました。引退後はエクスポズ、ナショナルズのスカウトやカナダ代表の投手コーチとしてアテネ五輪からプレミア12まで投手陣を指導し、現在はヤンキースのカナダスカウトをしているとのこと。

 

2011年にはケベック州のスポーツの殿堂入りも果たしています。

 

さて話はシダル捕手ファミリーに戻って、彼の息子さんが、、

 

 

2015年アスレチックスからドラフト13巡目指名でプロ入りしたブレット・シダル外野手です。

 

左投げ左打ちということで外野手でプレー、指名後から1Aショートシーズンに始まり3シーズン目を迎えた17年シーズンは1Aアドバンスでプレーし、打率.300、21本塁打68打点と父とは違う強打者としての一面を見せ、マイナー組織内でも注目を集める存在で今後が楽しみな23歳です。

 

 

さて、メジャーリーグファンでも90年代にメジャーでほとんど知られなかったふたり、アアロン・ホルバートとジョー・シダルをなぜ取り上げたのかと言いますと、、、

 

実はこの二人はもうひとつある歴史的な試合で同じフィールドでプレーしたというつながりがあります。

 

それが、、、

 

 

2000年6月1日レッドソックスの3Aポータケットでチームメイトだった大家友和投手の完全試合で一緒にプレーしていたというつながりを持っていました。

 

ポータケットの歴史に残る大家投手の完全試合達成に貢献したホルバートとシダルのファミリーネタという渋くそれでいて日本ともどこか縁を感じる紹介でした。

 

ちなみにシダル捕手は、この試合で現役を引退したというエピソードまで持っています。

 

いやぁ、一見数字だけでは見えないメジャーリーガーの一面が見えてくるベースボールカードの魅力。

これだからカードを集めるのがやめられない。と思っております。

 

またファミリーネタやそれにまつわるネタがあれば紹介します。

 

 

 

| ファミリー | 03:15 | comments(0) | trackbacks(0) | ↑TOP -
本 その84

 

17年最後の一冊は、日本文芸社より出版の『谷繁流キャッチャー思考』です。

 

帯にも書かれてますが、あの野村克也氏を越える歴代1位の3021試合出場を果たした捕手、谷繁元信氏の初の著書です。

 

27年間も捕手としてプレーし、27年間連続本塁打を放った打撃も歴代最長、6度のゴールドグラブに通算2000安打の名球会選手。

 

選手兼監督や所属2チームで日本シリーズ制覇などプロ野球選手でも経験したことがないとか経験者は一握りというようなキャリアを築いてきた同氏の捕手としてプロ野球選手として生き抜いてきた軌跡と取り組んだことをまとめた一冊です。

 

個人的にも草野球でヘボ捕手を努めるため、こういう捕手が書いた本というのは興味津々なわけですが、実用的練習法や捕手の心構え、技術、捕手の面白さ、魅力がこれでもかというほどたくさん記されています。

 

名捕手が減ったといわれる中、どうすればいい捕手になれるのか、また指導者のあるべき姿までに言及する内容は、捕手になりたいプレーヤーや指導者に是非読んでほしいくらいです。

 

個人的に最も心に残ったのは、『キャッチャーは二番煎じではダメ』という言葉です。

 

いろいろ深い内容ですが、途方もない内容に見えないのが絶妙な一冊でした。

 

 

| | 03:03 | comments(0) | trackbacks(0) | ↑TOP -
来日候補2018 その4

 

もう来季への編成もほぼ終わりだろうという時期ですが、最近は契約のまとまりが全体的に遅れたり、シーズン中の緊急補強なんかもありますので、敢えてまだオススメ選手を紹介します。

 

長くならないようサラリと紹介するつもりで、まずは投手からエリック・ジョンソン投手です。

11年ホワイトソックスの2巡目指名を受けてプロ入り、13年の9月には早くもメジャーデビュー、スライダーを武器に5試合先発でシーズン最後の3連勝で期待されました。ちなみにプロ初奪三振はイチロー選手から。

 

その後メジャーとマイナーを行き来するも15年には3Aシャーロットで、リーグの最優秀投手に選ばれてます。

 

メジャー通算7勝10敗で、ジェームズ・シールズとのトレードで16年にパドレスに移籍するも肘を痛めて途中離脱、そのまま今季はマイナー契約も全休となり、FAのため故障の回復リスクはあれど格安の獲得が期待できるかもしれません。

 

 

続いては、アトランタ・ブレーブスで活躍したクリス・メドレン投手です。

 

06年10巡目の低い指名順位ながら09年からメジャーに定着し、11年で肘の故障で手術を経験し、12年のシーズン中から先発ローテに復帰すると9勝0敗防御率0.97の快投を披露。13年にはWBCアメリカ代表候補になるも子供さんの誕生により辞退、しかしシーズン15勝を挙げる活躍を見せました。しかし14年に2度目の肘の手術を受け全休。15年にはリスク覚悟でロイヤルズが獲得し、15試合登板(うち先発8試合)ながら6勝を挙げ、チームのワールドシリーズ制覇にも少し貢献しました。

 

今季も故障の影響からアトランタのマイナー3階級で1年間プレーし、20試合で先発し5勝に終わってますが、メジャー最低50試合以上先発した投手では勝率7割近い驚異的な勝ち運を持つ右腕、何度も故障からカムバックする姿は近年故障者も増加傾向にある球界にとって生きた教材になるかもしれません。

 

先発登板時は試合30分に必ずピーナツバターサンドイッチを食べるなんていうゲン担ぎもユニークで活躍すれば面白い存在かもしれません。

 

 

続いてはロッキーズでプレーしたベン・ポールセン外野手兼一塁手です。

 

09年3巡目ロッキーズの指名でプロ入り、14年にデビューした30歳。

メジャーも含めたすべての階級で11年〜15年まで6シーズン連続で二ケタ本塁打を記録している長打力が売りで、マイナーでは通算95本塁打で3度のオールスター選手に選出されています。今季はツインズに移籍するもシーズン中に解雇されており、年齢的にも大きな契約にならずに獲得できそうな渋い存在ではないでしょうか。

 

 

 

 

続いても外野手でライマー・リリアノ選手です。

 

08年17歳からプロ入りのドミニカンでメジャーでは14年にデビューした26歳。

今期は3シーズンぶりのメジャー復帰でホワイトソックスでプレー。

メジャーではたった59試合ですが、マイナーでは8年で通算打率.272、85本塁打195盗塁とスピードとまずまずのパワーを備えた選手です。マイナーでも1AではシーズンMVP、各階級でオールスターに選ばれ12年にはフューチャーズゲームにも出場する5ツールプレイヤーとして知られてました。長打力がもう少しあればという感じですが、シーズン二ケタは打てるパワーはあり日本ならもう少し伸びしろがあるかもです。

 

今回は、渋い選手ばかりでしたが、またチャンスがあれば、来期以降も見据えて日本向けというかメジャーで埋もれるには惜しい選手なんかを紹介したいと思います。

 

 

 

 

| ひと | 03:11 | comments(0) | trackbacks(0) | ↑TOP -
二刀流 その9

 

本日紹介するのは、野球とフットボールの二刀流です。

 

画像は、T−バックことテレル・バックリー外野手。

 

92年アトランタ・ブレーブスのドラフト38巡目指名を受けてプロ入りし、93年に傘下のメイコン・ブレーブスで1シーズンだけプレーしました。

 

 

というのもフロリダ州立大でコーナーバックやキックオフリターナーとして大学フットボール界のスター選手で、この時はすでにNFLグリーンベイ・パッカーズの選手でした(画像はドルフィンズ時代)。

 

91年に大学フットボール界の最高ディフェンス選手に贈られるジム・ソープ賞を受賞。

 

フロリダ州立大、コーナーバック、ジム・ソープ賞、

外野手、ブレーブス

 

このキャリアの特徴でピンと来た人。。。

 

 

大学の先輩で、同じポジションで88年にジム・ソープ賞受賞、外野手でブレーブス。

 

なんなら

 

 

ユニフォームの着こなしまでディオン・サンダースとよく似てます。

 

まぁ、後輩なんで憧れなんかもあるかもしれませんね。

 

ちなみにバックリーを指名した92年のブレーブスは44巡目指名で

 

 

93年にNFLドラフトでバックリーのグリーンベイ・パッカーズに5巡目指名を受けてフットボール界入りして

のちにジャクソンビル・ジャガーズに移籍してプロボウル(オールスター)選手になったQBマーク・ブルネルを指名していたというフットボール界に目を向けていたチームでもあります。

 

さて、話をバックリーに戻しますが、

 

 

メイコン・ブレーブスでの成績は42試合の出場で打率.196と貧打にあえぎ、1シーズンでリリース。

盗塁9個を記録したくらいがサンダースと同じくスピードを売りにしたイメージですが、6回も失敗していることなど野球選手としては、大成が難しかった様子です。

 

94年には独立リーグで28試合出場し22盗塁を決めるなど野球への意欲はありましたが、ここでも打率.202に終わり、メジャーを目指すには難しい選手でした。ここでプロ野球唯一となる本塁打を1本記録したのがハイライトでしょうか。

 

しかし、バックリー選手はNFLでは、非常に渋い働きを見せて92年から05年まで14シーズンのキャリアを計6チームを渡り歩いて過ごし、13年連続で通算50ものパスインターセプトを見せる名コーナーバックとして活躍しました。

 

01年のペイトリオッツ所属時にはスーパーボウルも1度制覇した経験を持ちます。

 

通算50以上のインターセプトを記録し、プロボウルに選出されていない史上唯一の選手というところが先輩ディオン・サンダースと同じようなキャリアを築きながら対照的な選手でした。引退したのは同じ05年ということでサンダースが9回プロボウルに選ばれたことも考えるとサンダースの影に隠れた名選手ということだったことも否定できません。

 

ちなみにパッカーズの本拠地でタッチダウンを記録するとそのままエンドゾーンから2メーター近いフェンスを駆け上がり客席に飛び込み、ファンにもみくちゃにされながら得点を祝うタッチダウンセレブレーションのランボー・リープという名物があるんですが、一説では最初の考案者が、このバックリーであるとの説もあります。

 

彼がルーキー時代に1度しか記録していないパッカーズでのタッチダウンとその後のこの儀式の流行までの時差的には信じがたい気もしますが、これだけ目立つ要素を持ちながらNFLでも決して大きく目立たないバックリーの存在感がその説の信憑性を高めてくれているのは間違いないところです。

 

ということで今回は知られざる二刀流選手の紹介でした。

 

ふとBGMに河島栄五さんの『時代おくれ』を聴きたくなりました。

 

 

 

| 二刀流 | 10:56 | comments(0) | trackbacks(0) | ↑TOP -
ベースボールカードのススメ その126

 

本日紹介する家族ネタは、渋いバックアップ捕手の話です。

 

画像は、球界で初めてアイスホッケーのゴーリータイプのマスクを使用した捕手、チャーリー・オブライエンです。

 

3度のドラフトで82年にアスレチックスの5巡目指名でプロ入りし、85年から2000年までのキャリア15シーズン800試合に出場し、40歳まで現役を続けた実力者です。

 

メッツ時代の93年には、延長10回で試合を決める本塁打を打った試合が2回あったり、キャリア唯一の盗塁を決めたりとオフェンス面で話題となりましたが、あまり打撃は得意ではなく、リーグでベストのディフェンシブな捕手との評価でした。

 

とりわけ当時の球界最高の投手グレッグ・マダックスが強打のレギュラー捕手ハビー・ロペスではなく、控えであるオブライエンを指名し、パーソナル捕手という役割を確立し、世に広めた捕手でもあります。

 

そんなチャーリーに9歳年下となる弟がいました。

それが、、、

 

 

ジョン・オブライエン内野手です。

 

91年カージナルスの34巡目指名でプロ入りし、3シーズンで最高位1A+までの昇格でリリースされると、94年からは独立リーグのテキサス・ルイジアナ・リーグでプレー。ここでは8シーズンもプレーし、3度の本塁打王、MVP1回、オールスター選出6回とリーグの看板選手としてプレー。99年のシーズン39本塁打は当時のリーグ新記録でした。(翌年オジー・カンセコが48本塁打で記録塗り替え)

 

マイナー、しかも独立系ではありながら兄とは違う強打が売りの選手でしたが、兄の名捕手らしい遺伝子は、リーグ晩年はプレーイングマネージャーとして活かされていたかもしれません。

 

そんなクリスのおい、つまりチャーリーの息子が現在マイナーで奮闘中です。

 

それが

 

 

クリス・オブライエン捕手です。

 

キャッチャーを務め、ホッケータイプのマスクに、オールスター社製のキャッチャーギアに、ずんぐり気味の体格、父親譲りな雰囲気がバッチリのクリスは、89年生まれの28歳で2011年にドジャースの18巡目指名を受けてプロ入り。

 

父と同じ、そしてブルージェイズの英雄ジョー・カーターもプレーしたウイチタ州立大出身、現在はオリオールズ傘下のマイナーで16年、17年と2シーズン続けて2Aと3Aを行き来しているところです。

 

成績を見ると打力も父譲りのようで、ディフェンシブな捕手のようです。

 

あとはメジャーのローテーション投手のひとりにパーソナル捕手として引っ張り上げてもらえることを期待です。

 

ノムさんじゃないですが、捕手の家族ネタって意外に多いんですよね。

また捕手ネタもしてみたいと思います。

 

では!

 

 

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本 その83

 

本日紹介する本は、ポプラ新書から出版の

 

『プロ野球のお金と契約』です。

 

 

筆者は今シーズン引退した大家友和投手。

 

 

高校卒業でプロ野球のベイスターズにドラフトされ入団。

 

自由契約でアメリカ行きを決め、マイナーリーグからメジャーリーグのレッドソックスに昇格。

 

その後、トレードやFAを経てメジャー数球団に所属し、マイナーリーグやメキシカンリーグ、日本のプロ野球に復帰したり日本アメリカで独立リーグに所属したりと、いろいろなリーグ、レベルを経験しており、その時々にいろいろな契約の形があり、それらを紹介しながらプロ野球選手大家友和の野球人生を振り返るといった内容です。

 

日本人メジャーリーガーと言えば、日本のプロ野球で超一流となりメジャーリーグに移籍するタイプが多く、全盛期でメジャー契約で大型の契約を勝ち取り移籍する選手と夢のために日本時代より年俸が大幅にダウンしても挑戦したいという選手が多いイメージですが、マック鈴木、田澤純一、村田透といったマイナーからのメジャー挑戦選手のなかでも最も長く、契約の増減も経験した大家投手の話は、他の選手達とはひと味違う内容に思います。

 

メジャーとマイナーの昇格、降格におけるオプションや2Aや3Aの移動時の服装や交通手段の違い、FA時に求められる選手のタイプや契約交渉の進めかた、選手から開催するトライアウト、マイナー契約招待選手がおかれる厳しい契約の内容などなど、今までのメジャーリーグ経験者から語られる話にはなかったものが多くて、メジャーリーグやプロ野球の面白さが深くなる一冊です。

 

メディアで伝えられる戦力外や解雇、マイナー契約での挑戦という言葉が必ずしもそのままでなくて、その中にチャンスを含むものやものすごく厳しい挑戦であることが隠れている場合があるということ、その契約が実際どんなものななのかが大家投手が経験した実例であることがリアルで読みごたえがありました。

 

プロ野球やメジャーリーグを目指す選手や新人選手への教科書にしても面白いんじゃないかと思える一冊。

 

冬休みの一冊にオススメです。

 

 

 

 

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ベースボールカードのススメ その125

 

ベースボールカードで紹介するファミリーネタ。

 

今回は、今話題のエンジェルスの選手でいきましょう。

 

画像は、90年代エンジェルスのショートでレギュラーを務めたゲイリー・ディサシーナ選手です。

 

88年ドラフト6巡目指名を受け、直後にショートシーズンの1Aベンドで活躍。

2年目の89年には実質プロ初のフルシーズンを2Aのミッドランドで過ごすといきなりオールスター選手になる活躍で広い守備範囲、強い肩、スピードもあり期待され、9月には早くもメジャーデビューを果たします。

 

翌90年は3Aのエドモントンからのスタートで打撃に苦しむも内野のポジションをこなせる便利屋としてまた9月に昇格。

 

当時のエンジェルスは守備のうまいディック・スコフィールド遊撃手がレギュラーでいたものの、トレードで放出した後は、こちらも名手のルイス・ソーホーを起用するつもりでしたが、91年に同じ3Aで劇的に打撃成績がUPして92年からはエンジェルスのレギュラーショートに成長します。

 

それまでは、後の殿堂入り左腕、ブレーブスのトム・グラビン投手と高校のチームメイトだったこと。

 

マサチューセッツ出身で、メジャー定着後引退したNBAボストン・セルティックスのスター選手のラリー・バードに敬意を示して背番号を33番にしたこと。(その後殿堂入りのエディー・マレー入団時に33番を譲りましたが、、)

 

何時もユニフォームを汚してプレーする全力プレー、ポジションの嗅覚と基礎ができていて決して派手なプレーはないが、10年以上も使い込んだグラブで飛行機移動時も自分で機内に持ち込むなどオールドスタイルなショート。

 

という選手でしたが、95年に7度の首位打者経験者のOB、ロッド・カルーが打撃コーチになると打率.300越えで打撃開眼し、野茂投手が先発を務めたオールスターゲームにも選出されました。

 

そんな渋いディサシーナ選手も全力プレーのつけか故障がちになり、2000年シーズン故障離脱でキャリアを終えました。

 

2002年に地元ボストンのマイナーで復帰を目指すもフルシーズンプレーできずに引退しています。

 

実質12シーズンの間メジャーデビューから引退までメジャーではエンジェルス一筋という近年では珍しい選手となりました。

 

そんな彼のファミリーはこちら

 

 

3歳下の弟で91年にホワイトソックスの14巡目指名を受けてプロ入りしたグレン・ディサシーナ内野手です。

 

96年までの6シーズンを傘下のマイナーで過ごし、メジャー昇格はできず最高位は3Aでのプレーでキャリアを終えましたが、兄と同じくショート、あるいはサードを守るコンタクトヒッターでした。

 

キャリアのハイライトは、94年の2Aバーミンガム・バロンズでのプレー。

 

この当時このチームの話題と言えば、この人。

 

 

そう、バスケの神様マイケル・ジョーダンが野球に挑戦していた時期です。

 

チームメイトであるグレンは、当時のジョーダンに関するインタビューで、18歳でプロ入りしてれば4〜5年でメジャーに行けたのではないかという身体能力の高さを挙げていたり、地元セルティックスファンということで、英雄ラリー・バードのほうがシュートがウマイなどと冗談をよく言っていたとのこと。

 

そんなボストン近郊のグレンのキャリアの想い出を聞かれると、オープン戦でこれまたボストン近郊の英雄となるクレメンスと対戦したこと(結果はツーベースヒット)という面白いコメントが残っています。

 

そんなグレンは97年のシーズン前に肩の故障で回復に2年はかかると言われたため26歳にしてキャリアを終えました。

 

引退後は、地元レッドソックスのマイナーで監督を務めていた兄のチームの打撃投手を買って出るなど兄弟と野球の絆は健在。

 

その後、古巣のエンジェルスの特別アシスタントGMやベースコーチを務めた兄ゲイリーは、レッドソックスのベンチコーチになり、今季はシーズン中に息子がメジャーデビューし、試合を休んだファレル監督の代理として指揮をとることもありました。

 

そして18年もメッツにベンチコーチとして招聘されるなど。指導者の道でも渋い活躍を始めています。

 

話的にはオチがあるわけではないですが、話題のエンジェルスからバスケと野球の二刀流ネタ、来季のメッツの新コーチの紹介といった要素を込めたファミリーネタ紹介でした。

 

ではまた。

 

 

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