ベースボールカードのススメ その115

 

お得意のファミリー紹介。

 

今回は話題の助っ人クリス・マレーロ選手です。

 

今季シーズン途中にオリックスに加入し、来日初アーチを放ったものの、ホームべース踏み忘れでアウト。

記録は三塁打となった珍プレーでいきなり話題になった選手です。

 

翌日に今度はしっかり本塁打を打ちなおす当たりもってますね。。

 

88年生まれのクリスは06年ナショナルズの1巡目指名を受けてプロ入り。

同期の1巡目選手には、ロンゴリア、ミラー、カーショー、リンスカム、シャーザー、カープのジョンソンなど錚々たる顔ぶれです。

 

マイナーのほとんどのシーズンで二ケタ本塁打を記録する長打力が魅力で、11年にはメジャーデビューします。

翌年のシーズン定着を目指してドミニカ・ウインターリーグに参加も故障して翌年のスタートが遅れ、マイナー暮らしが続きます。

 

以降オフにドミニカ、メキシコ、ベネズエラなどでプレーし、いろんなチームのマイナーでプレーし、メジャー復帰を目指します。

一時は独立リーグでプレーしていたが、いとこが在籍するレッドソックスのマイナーで昨年プレーし、好成績を残して今季はジャイアンツと契約。13年以来のメジャーでのプレーを経験し、メジャー初本塁打もマーク。

 

同じシーズンにメジャー初本塁打とNPB初本塁打を達成する珍記録を持つことになりました。

 

そんなクリスには

 

 

クリスチャン・マレーロという2歳上のマイナーリーガーの兄がいます。

 

05年ホワイトソックスの22巡目という低い指名順ながらマイナー11年で1100試合以上プレー。

 

アベレージヒッターながら一塁兼外野というところで長打力が弟ほどないのが昇格できないところかもしれません。

弟同様ウインターリーグに参加するなど経験値は高く、今季はメキシカンリーグでプレーしてます。

 

 

もともとこのマレーロ兄弟を取り上げようとネタを準備していたのは、ふたりの叔父さんに当たる元メジャーリーガーが有名であったことでした。

 

 

カージナルスの正捕手といえば、モリーナ、その前がマシーニ監督、その前に努めたのがマレーロ兄弟の叔父さんイーライ・マレーロ選手だったのです。

 

キューバ出身の選手ということで以前紹介したので細かいキャリアの紹介は割愛しますが、ロッキーズ時代に松井稼頭央選手とのトレード相手だったということで稼頭央選手のワールドシリーズ進出に影ながら貢献したという日本に無理やりのご縁を紹介。

 

更に現在、彼の息子も学生でアメリカ代表に招集される捕手になってます。

 

 

イライア(と発音するのかな?)選手です。

15年にレッズの29巡目ドラフトを受けるも入団せずミシシッピ州立大でプレーしてます。

子供の頃ブッシュスタジアムで打撃練習をして遊んでいたなど、いずれメジャーの世界に来る日も近い気がしますね。

 

そしてイーライのもう一人の甥っ子で、クリスとクリスチャンのいとこにあたるのが、

 

 

現在レッドソックスで故障のペドロイアに変わりプレーしている

デベン・マレーロ内野手です。

 

クリスの2歳下の90年生まれで、09年レッズの17巡目指名を受けずに大学球界の名門アリゾナ州立大でプレーし、

1年時からから活躍。大学のアメリカ代表にも選ばれています。

 

 

マレーロ家の血筋か強肩で守備がうまく、大学球界1の名遊撃手として鳴らしました。

同じころの代表には、マイケル・ワカ、ケビン・ガウスマン、マーカス・ストローマンなど、すでにメジャーで活躍している投手もズラリと並びます。

 

走塁とコンスタントな打撃も向上をみせ、12年ついにレッドソックスからドラフト1巡目の指名を受けてプロ入りしました。

野手としては92年のスコット・ハッテバーグ以来となるドラフト指名後最初のキャンプでメジャーキャンプに参加したことなどからかなりの有望株という評価でした。

 

まだメジャーで活躍できる攻撃力があるかを判断するには早いかもしれませんが、守備力でチャンスを掴み経験値から打力向上があるとチームの中心になれるかもしれないですね。

 

マイナーの指導者(イーライ)

大学球界のプレー(イライア)

NPBでのプレー(クリス)

メキシカンリーグでのプレー(クリスチャン)

MLBでのプレー(デベン)

 

各リーグで活躍が観れるチャンスありの楽しみなマレーロ一家でした。

 

 

 

 

 

 

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ベースボールカードのススメ その114

 

メジャーリーガーの家族ネタは、カードを集めだすと尽きることなく続きますね。

 

日本球界とのつながりや知られざる選手の親子、兄弟、親戚関係、他のスポーツとのつながりなどさまざまで、選手名鑑やネット情報でカバーできないものもあり、カードコレクターのコレクター心にも燃料を注いでくれます。

 

さて、画像はオールドファンの知る選手、個人的にも生まれる前に活躍した助っ人選手なんでカード他を調べた選手です。

 

埼玉西武ライオンズの前身である太平洋クラブライオンズで73年に入団し、日本で4年間プレーしたドン・ビュフォード外野手です。

ホワイトソックスとオリオールズで主力として、10年のキャリアを誇りオールスター選手になったメジャーリーガーで、来日後も開幕戦サヨナラ本塁打、バットを折りながら本塁打を放ったなど、170Cmという小柄な体格ながら力強い打撃で語り草になり来日2年目にはベストナインに輝き日米オールスター選手になったという、助っ人として存在を示した選手でした。

 

そんな彼の息子が、

 

 

90年のドラフトで父の活躍したオリオールズからドラフトされ、93年にはメジャーデビューを果たしたデイモン・ビュフォード外野手です。

 

サザンカリフォルニア大では、ブレット・ブーンやジェフ・シリーロといった後メジャーリーガーらとプレー。

マイナーではシーズン64盗塁をマークするなどスピードと守備力を買われメジャーに昇格してきました。

 

期待の存在でメッツとのトレードでは、オールスターのボビー・ボニーヤの交換相手になるなど期待値は高いものの、本塁打全盛時代のムーブメントの中で、第4の外野手のポジションに落ち着きはじめますが、2000年のカブスに移籍すると開幕戦においてメジャー史上シーズンで最も早く(3月29日)、北米以外(日本)で安打をマークした最初の選手という記録を残すということで、日本との縁を感じる選手でもありました。このバットは野球殿堂に届けられたということです。

 

その他このシーズンは4月27日には、1回に先発投手(ホゼ・リマ)から4人の打者が本塁打を打ったという偉業のひとりに入るなど、キャリア最高のシーズンを送るも翌年のスランプからあっさり解雇されるとメジャーに復帰することなくキャリアを終えました。9年間の通算成績が、打率.242、54本塁打、218打点、56盗塁と得意のスピードを活かせきれずの成績ながら本塁打については、野茂、伊良部と言った日本人投手からもマークしており、日本でプレーする機会があっても良かったと思える選手でした。

 

マイナーでは、コーチと選手という間柄でオリオールズの組織にいたビュフォード親子。

実はデイモンの4歳上に兄がいて87年のドラフト外でこれまたオリオールズのマイナー選手として4シーズンプレーしたのが、、

 

 

ドン・ビュフォードJr.選手です。

 

1Aヘイガースタウン・サンズでシーズン77盗塁も記録したものの、チームごと2Aになった89年から2年間、打率も2割に満たない状況が続きキャリアを終えました。

 

彼のハイライトは、89年マイナーのイースタンリーグでダイヤモンド・ディプロマシー・ツアーと称してソビエト連邦(現ロシア)ナショナルチームとのエキシビジョンゲームと野球クリニックツアーのリーグ代表選手に入ったことでしょう。

 

またここで、イースタンリーグ選抜にいたメンバーには、後にメジャーの監督となるトレンブリー、バニスターらが参加してます。

日本に縁のあるメンバーと言えば、、

 

 

85年、阪神の日本一に貢献したリッチ・ゲイル投手が投手コーチとして参加。

 

 

また、イチロー、田口、長谷川ら後の日本人メジャーリーガーらとオリックスでチームメイトとなったトロイ・ニール選手も参加していました。

 

少しこじつけ感もありますが、歴史や日本野球と関わりあるビュフォード家族の紹介でした。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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ベースボールカードのススメ 113

最近多い家族ネタです。

 

今回はバスケットボールと野球のつながりを。

 

 

90年代NBAブームの頃をご存知のかたには懐かしい選手ではないでしょうか?

KJことケビン・ジョンソン選手です。

 

フェニックス・サンズの永久欠番、背番号7番を背負い、オールスター3回、歴代平均アシスト5位に入るポイントガードで、ドリームチーム兇砲眩ばれました。引退後は地元サクラメントで市長を務めるなど人格者としても知られるスター選手でした。

 

実は彼は86年にオークランド・アスレチックスから23巡目指名を受けてたった2試合ながらマイナーリーグのモデスト・アスレチックスでのプレー経験があります。

ドラフトを受けてすぐの86年シーズン、20歳の頃でショートとしてプレー、打撃は2打数2三振、守備は4度の守備機会で1エラーと言う成績に終わるとあっさり野球から離れ、87年のドラフトでNBAのクリーブランド・キャバリアーズに指名されバスケットの道に進みます。

 

そんな二刀流ともいえる彼のいとこがMLBでプレー。

 

それが、

 

 

ドナルド・ビール投手です。

 

2005年カブスの2巡目指名でプロ入り。

高校時代は1試合19奪三振を記録したという注目選手で、2003年にもホワイトソックスからドラフトされた左腕でした。

 

ドントレル・ウィリスと比較される左腕でマイナー時代はイニングと変わらぬ三振を奪うものの、四球とワイルドピッチも多いというコントロールに課題があったためメジャー昇格に時間がかかるも2008年オフのルール5ドラフトでパイレーツに指名され翌年メジャーデビュー。

 

やはり課題のコントロールの問題からか19試合で1勝0敗の成績ながら16イニングで16奪三振も四死球22個ワイルドピッチ2という成績でマイナーに逆戻り。

 

故障もあり低迷するも2012年にホワイトソックスでメジャー復帰、中継ぎとして50試合登板したシーズンもありましたが、2015年にアトランタからリリースされると、独立リーグとウインターリーグでプレーして2016年レンジャースのキャンプに参加し再起を目指したものの、メジャーに残れずキャリアを終えています。

 

一見地味なメジャーリーガーながら、いとこが他のスポーツや政治界の超大物なんてこともあるので、あまり知らない選手のカードを引き当てたら掘り下げて調べてみるのも面白いですね。

 

 

 

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ベースボールカードのススメ その112

ゴールデンウィークということで、里帰りのかたもいるかもしれないですね。

 

さて恒例のファミリーネタの紹介です。

 

マニアックなファミリーネタ増えるとともにちょっと世代的にどのファミリーメンバーも知らないという人もいるネタを自己満足で紹介しておりますが、今回は旬な話題をなんとかということで、今シーズンメジャーデビューを果たした家族ネタで行きましょう。

 

 

ジェイコブ・メイ外野手です。

 

13年のドラフト3巡目でホワイトソックス入団。

今季初めて外野の控えながら開幕ロースター入りを果たした俊足スイッチヒッターと言う新鋭ですが、今現在30打数1安打で自慢の足も披露できない状況です。

 

プレミア12でもアメリカ代表としてプレーしていたので記憶している日本のファンもいるかもしれません。

 

彼の祖父がメジャーキャリア18年のスター選手。

 

 

リー・メイ選手です。(左側)

 

ナ・リーグオールスターに3度選ばれ、打点王1回、ボールが飛ばない時代といわれた60年代から70年代にプレーして通算354本塁打をマークしたスラッガーでした。

 

画像右側のカルロス・メイは、リーの弟でホワイトソックスを中心に10シーズンプレーし、2度のオールスターに選ばれた強打の選手。しかも78年から81年まで日本の南海ホークスでプレーし、3年連続打率3割をマークし日米でオールスター選手になりました。

 

兵役中に右手親指の第一関節を欠損するというハンデをものともせず大活躍した話題や5月(メイ)17日生まれで背番号17を好んで着けたなど話題の多い助っ人は、ホークスの歴史に残る名選手として知られています。ちなみに現在開催の大阪クラシックシリーズの南海ユニフォームにも袖を通した経験ありというタイムリーな話題もあります。

 

そして、地味ですがリー・メイの息子でジェイコブ・メイの父親が、、、

 

 

リー・メイJr.外野手です。

 

86年にメッツのドラフト1巡目で入団するも8年マイナーでプレーし、3Aまででメジャー昇格ならずキャリアを終えました。

 

長打力のスラッガーの父と俊足の息子の中間のような存在で、メジャーではプレーできなかったものの、マイナーで苦労した経験が活かされ現在もマイナーリーグで打撃コーチを務めています。

 

3世代プロ野球選手として名門一家となるか?

今後のジェイコブのブレイクに期待です。

 

続いては、こちら

 

 

ドミニカ出身、メジャーリーグ11年のキャリアで8球団を渡り歩いたユーティリティプレイヤー。

 

エミリオ・ボニファシオ選手です。

 

内外野を守り、20盗塁以上のシーズンが5回とベンチにいてくれると非常にありがたい存在で、プレイオフを狙うチームがシーズン中に獲得したり、一度放出されたチームに戻ったりと言う重宝される存在です。

 

64番の背番号を3球団で着用しているという珍しい選手です。

近年は時にマイナーも経験するも今季もブレーブスにしっかり復帰してます。

 

そんな彼の弟が今年メジャーデビューしました。

 

 

それが、ホルヘ・ボニファシオ外野手です。

 

2010年に17歳からマイナーでプレーし、3度のマイナーチームMVP、

4度もマイナーオールスターに選ばれ強打の外野手へと成長。

 

ラインドライブマシンなどと言われ長距離打者とは言えないですが、マイナーでも2桁の本塁打を記録し、1試合4打点の試合をシーズン3度マークするなどの勝負強さも買われています。

 

デビュー戦では、オールスター3回、08年ワールドシリーズMVPのハメルス投手相手に3打数ノーヒットに終わるも2日後の試合では3番センターで出場し、ダルビッシュ投手相手にメジャー初安打を本塁打で飾りました。

 

インパクトある打撃でメジャー定着を目指す注目選手です。

 

 

さて、最後は新人王候補の呼び声高い選手。

 

 

25日にデビューしたばかり、13年ドラフト4巡目でドジャース入りした

 

コディー・ベレンジャー一塁手です。

 

プロデビュールーキーリーグで苦戦したと思いきや14年には打率3割、15年、16年のシーズンには2A、3Aと場所を移し、2年連続30本塁打以上をマークする長打力を発揮、今季も3Aで18試合で5本塁打の爆発を見せると、外野手のピーダーソンやグティエレスが、ケガによる欠場をした代わりとしてレフトでメジャーデビュー。早くも初安打をマークするなど上々のスタートを切りました。

 

絶対的レギュラーのゴンザレスがいるものの、早くも楽しみな存在です。

 

そんな彼の父親がこの人です。

 

 

99年〜02年と3シーズンヤンキースでプレーした

クレイ・ベリンジャー選手です。

 

89年ジャイアンツのドラフト2巡目指名でプロ入り。

マイナー10年、30歳にしてメジャーデビューし、内野の控えでユーティリティープレーヤーとして活躍。

 

99年00年と2年連続ワールドシリーズ制覇ながら99年は出場なし、00年は4試合で打席なしでチャンピオンリングを手にしており、伊良部投手もロースターに残れなかった当時のヤンキースの層の厚さの中でも最も幸運な男ともいうべき存在で、日本のファンのかたも記憶している人がいるかもしれないですね。

 

そんなクレイ・ベリンジャーのキャリアハイライトは、04年アテネオリンピックの代表としてプレーしたことでしょうか?

しかも当時マイナー選手で構成された同大会でニューヨーク生まれのアメリカ人ながら地元開催と言うことで、なかば無理矢理に構成されたギリシャ代表の選手だったというオチです。

 

当時のギリシャ代表では、17年WBCカナダ代表だったジョージ・コッタラスや現在ブレーブスでレギュラーを務めるニック・マーケイキス外野手が投手としてプレーしていたなどなかなか異色のチームでした。

 

 

そんな異色キャリアのベリンジャーですが、04年を最後に引退し、アリゾナでリトルリーグのコーチを務め07年にはリトルリーグワールドシリーズにチームを連れていきます。その時の中心選手が息子のコディーだったとのこと。

 

親子2代名門でのプレーだけにワールドシリーズ優勝リングを持てるチャンスが訪れるかも注目ですね。

 

 

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ベースボールカードのススメ その111

WBCに関連した得意のファミリーネタの紹介です。

 

 

まずはオランダからオリオールズのセカンドとして活躍中のジョナサン・スコープ選手。

 

前回大会で活躍しシーズンにメジャーデビュー。

16年には全試合出場でシーズン初の20本塁打越え(25本)で中心選手になり、また大会に帰ってきました。

 

 

同じチームのロースターに在籍するのは兄のシャローン・スコープ内野手です。

 

いち早くジャイアンツ傘下でプロ生活をスタートするも現在は弟と同じオリオールズ傘下のマイナーでプレーしています。

今大会は、弟をはじめシモンズ、ボガーツ、プロファー、グレゴリアスとメジャーで活躍する内野陣がガッチリ中心選手となると思われますが、兄弟での活躍があれば楽しみです。

 

そのオランダから

 

 

第1回からWBCに出場するだけでなくオリンピック、ワールドカップ、プレミア12と国際大会のオランダ代表に欠かせない存在となっているディエゴマー・マークウェル投手です。

 

ブルージェイズ傘下のマイナーでプレー経験があるのは03年まででオランダーリーグで長くプレーするベテラン投手です。

 

実は彼のいとこは、、

 

 

日本のファンにもおなじみの楽天の日本一に貢献したアンドリュー・ジョーンズ選手です。

今回はコーチとしてオランダチームに参加。

 

オランダもベテランと若手のバランスが良く今大会が楽しみなチームです。

 

その他、コロンビア代表からは、、

 

 

イチロー選手のチームメイトとしてマーリンズでプレーしたドノバン・ソラーノ選手です。

控えながらメジャーで定着していたものの、16年には大半をヤンキース傘下のマイナーでプレー。

しかしマイナーでは打率.300を越えて打力向上が期待されます。

 

 

 

兄のジョナサン・ソラーノは、12年にナショナルズで控え捕手としてプレー。

15年にはマーリンズで兄弟揃ってメジャー在籍経験もありますが、また16年にナショナルズ傘下でメジャー復帰を目指してプレーしています。

 

あまり野手陣にビッグネームのいないチームでは、主力となると思われます。

 

 

またプエルトリコからは、、

 

 

3兄弟がすべてメジャーで活躍した捕手として有名なモリーナ兄弟の三男ヤディアー(左)が前回に続き参加し、次男のホセはコーチとしてチームに帯同する予定です。メジャー最高の捕手の呼び声高いヤディアー・モリーナの強肩は今大会も注目ですね。

 

さて、プエルトリコ球史に残る名選手、将来の殿堂入り候補のこの人。

 

 

16年にはメジャー19年目で9度目のオールスターに選出され通算400本塁打300盗塁をマークする万能選手カルロス・ベルトラン外野手です。プエルトリコ代表の中心選手としてこの大会の成功を支えている選手です。

 

彼のいとこが同じチームで参加です。

 

 

13年にパドレスでデビューし、16年はロイヤルズでプレーし、今季からダイヤモンドバックスに移籍したレイモンド・フエンティス外野手です。まだまだメジャー定着の存在ではありませんが、今大会でブレイクすれば面白い存在です。

 

その他、イタリアでは

 

 

こちらもイタリア代表の常連となったドリュー・ブテラ捕手。

 

日米野球にも来日経験がある控え捕手ですが、ツインズ時代のリリアーノとドジャース時代のベケットと2度のノーヒッターの捕手を経験したほか、強肩から度々ワンサイドゲームでマウンドに上がり、その剛速球で話題を呼ぶ名物捕手です。

 

今回父親のサル・ブテラがコーチとして帯同します。

 

 

彼の父親も80年代にメジャーで活躍した控え捕手。

 

実は息子ドリューと共通点のあるメジャーのマウンド経験があり、更に息子が15年にロイヤルズでワールドシリーズ制覇。

父も87年にツインズでワールドシリーズ制覇と親子でチャンピオンリングを持つ野球一家です。

 

そのイタリア代表にはもうひとり

 

16年9月にメジャーデビューしたばかりの

 

 

ギャビン・セッチーニ内野手です。

 

いかにもWBCというアマ時代にアメリカ代表になっていたアメリカ人です。

もちろんブテラ親子もニューヨーク出身のアメリカ人ですが、そこらへんは家族のルーツというアバウトな参加基準。

 

 

兄はレッドソックスでプレー経験のあるガーリン・セッチーニ内野手。

 

兄8本、弟2本のメジャー通算ヒット数ながら代表入りは弟のみ。

同じマイナーのパシフィックコーストリーグで打率3割越えをマークした弟を選んだ目が正しいか?

注目してみましょう。

 

最後はイスラエルでプレーする

 

 

アイク・デービス選手です。

 

ユダヤ系アメリカ人選手のチームなので、侮れないチームですがメジャー30本塁打を放ったシーズンのあるアイク・デービス選手は以前も紹介しましたが、父親がヤクルトでもプレーしたロン・デービス投手です。

 

各チーム意外に多いファミリーネタ。

WBCの違った楽しみ方としての小ネタでした。

 

 

 

 

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ベースボールカードのススメ その110

 

本日紹介するのは、ドミニカ出身の野球一家。

 

まずは、名将フェリペ・アルーからの紹介です。

 

ドミニカ人初のメジャーリーグ監督として92年途中からモントリオール・エクスポズを率いて、94年にはストライキによりワールドシリーズも中止となったシーズンにナショナルリーグで首位を走りファンの間でも幻のエクスポズ最強時代と言われたチームを指揮し、最優秀監督賞を受賞。その後ジャイアンツやWBCドミニカ代表監督など輝かしい指導者キャリアを誇ります。

 

 

そんな彼の息子が、オールスター6回、シーズン30本塁打3回、100打点5回をマークした強打者モイゼス・アルー外野手です。

 

17年のメジャーキャリアで通算332本塁打、1287打点、2134安打を放つ強打はもちろんのこと、94年オールスターでのサヨナラ安打、マーリンズ創設初のワールドシリーズ制覇、カブスのヤギの呪いが再注目されるあのファールボール事件など数字以上にインパクトのあるキャリアで記憶にも残る名選手でした。

 

背番号18の外野手、バッティンググラブを使わない、親子で監督選手の関係など、本当に話題の豊富なモイゼス。

 

現在はパドレスの育成部門で指導者の道に進んでいます。

 

さて、ここまでは知ってますよ。と言うファンも多いでしょう。

 

では時代を戻して。。。。

 

 

若き日のフェリペに目を向けると、、

 

1958年にメジャーデビューを果たした際、ドミニカ出身選手として史上2人目でした。

その2年前にデビューしたのが、、

 

 

オジー・バージル選手でした。

ニューヨーク・ジャイアンツでデビューしたバージルは、初のドミニカン・メジャーリーガーながら14歳の時にアメリカに移民として来ており、アメリカ育ちということもあり、フェリペ・アルーこそ初のドミニカン・メジャーリーガーという声もあります。

 

ちなみにバージルはチームのサンフランシスコ移転に伴いデトロイトに移籍し、アルーのデビューイヤーにはチームメイトとならず、デトロイト・タイガース初の黒人選手としても歴史に名を刻みます。9シーズン、プレーするも内野、外野、捕手とユーティリティ・プレーヤーとして活躍。通算800近い打数でわずか34四球と積極的な打撃が特徴の選手だったようです。

 

余談ながら

 

 

バージルの息子、オジー・バージルJr.も80年代にフィリーズやブレーブスで活躍し、オールスターに2度選ばれシーズン20本塁打以上を1度マークするなどメジャー通算98本塁打のパンチ力が魅力のキャッチャーとしてプレーしました。

 

90年にはシニア・リーグで父と監督選手の関係でプレー、そして数少ないシニア・リーグからのメジャー復帰を果たした選手でもあります。

 

 

話がそれましたが、、

 

フェリペもキャリア17年で通算2101安打をマーク、シーズン最多安打、オールスター選出の経験もある名選手でした。

 

そんなフェリペの3歳下の弟が

 

 

マティ・アルー外野手です。

 

オールスター2回、66年には首位打者も獲得(ちなみに2位がフェリペ)、ワールドシリーズ制覇と輝かしいキャリアを誇り、フェリペも打撃技術が最も優れた兄弟がマティだという巧打者で、通算1777安打をマークし、晩年には日本の太平洋クラブ・ライオンズ(現在の埼玉西武)で74年から3シーズンプレーしました。

 

 

更に、フェリペが兄弟で最もプロフェッショナルとたたえたのが、7歳下になる

 

 

ヘスス・アルー外野手でした。

 

メジャーで15シーズンプレー。マイナー時代に投手から外野に転向し通算1216安打をマークしました。

 

そしてこの3兄弟が持つメジャー史上唯一の記録が同じ試合で外野手3人が、アルー兄弟で占められたというもの。

末っ子ヘススは、エクスポズのスカウトを経て、レッドソックスのドミニカのアカデミーのディレクターをしているとか。

 

バージルの余談はさておき、アルー3兄弟についても日本でマティがプレーしたこともあり、知られた話ですが、、

 

実はフェリペの息子モイぜスにも兄弟がいまして、、、

 

 

モイゼスの3歳上の兄、ホセ・アルー外野手です。

 

87年〜89年にエクスポズのマイナーでプレーしました。

3シーズンの通算成績は、打率.255、10本塁打88打点とまずまずながら、メジャー昇格はならずマイナーリーガーとしてキャリアを終えています。88年から2シーズンは父フェリペが監督を務めるチームに所属、元中日のパウエルやステアーズなどもチームメイトとしてメジャーを目指した仲でした。

 

更に、モイゼスと離れること12歳下の弟がいます。

 

 

フェリペ・アルーJr.外野手です。

 

97年エンジェルスの12巡目、98年ロイヤルズの42巡目と2度のドラフトでプロ入り。

キャリアは98年〜01年とこちらも短命のマイナーリーガーとしてプレーを終えました。

 

初年度の2本塁打がキャリアハイでパワーが足りないとの評価ながら3Aでプレーも経験してます。

 

たった1シーズンのしかも途中で消滅した幻の独立リーグであるカナディアン・ベースボールリーグでプレー経験もあります。

元近鉄の真木、元阪神の部坂といった投手らも同リーグでプレーしたという、渋いエピソードも思い出させてくれるキャリアのフェリペJr.は、引退後はオリオールズのドミニカ国内のコーディネーターの仕事もしていたようです。

 

当たり前ですが、こうやってベースボールカードで見ると改めてみんな面影があるというか、似てますね。

 

忘れちゃいないか?とここで思うメジャーファンは流石の一言。

 

実は、アルー一家の苗字は本来はロハスなんですが、母方の苗字のアルーを最初に表記されたのを機にアルーを名乗っていたフェリペからフェリペJr.までのアルー家。

 

実は、ホセとマイナーでチームメイトとしてともに汗を流し、メジャーではモイゼスと共にプレー、フェリペ監督の下でプレーした投手がいます。

 

 

それが、フェリペ、マティ、ヘススの甥にあたり、ホセ、モイゼス、フェリペjr.のいとこになるメル・ロハス投手です。

 

メジャー10シーズンで通算126セーブを挙げた抑え投手で、マリアノ・リベラの師匠とも言うべきジョン・ウェットランド投手の後を受けてエクスポズのクローザーになった90年代に活躍した投手です。

 

カブスやメッツで活躍するとメキシコ、独立リーグ、台湾でもプレーするという長いプロキャリアを誇る名投手でした。

 

 

いやぁ、アルー一族はなかなかの名家でしょ?

 

 

 

まだ終わらない最後のネタは今話題の17年WBCですよ。

 

前回覇者ドミニカの代表ロースターに彼の名が、、、

 

 

メル・ロハスJr.外野手です。

 

2010年パイレーツの3巡目指名でプロ入りし、現在は3Aレベルまで到達。

パイレーツが10巡目までで指名した唯一の野手と言う期待のロハスJr.の武器はスピードとセンターの守備と言われてましたが、プロ入り後はそれほどマイナーでも盗塁数が伸びず、徐々にパンチ力がつき本塁打が二けたになってきているという状況。

 

昨シーズンにブレーブス傘下に移籍しているので、再建中のチームの期待の選手として今年のデビューもあるかもしれません。

 

まずはWBCドミニカ代表でそのプレーを見せてもらいたいと思います。

 

 

 

久々の投稿で長々と書いてしまいました。

まだまだ続くファミリーネタ。

 

次回をお楽しみに。

 

 

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ベースボールカードのススメ その109

 

早いもので、2017年も明けてあっと言う間に1月も中旬ですね。

 

久し振りのカード紹介は、時の経過の早さに合わせてスピードのあるファミリーネタでいきましょう。

 

画像は79年ヤンキースのドラフト1巡目指名を受け、83年のメジャーデビューから17シーズンで通算620盗塁を記録。

90年代に最も盗塁をした選手と言うオーティス・ニクソン外野手です。

 

1試合6盗塁のメジャータイ記録、50盗塁のシーズン5回、95年にはシーズン最多シングルをマーク、マイナーでは通算450盗塁。

マイナー時代は131試合で108盗塁を記録するなどスピードが売りの選手で、現役最後の40歳になるシーズンも26盗塁をマークしたという歴史に残る俊足選手でした。

 

97年には野茂投手ともドジャースでプレーしたので、記憶のファンもおられるかもしれませんね。

 

そんな彼の2歳下の弟が、、

 

 

80年シアトル・マリナーズから10巡目指名を受けてプロ入り。

ドネル・ニクソン外野手です。

 

ちなみに顔も兄弟というソックリさ

 

 

 

兄に負けじと弟ドネルも足が売りの選手でマイナーでは、82年に116試合で85盗塁、83年には135試合で145盗塁、84年には140試合で102盗塁とずば抜けたスピードを発揮し、期待されるも85年のキャンプでフェンスにぶつかり骨折し、回復に18か月かかるとの診断で87年にようやくメジャーデビューし、46試合で21盗塁としっかりアピールしました。

 

翌年はシーズン序盤のジャイアンツとの後日発表選手と言う扱いでシーズン中に移籍し、そこでメジャーでプレー88年、89年はジャイアンツでプレーオフにも出場する外野の控えと言う感じで、俊足巧打でリーグ屈指の一番打者ブレット・バトラーの壁や内野からコンバートされMVPに輝いたケビン・ミッチェルなどの活躍もありレギュラーになりきれず、オリオールズ、インディアンズのマイナーに渡り93年でキャリアを終えました。

 

マイナー通算460盗塁と兄弟でのメジャーマイナー合わせてのプロ野球選手としての盗塁数1580は驚異の数字です。

 

 

 

続いての俊足選手は、少しマニアックですが、、、、

 

96年パイレーツの5巡目指名でプロ入りのタイク・レドマン外野手です。

2004年、2005年にパイレーツ暗黒時代の1番センターという感じのポジションで、メジャー6シーズンの通算打率.281、40盗塁という成績は立派ながら、目立った活躍なく独立リーグやメキシカンリーグでプレーし、キャリアを終えています。

 

メキシコでは元ダイエーのバルデスや元日ハムのアブレイユらとも一緒にプレーし、初年度は6月まで打率4割越えで.355のハイアベレージをマーク、メジャー、マイナー、独立リーグ、メキシコやウィンターリーグを含めると通算341盗塁も記録した足が売りながら、メジャーではブレイクできずに終わった印象の選手でした。

 

そんなタイクの2歳下の弟が、、、

 

 

メッツのプロスペクトで兄より早く2003年にメジャーデビュー。

 

マイナーで通算130盗塁をプロ入り後4年で記録するも、兄に負けない打撃力とパワーも加えた存在でデビューイヤーは、馬連陳監督退任後地区最下位に沈んだシーズン終盤ということで最後の一か月近く起用されます。

 

キャリア15試合でしたが、フィリーズ戦の9回1点ビハインドの場面で抑えのホセ・メサからメジャー初となる同点本塁打を放ち、大きな話題となりました。しかし、その後長打に魅せられたかマイナー暮らしが続き、08、09年とマイナーで20本塁打を超える長打を発揮するも2010年に禁止薬物使用で50試合、100試合と相次ぐ出場禁止処分を受けて、その後は主に独立リーグでプレー。

2011年には兄のタイクとメキシカンリーグでチームメイトとしてプレーするもメジャーの舞台では大きな活躍なく、知る人ぞ知るマニアックな兄弟プレーヤーというレドマンファミリーでした。

 

最後は旬の俊足親子で行きましょう。

 

 

ロックの愛称でエクスポズ(現ナショナルズ)の永久欠番にもなり、メジャー通算808盗塁、首位打者1回、オールスター7回、オールスターMVP1回、盗塁王4回と記録し、つい先日に資格獲得から失効まで期間ギリギリとなる2017年度の野球殿堂入りを決めたティム・レインズ外野手です。

 

80年代のスーパースターながら、90年代も長打力もついたバリバリのレギュラーとして活躍し、日本人選手デビュー後もメジャーリーグを見続けたファンにも印象的な選手のひとりだと思います。

 

余談では耳あてなしのバッティングヘルメットを使用した最後の選手なんてエピソードも持ってます。

 

70年代、80年代、90年代、2000年代と4つのディケード(10年間)でプレーし、盗塁をマークしたという歴史上4人しかいない選手のひとりであり、2000年には一時オリンピックのアメリカ代表入りを目指してメジャーから引退し、代表トライアウトに参加するもロースターに残れず、現役復帰をするなどチャレンジと野球への情熱はさすがの殿堂入り選手と言うところでした。

 

今回の殿堂入りではエクスポズの帽子をかぶった最後の殿堂入り選手になるか注目ですね。

 

さて、このレインズでもうひとつ大きな話題になるのは、

 

 

息子のティム・レインズJr.選手です。

 

2001年にメジャー史上2組目となる親子が同一チームで同じ試合でプレーしたという歴史を作りました。

22歳と言う若さでデビューしたものの、メジャーには定着できずキャリアを終えています。

オリオールズのマイナーがオタワと言うこともあり、図らずもカナダのプロチームで活躍したという共通点はあったかもしれません。メジャーでは打力が発揮できず通算10盗塁でしたが、マイナーではメジャー昇格のきっかけにもなったシーズン81盗塁なども含む通算454盗塁を記録。足は父譲りの実力でした。

 

 

 

さて父と共にプレーした記録的なシーズンの余談を少し。

 

オリオールズはカル・リプケン現役最後のシーズンながらチームはプレイオフ圏外の下位に低迷したこともあり、シーズン終盤にエクスポズから父親の契約を買い上げ、大きな話題を集めました。史上初のグリフィー親子のように同じ試合でアベックホームランなんていう離れ業はなかったものの、10月3日に息子スタメン2安打、父代打で無安打1打点という内容でした。

 

ブルージェイズ相手に地元ボルチモアで行われたこの試合では、オリオールズの先発投手がジェイソン・ジョンソン(西武)、2番手ジョン・ベイル(広島)、3番手ジョン・ワズディン(巨人、西武)という日本ゆかりの選手のリレーと先発ショートにトニー・バティスタ(ソフトバンク)も出場。対戦相手のブルージェイズもクリス・レイサム(巨人)、ケビン・バーン(近鉄)、トニー・フェルナンデス(西武)が出場するなど日本プロ野球ファンにも夢の競演のような試合になりました。

 

そして翌日ついに親子スタメン起用の試合は対戦相手が変わってレッドソックス。

 

なんとその試合の先発投手は、、

 

 

野茂英雄投手でした。

 

この試合息子に1安打は許すも父をノーヒットに抑え込み勝利投手となりました。

結局残りの試合も親子どちらかが安打するもアベック安打ともならず、夢のようなシーズンは終了しました。

 

2013年にはカナダの野球殿堂入りも果たした父、ティム・レインズ。

 

通算記録もさることながら普通の選手にないいろいろなエピソードや記録を持つ選手として、ようやくたどり着いた殿堂入りでのスピーチやプラークの帽子など今から楽しみですね。

 

今回はスピードが魅力のファミリー紹介でした。

 

 

 

| ファミリー | 20:59 | comments(0) | trackbacks(0) | ↑TOP -
ベースボールカードのススメ その108

 

本日紹介するのは、おなじみファミリーネタです。

 

ちょこっと更新滞っている間に、日本シリーズ、ワールドシリーズが終わり、すっかりオフの空気が漂ってきました。

 

また新たな助っ人外国人紹介や予想をしたいところですが、その前に祝・日本シリーズ制覇のハムの助っ人のファミリーネタをご紹介。

 

画像は、今よりスリムな感じですが、寿司好きで、金曜日になぜか大活躍するという個性的なプレースタイルがファンの心をがっちり掴んだシリーズMVP男・ブランドン・レアード三塁手です。

 

ヤンキースのプロスペクトとしてA−ロッドの後釜になれるかというところで来日。

その後の活躍は、ご存知の通りですが、、来日時はすでにメジャーリーガーとしてしっかり地位を築いていた8歳年上の兄

 

 

ジェラルド・レアード捕手の弟として注目を集めていました。

マネーボールで有名になる直前のアスレチックスでドラフト2位で入団。(ちなみに1位はマーク・マルダー投手)

 

01年には、同期でレンジャースドラフト1位のカルロス・ペーニャとのトレードでレンジャースに移籍。

強肩と巧打で注目をあつめてレンジャースで03年にデビューします。

 

控え捕手ながら強肩を活かした盗塁阻止で信頼を得るとともに打撃も徐々に開花し、06年にはレギュラー捕手に定着。

守備だけでなく打撃もしっかり活躍し、08年オフにはベイスターズで活躍したモスコーソ投手とのトレードでタイガースに入団。

 

オフを過ごすアリゾナでは、NBAサンズとセルティックスの試合観戦に行き、乱闘騒ぎを起こし兄弟で逮捕されるやんちゃぶりもありました。あるベースボールカードにはレイカーズファンと書かれてましたが、ライバル、セルティックスに興奮したのか

 

09年タイガースでは、リーグ1の盗塁阻止数、捕手としてシーズン最多の犠牲バンドと渋い活躍でチームを牽引します。

しかし打率、出塁率などが年々下降し、FAとなると再契約なくメジャー最高の捕手ともいえるヤディアー・モリーナの控えとしてカージナルスと契約。この年チームは見事にワールドシリーズ制覇を達成。その後は控え捕手としてチーム渡り歩き、時に意外性のある打撃や強肩を披露し、プレイオフに進出するチームに貢献し15年のダイヤモンドバックスを最後にメジャーキャリアを終えています。

 

しかし、今季夏にメキシカンリーグのティファナで2試合ながらプレー。

ちなみに昨年カープでプレーしたヘスス・グーズマンも今季はティファナでプレー、そのほかにもホルヘ・カントゥ、オスカー・ロブレス、オマー・キンタニーヤなどメキシコでも人気の元メジャーリーガーの所属するチームでした。

 

おそらく来季はプレーする機会はもうないかもしれませんが、弟の応援に来日し、日本のどこかで見かける機会があるかもしれないですね。

 

 

 

 

 

| ファミリー | 17:40 | comments(0) | trackbacks(0) | ↑TOP -
ベースボールカードのススメ その107

本日も家族紹介ネタです。

 

今回は、『ダンカン!バカヤロウ!』のモノマネでおなじみ

本当はたけしさん言ってない説があるのは、おいといて。。。。

 

ダンカンファミリーを紹介します。

 

 

まずは巨人でも98年にプレーし、リーグ優勝も経験した元助っ人、マリアノ・ダンカン選手。

メジャーでは94年にオールスター選出、レッズとヤンキースでワールドチャンピオンも経験した名内野手でした。ドミニカで育成された選手がメジャーで活躍を始めた走りとなったような選手で、ドジャース時代はスイッチヒッターもしていたという器用な経験を活かして、現在はカブスの1Aアドバンスのバッティングコーチとして活躍してます。

 

そんなダンカン選手の弟さんが、、

 

 

8歳年下のアンドレス・ダンカン選手です。

兄の器用さを受け継いだかのように、セカンド、サード、ショートを守り、91年からジャイアンツ傘下のマイナーでプロとしてプレーし始めました。当時のチームメイトに元ホークスのアダム・ハイズドゥが所属してました。

 

93年からツインズ傘下に移り、両チームで最高3Aまで昇格するもメジャーでのプレーはなく、30歳前で01年の独立リーグでのプレーを最後に引退しています。入団2年で3Aまで昇格したこともあり、マイナーでは結構ベースボールカードになっているようですが、少し打撃で苦労していたような成績でした。

 

ちなみに同じ年に生まれた双子の兄弟エンリケ・ダンカン選手も兄がプレーしたレッズのマイナーでプレーしました。

20歳になるころには、レッズ傘下を去ってますが、独立リーグではオールスター選手になり数年プレーするもアンドレスとの同一チームでの共演はありませんでした。

 

さて、わざわざダンカンファミリーとまで言って、これで終わりません。

 

ドミニカのダンカンからアメリカのダンカンへ、、、

 

 

64年から76年と自分も野球を知らないどころか生まれてない年代での活躍をしたアメリカのデーブ・ダンカン選手は、71年のオールスターや72年のワールドシリーズを経験し、1試合4本の二塁打を打つメジャータイ記録を持つキャッチャーでした。

66年にはマイナーのモデストでシーズン46本塁打も打ったパワーが魅力の選手でしたが、引退後捕手としては異色ともいえるピッチングコーチとしてメジャーの世界で有名になります。

 

83〜86年はホワイトソックスで、86〜95年はアスレチックスで、96〜11年はカージナルスでコーチを務めました。

 

そう、殿堂入りの名監督トニー・ラルーサの右腕として手腕を発揮した名コーチなんです。

 

ラルーサの勇退で、現場を離れたものの、14年からアシスタントGMとしてダイヤモンドバックス入りし、またラルーサとの関係が始まったという名参謀ですね。

 

そんなダンカンコーチの息子さんが、、

 

 

父がカージナルスでコーチを務めた99年にドラフト1巡目で入団したクリス・ダンカン外野手です。

 

05年にはメジャーデビューし、ルーキーカテゴリの06年には左打ちのルーキーの記録となる22本塁打をマークし、親のコネでデビューしたんではないぞ。という活躍を見せてくれます。プホルスが主砲で一塁手のため、外野手でプレーするも首や腕のケガもあり、プレー機会が伸びず09年でメジャーのプレーを最後に11年に引退をしました。しかし、ルーキー時代の活躍で人気もありセントルイスのラジオ番組の司会もするなど引退後も活躍。12年にはガンに侵されるもカムバックして現在もマイクの前に立っています。

 

そして、クリスの翌年に名門ヤンキースから2巡目指名を受けた弟もいました。

 

 

それがシェリー・ダンカン外野手。

 

07年3Aで本塁打のチーム記録をつくりメジャーデビュー。

7本塁打のうち最初の6本をホームで放ち、巨体から繰り出される長打と豪快な動きとスウィッシャーやデイモンらとともにハイテンションな言動でチームのムードメーカーのような存在にもなりました。オープン戦で岩村選手に完全のアウトのタイミングでひざ上にスパイクをあげたスライディングをして大乱闘の原因にもなるなど、少しテンション高すぎてポカもするイメージでしたが、メジャーとマイナーを行き来したのは、強豪ヤンキースゆえか、、09年には3AでリーグMVPになるもインディアンズに移籍をするまで開幕メジャーでプレーしたシーズンはなく、10〜12年まで3年連続でメジャーで二ケタ本塁打をマークし、長打力のある控え外野手という位置づけでした。13年にレイズでプレーしたのが最後で14年にレッズのマイナーでプレーし、引退。

 

兄や父の所属球団と絡みのなかったシェリーですが、15年からついに父と同じ組織になり、ダイヤモンドバックスの1Aショートシーズンの監督として指導者としての道を歩み始めたところ、はやくも父の影響かチームをリーグチャンピオンに導くなど、新たな才能を発揮し始めてます。

 

ドミニカ、アメリカ、どちらのダンカンファミリーも指導者としていつかメジャーで姿を見れるかもしれないですね。

 

 

 

| ファミリー | 23:22 | comments(0) | trackbacks(0) | ↑TOP -
ベースボールカードのススメ その106

 

今回も野球カードでファミリーネタ。

 

前回はカープネタでしたが、今日はジャイアンツと行きましょう。

 

画像は、94年のメジャーリーグ・ストライキの影響で95年に来日した大物大リーガーの中のひとりとして、実働2年ながら96年のリーグ優勝にも貢献したシェーン・マック外野手です。

 

84年のロス五輪メンバーで、マグワイアと共に全米1位指名候補ともいわれたアマ時代(パドレス1位指名、全米11位)からプロ入りし、87年メジャーデビュー、ルール5ドラフトで90年にツインズに移籍すると打率3割を5年で4回マーク、ツインズ91年のワールドシリーズ制覇にも貢献しチームメイトで一緒に外野を守ったグラッデンの後釜としてのジャイアンツ入りでした。

 

松井選手の前のジャイアンツのセンターとして、全力プレーも魅力のこれぞメジャーリーガーと言う存在でした。

 

帰国後はレッドソックスやロイヤルズで控え外野手としてプレーし、98年にはキャリアを終えました。

94年にキャリア最高の成績を残すペースだっただけに、ストライキがなければ来日しなかったかもという印象に残る名選手でした。

 

さて、そんなマック選手にも2歳下の弟がおり、1シーズンですがメジャーでもプレー。

 

 

それが画像のクィン・マック外野手でした。

 

左投げ左打ちの外野手で、兄ほどのアマキャリアはないとはいえ、チェリトス・カレッジで州大会のチャンピオンチームの一員になりました。後にメジャーリーガーとなるクレイグ・ワシントン(のち阪神)、マイク・ベンジャミンらがチームメイトだったという強豪校でした。その後ドラフト外でエクスポズ入りするも93年途中に3Aまで昇格した時点で解雇されました。

しかし、そこからマイナー契約でマリナーズに拾われるとカルガリーで自身初となるマイナー打率3割をマークしました。

 

そして翌年94年6月に待望のメジャーデビュー。

 

当時のマリナーズは、センターが今年殿堂入りしたケン・グリフィーJr.、ライトは長打力と強肩でボーンの愛称で人気を博したジェイ・ビューナーが主力。レフトを新鋭の外野手が争うところですが、94年のレフトは、のちにヤクルト入りすることになる

 

 

エリック・アンソニー選手がレギュラーとしてリードした感がありました。

彼が病欠した代わりとしてデビューしたマックは、5打数3安打二塁打2本というこの上ないデビューを飾ります。

ちなみに背番号は、34番でその後のフレディー・ガルシアやフェリックス・ヘルナンデスというようなチームのエースが背負う番号になりました。

 

しかしアンソニーの病気も癒え、グリフィーJr.をDHとして休ませるために1番センターで起用されたロイヤルズ戦。

リードする試合で7回、8回からセンターにグリフィーを起用し、守備を固めようとしたという談話が後にありましたが、まずはアンソニーがレフトでダグアウトに飛び込む送球エラーをした後に今度はマックが、ギャグニーの放ったセンターライナーを後逸し打者までホームに返す逆転負けを喫しました。のちに記録はエラーからランニングホームランに訂正されるも、当時のピネラ監督はご立腹。のちは1試合の起用でマイナーに送り返されると10日間、5試合の出場でメジャーのキャリアが終わります。

 

ひょっとしたらマイナーでも打撃好調なため再昇格もあったかもしれませんが、94年は8月11日でストのためシーズンは終了。

 

95年に再びマイナーからメジャーを目指すもパドレス傘下に放出、翌年はマーリンズとマイナー契約するも打撃成績は下降気味で晩年はメキシカンリーグでプレーし、兄より早く97年でキャリアを終えました。

 

もう20年以上も前ながら、94年のストについて、もしストがなければシーズン打率4割やシーズン本塁打60本超えがあったのではないか、エクスポズが優勝していたかもと言われることもありながら、スト直前に骨折したバグウェルがシーズンMVPになったり、マイケル・ジョーダンがバスケに復帰したり、大物大リーガーの来日もなかったかもしれないので野球界の歴史が大きく動くきっかけになった出来事だったんだなと改めて感じました。

 

94年のストがキャリアに影響を及ぼした?兄弟のお話でした。

 

 

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