ベースボールカードのススメ その133

本日は、アメフトと野球の家族ネタで行きましょう。

 

ちょっとボリューム多めで、今回はベースボールファミリーの多いフットボールチームということでロサンゼルス(セントルイス)・ラムズを取り上げたいと思います。

 

まずはラムズ史上最高の選手の呼び声高い、殿堂入りと永久欠番29番、シーズン歴代最多ラッシングヤード記録保持者で80〜90年代前半に大活躍したランニングバック。

 

 

エリック・ディッカーソン選手です。

 

実は以前にも当ブログで紹介済みなんですが、当時はもうひとつの活躍したチーム、コルツのカードで紹介しました。

 

そしてその時も紹介した彼のいとこは、、

 

 

昨年までオリオールズの3Aでプレーした元メジャーリーガー、クリス・ディッカーソン選手です。

 

ふたりの紹介の振り返りは→コチラ

 

 

続いては、60〜70年代にかけて11シーズンで通算45タッチダウンを獲得し、1回のプロボウル(オールスター)に選ばれた往年の名ワイドレシーバー。引退後はTV解説でも活躍した。

 

ジャック・スノー選手です。

 

彼の息子さんが、

 

 

エンジェルス、ジャイアンツなどで活躍した巧打好守の一塁手。

J・T・スノー選手です。

 

90年代に6年連続ゴールドグラブを獲得したミットさばきはまさにワイドレシーバーのハンドリングの遺伝子を感じさせ、ともにカリフォルニアで活躍したという点も親子の絆を感じさせます。

 

02年のワールドシリーズでバットボーイを務めたベイカー監督の息子をホームクロスプレーに巻き込むのを未然に防ぐシリーズ史に残る名場面やボストンに移籍した実質最後のシーズン前に父親ジャックが他界し、レッドソックスでは背番号を慣れ親しんだ6番ではなく、父がラムズで着けていた84番に変更したというエピソードやジャイアンツの1日契約で引退する際は、始球式でなくイニング間の内野でのボール回しを行うなど記憶に残る名選手でした。

 

 

 

続いてはセントルイスとロサンゼルスという移転過渡期に12〜16年の5シーズンプレー。

 

タイトエンドとして活躍したコリー・ハーキー選手です。

 

ドラフト外で契約しチーム入りし、トレーニングキャンプで怪我をして、一度はカットされるも再び練習生で帯同して正式契約までこぎつけた粘りの選手、そこからの5シーズンプレーを続けたのは立派の一言です。

 

 

そんな彼の父親が、元メジャーリーガー

 

 

87年のドラフト1巡目全体でも4番目ドラフト指名を受けカブスに入団した右腕マイク・ハーキー投手です。

 

87年と言えば殿堂入りのケン・グリフィーJr.が全体1位指名のドラフト。

大学と高校からドラフトの年齢的差はあれどグリフィーより早くメジャーデビューし、90年には先発で二桁勝利を挙げるも故障が多く8シーズンで通算36勝に終わりました。引退後はチームメイトでバッテリーを組んだジョー・ジラーディがマーリンズの監督になるやブルペンコーチとしてスタッフに加わり、ヤンキースでもブルペンコーチを務めました。ダイヤモンドバックスでピッチングコーチになるも現在はヤンキースのブルペンコーチとして活躍しています。

 

 

 

続いては、11年のドラフト3巡目でラムズ入りしたワイドレシーバー、

オースティン・ペティス選手です。

 

4シーズンNFLでプレーして控えながら通算9つのタッチダウンを獲得したレシーバーです。

 

そのスピードとキャッチセンスは、叔父であるメジャーリーガー譲りでしょうか。

 

 

それが79年ドラフト6巡目でエンジェルス入りし、80〜90年代まで11シーズンプレーしたゲイリー・ペティス外野手です。

 

打率は2割台前半ながら通算354盗塁の俊足と5回のゴールドグラブを獲得し、最も浅い位置で守るセンターと言われた守備範囲の広さが売りの名外野手でした。現在は守備走塁のコーチとしてメジャーで活躍。17年はアストロズの三塁ベースコーチとしてワールドシリーズ制覇も経験しています。余談ながらNFLのチアリーダーをしていた妻との間に4人の子供さんがいますが、息子カイラーは俳優として活躍。更に大学生の息子ダンテは、ワシントン大でワイドレシーバーとしてプレーし、NCAAのパントリターンタッチダウンの記録を保持するなどプロ注目のフットボール選手なんです。

 

更に余談で、85年トップス社のベースボールカードでは、

 

 

若かりし、ペティス選手のまるでアイドルのようなイケメンぶり。

そりゃ息子もイケメン俳優になるのもわかるわ。

 

と思いきや、

 

こちら弟でマイナーリーガーだったステイシーの写真だったという有名なエラーカードとなっている話題多きメジャーリーガーでした。

 

 

 

トリはこの人でしょう。

 

今NFLでも注目されている選手のひとり

 

16年のドラフト1巡目全体1位でラムズに指名されたクォーターバック。

 

ジャレッド・ゴフ選手です。

 

カリフォルニア大で26のチーム記録を打ち立てた大学フットボール界のスターとして注目されプロ入り。

カリフォルニア出身で49ersのファンということでジョー・モンタナに憧れてのナンバー16というところがオールドファンにもわかりやすいネクストスター候補ですね。

 

全米1位指名の注目の重圧や大学とプロとのシステムの違いに苦戦した1年目は7試合に出場して7敗というファンを失望させる結果になりましたが、2年目の17年シーズンは15試合に出場し11勝4敗と見事にアジャストし、チームをプレイオフに導きました。1回のパス成功による獲得ヤード数平均でリーグのトップになるなど全米1位指名の実力を見せてプロボウルにも選出されました。

 

そんなチームを牽引する頭脳と鋭いパスを通す強肩はメジャーリーガーの父から受け継いだものです。

 

 

そんな父は、86年マリナーズから3巡目指名でプロ入りした捕手。

ジェリー・ゴフ選手です。

 

大学を出るまでにもアスレチックス、ヤンキースと2度のドラフト指名を受けるプロ注目の存在だった父ジェリー。

大学時代はオールアメリカンのセカンドチームに選ばれる有望な捕手でした。

 

 

エクスポズ、パイレーツ、アストロズで控えの捕手として活躍。

 

マイナーでは力強い打撃もあり、メジャーでケガ人が出ればチャンスをもらえるといった存在でした。

メジャー初本塁打は90年シーズン、9回代打での決勝ホームラン。

 

メジャー最後の試合はアストロズでプレーした96年シーズンで、その年唯一メジャーで出場した試合ですが、古巣エクスポズ相手で4打数2安打うち1本は、本塁打と打撃で見せました。

 

が、メジャー記録タイとなる1試合6パスボールもマークし、不名誉な記録を残しつつの引退となってます。

 

派手な活躍と失敗が隣り合わせな部分まで親子で似てしまったのか?というゴフ選手ですが、来年もリーグを代表するQBとして父親を越えるビッグスターとして活躍してくれることを願います。

 

メジャーリーグファンのアメフト入門編として、どこのチームを応援したいか悩むかたはメジャーとの縁の多いラムズを応援してみるのも面白いのではないでしょうか。

 

 

 

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ベースボールカードのススメ その132

 

今回もお得意のファミリーネタから

 

画像は83年ドラフト4巡目でオリオールズから指名されてプロ入りしたマーク・ライター投手です。

 

マイナー時代に肩を故障して3シーズンリハビリで全休するというキャリアに関わらず、90年にヤンキースでデビュー。

タイガース、エンジェルス、ジャイアンツ、エクスポズ、フィリーズなどを渡り歩き、先発に中継ぎに11シーズンもメジャーでプレーした渋い投手です。

 

リーグ最多のデッドボールを与えたり、最多被本塁打、最多失点など不名誉にも見える記録が多いものの、勝ちだしたら止まらないというタイプでどのチームに移っても連勝を続ける期間があるという面白い記録を持つ投手です。

 

またフィリーズ時代には35歳にしてシーズン20セーブを挙げる活躍をするなど存在感のある投手でした。

 

特に存在感でいうと彼の弟が、メジャー屈指の好投手である

 

 

アル・ライター投手で、84年ドラフト2巡目でヤンキース入りして、87年にはメジャーデビューと弟が先にメジャーでブレイクしたためにアル・ライターの兄という位置づけで話題に上ることが多かった印象です。

 

アル・ライターのキャリアは、ブルージェイズやマーリンズでワールドシリーズ制覇に貢献したり、オールスター2回、19シーズンで通算162勝を挙げ、シーズン15勝以上を4回記録したり、メジャーの全30チームから勝利した最初の投手になるなど突出しており、現在もTV解説で引っ張りだこと知名度も衰え知らずなんです。

 

兄弟の小ネタでいうと弟アルが87年、兄マークは90年ともにヤンキースで背番号56を着けてメジャーデビューをしていてヤンキース放出時のトレード相手は、弟アルがバーフィールド(巨人)、兄マークがロブロ(ヤクルト)と、のちの助っ人選手という偶然。

 

そんなライター兄弟には実はもうひとり一番年上の兄が存在しまして、、

 

 

それがオリオールズのマイナーでプレーしたカート・ライター投手です。

 

マークとマイナーでもチームメイトとしてプレーし、4シーズン先発投手を中心に通算17勝36敗、最高2Aまで昇格し、86年でキャリアを終えたマイナーリーガーでした。

 

チームでは最多のデッドボールを与えながら完投数もトップのシーズンがあるなどライター兄弟の特徴が出ているような成績ですね。

 

今まさにライター兄弟の話題がホットになってきてるんです。

 

それは、、

 

 

マーク・ライターのジャイアンツ時代の一枚から。

 

彼の胸に抱かれる息子さんが、、

 

 

マーク・ライターjr.投手です。

 

13年22巡目で父が晩年プレーし、20セーブを挙げた古巣フィリーズから指名されプロ入り。

指名直後からマイナー入りしてルーキー、1A、1A+と3つのレベルでプレーするなど上々の評価で、コントロールに定評があり、マイナー2Aでもオールスターに選ばれるなど、指名順位の低さと父の古巣にいるところから家族の縁による入団という話題先行型でなく、実力派であることを証明しました。

 

昨年は3Aまで昇格し、開幕を迎えると早くも4月の終わりには、、

 

 

待望のメジャーデビューを果たしシーズン3勝を挙げるなど、今シーズンも楽しみな若手投手のひとりなんです。

 

近年低迷の続いたフィリーズに復活の気配がしてきてるので、故障で開幕は遅れる見込みながら、深刻でないことと今季のブレイクを期待したいと思います。

 

 

 

| ファミリー | 23:47 | comments(0) | trackbacks(0) | ↑TOP -
ベースボールカードのススメ その131

 

本日は、懐かしの助っ人ファミリーの紹介。

 

画像は親子カードですが、左が父親、右が息子です。

 

もう名前が出ているのでわかると思いますが、元中日ドラゴンズの助っ人が息子のバンス・ローです。

 

父親バーノン(バーン)・ローは、1950年から途中兵役で2シーズンを抜けますが、16シーズンをパイレーツ一筋で過ごし通算162勝を挙げた名投手で、1960年には20勝を挙げてサイ・ヤング賞を獲得。実に18完投という離れ業でチームのワールドシリーズ制覇にも貢献しました。

 

しかも引退後79年〜81年までは

 

 

 

西武ライオンズでコーチも務めました。

 

そんなバーノンには5人の息子がおり、全員がVで始まる名前とのこと。

 

そしてそのひとりバンスが、

 

 

78年のドラフト39巡目という低い順位ながら父もプレーしたパイレーツから指名されプロ入りすると2年後には早くもメジャーデビューを果たしました。パイレーツのスター、ウィリー・スタージェルは親子と共にチームメイトとしてプレーしました。その後、ホワイトソックス、エクスポズ、カブスと渡り、10シーズンメジャーで活躍し堅守と巧打で鳴らし、88年にはオールスターにも選ばれました。そんなオールスター出場の2年後に中日ドラゴンズに入団。

 

打率.313、29本塁打78打点とキャリアハイの活躍をマークし、1シーズンで帰国しアスレチックスに復帰するなど、フィルダーやガリクソン、クロマティのような選手と同じく、日本でキャリアを終えずにメジャー復帰できるという流れを確立した選手のひとりとなりました。

 

ちなみにサイ・ヤング賞投手の息子として実はメジャーで7試合も登板しております。いずれもワンサイドゲームの敗戦処理的な当登板ながら8イニングで被本塁打ゼロ、防御率3.38となかなかのマウンドさばきだったようです。

 

引退後は母校のコーチなどを務めましたが、

 

ドラゴンズのキャンプ中である90年2月に生まれた息子さんが、、

 

 

2013年にドジャースから12巡目でドラフト指名されプロ入りしたアダム・ロー内野手。

 

父と同じブリガムヤング大出身、背番号2を着けてプレーしてますね。

 

16年の夏からマリナーズ傘下へ移籍し、現在最高位2Aクラスで奮闘中です。

 

父に比べて打撃、とりわけ長打力では苦戦している状況ですが、外野も挑戦したり、この冬も中米のウインターリーグに参加するなど何とかメジャーの枠に上がっていこうとプレー中です。

 

メジャーのキャンプに参加してますが、イチロー選手のチームメイトとなれば、話題になるかもしれないですね。

 

親子3代メジャーリーガー家族として歴史に名を刻みたいところです。

 

懐かしの助っ人家族ネタもまだまだあるので、また紹介したいと思います。

 

 

 

 

 

| ファミリー | 22:29 | comments(0) | trackbacks(0) | ↑TOP -
ベースボールカードのススメ その130

 

本日紹介するのは、おなじみのファミリーネタ。

 

今でこそ選手のプライベートな部分には規制がつきものですが、大昔にはファンレターも球団に送らず直接と考えたのか選手名鑑には住所が載ってたなんてこともありました。

 

野球カードでも選手のプレー以外の一面をと我が子と一緒の微笑ましい一枚というのが、結構ありました。

 

今回はそんな一枚から、82年の全米ドラフト1位でカブスに入団し、7球団で18年のキャリアをメジャーで過ごした名遊撃手ショーン・ダンストン選手を紹介します。

 

80年代90年代の大半をカブスで過ごし、俊足に巧打もあり、強烈なスローイングを武器に守備でも魅せる選手である一方で同じナ・リーグの名遊撃手オジー・スミスが同時期にプレーしたこともあり、ゴールドグラブの受賞はなりませんでしたが、オールスターに2度選出されるなど人気と実力はリーグ屈指の存在で、晩年はその肩を活かして外野手に移り渋い戦力として、プレーオフ経験も豊富な選手でした。

 

子供にもデーゲーム用の目の下に塗る墨(アイ・ブラック)を着けてカードに収まる子煩悩なカードも時代を象徴しますね。

 

 

他のカードメーカーの一枚にも溺愛ぶりを見せるダンストン選手。

 

そんな息子さんが、、、、

 

 

同じカブスから2011年の11巡目でドラフト指名されました。

 

名前はショーン・ダンストンJr.

 

同じ年には、7巡目でホッケーの名選手で以前ここでも紹介したウェイン・グレツキーの息子さんも7巡目で指名されてます。

 

縁での入団もあるのでしょうが、父譲りでスピードと強肩が武器の外野手ということです。

 

 

6年マイナーでプレーし、25歳の現在1A+が最高レベルという成長具合で、16年からは父もコーチを務めカブスの次に過ごしたジャイアンツのマイナー組織に移籍していることを考えるとメジャー昇格には道が遠いかもしれませんが、日本でもメジャーリーグが近くなった野茂投手がデビューした当時に活躍していた当時の名選手の子供たちが、またメジャーを目指す姿をみれるのは嬉しいですし、実際にメジャーの舞台でプレーする姿をみてみたいものですね。

 

意外と多い親子一緒のカードで、幼少期にプロ野球カードデビューを果たしたシリーズ。

 

また紹介したいと思います。

 

 

| ファミリー | 16:19 | comments(0) | trackbacks(0) | ↑TOP -
ベースボールカードのススメ その129

 

本日紹介するのは、ファミリーネタ。

 

画像は、2010年シアトル・マリナーズの1Aクリントン・ランバーキングスというマイナーリーグのカードです。

 

選手は、09年ドラフト6巡目指名で入団したシェイバー・ハンセン内野手。

 

ベイラー大学では、強打のスイッチヒッターとしてドラフトの年に打率.330、17本塁打59打点と本塁打と打点でチームトップ、打率2位、ベイラー大学所属のリーグ戦ビッグ12でもトップの成績でドラフト有望株として活躍しました。

 

ベイラー大といえば、そこまでメジャーでもありませんが、OBではジェイソン・ジェニングスやキップ・ウェエルズなどテキサスの大学らしくレンジャースで活躍した投手が有名どころです。

 

09年のドラフトでは、スティーブン・ストラスバーグ投手、マイク・トラウト外野手、ノーラン・アレナド内野手など今やリーグを代表する大物が全盛期を迎えていますが、マリナーズではチーム生え抜きのスターのカイル・シーガーが同年3巡目でプロ入りしています。ちなみに1位はダスティン・アクリーとニック・フランクリン。同じ6巡目でアリゾナに指名されたのがカープのヘーゲンス投手なんて小ネタも。。。

 

大学時代強打の二塁手で鳴らしたハンセンでしたが、未来のスター、シーガーがセカンドで活躍するとサードやショートを守りながら徐々に力をつけて、1A+のハイデザートまで昇格するもシーガー、あるいはフランクリンといった今もメジャーで活躍する内野手の後塵を拝し、わずか3シーズン2011年でキャリアを終えてしまいました。

 

 

ちなみに最終年にはカープでプレーしたデラバー投手やオリックスのロメロ外野手とチームメイトでした。

 

ハンセンの成績を振り返るとプロ入りで打撃に苦しんだものの、11年は54試合で打率.289、2本塁打28打点で出塁率、長打率もキャリアハイと成績が上向きだっただけに大学出身とはいえ、もう少しプレーを続けて欲しいかなという印象でした。

 

 

シェイバー・ハンセン、このマイナーリーガーに注目するは、彼のファミリーでしょう。

 

 

彼の父親というのが、、、、こちら。

 

 

赤コーナー〜〜〜〜〜

 

308パウンド〜〜〜〜〜

 

 

スタンーーーーーッ

 

 

ハンーーーーーセンーーーーーーーー

 

 

 

 

 

 

『ウィーーーーーーー!』

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

すいません。つい、、、、

 

 

 

ということで

 

昭和のファンは興奮を隠せないシェイバーの父とは、、

 

不沈艦、ブレーキの壊れたダンプカーなど数々の異名を誇り、2016年にはWWEの殿堂入りも果たした名プロレスラー、スタン・ハンセンです。

 

昭和の子供たちはリストバンドを着けた際、一度は左肘に上げてラリアットをした想い出、あると思います。

 

 

本人もレスラーの前はアメフト選手で、息子たちにもフットボールと野球を教えたというマルチアスリートで、息子たちにはフットボール選手になって欲しかったというようなコメントが自著にもありましたが、レスラー引退後に息子たちの日米高校親善野球出場を応援するため来日したり、元阪神のバース選手とご近所で交流があったなど、度々野球との関わりも話題にあがるプロレス界きってのスーパースターです。

 

異なるスポーツのファミリーネタでは4大スポーツがよくありますが、格闘やエンターテイメント界とのつながりも意外とあります。

 

 

マッチョマンことランディー・サベージも

 

 

 

 

本名マイケル・ポッフォで70年代に元マイナーリーガーだったり、ジャイアント馬場さんも巨人の投手だったりといろんな世界で活躍する著名人のルーツに野球があるというのもファンとしては嬉しくなるものですね。

 

ということで今回は異色のファミリーネタでした。

 

 

 

 

 

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ベースボールカードのススメ その128

 

本日紹介するのはおなじみのファミリーネタ。

 

今回は、プレイオフシーズン真っ只中のアメリカン・フットボールと野球の家族を紹介。

 

画像はジャック・カッセル投手。

 

2000年にパドレスの25巡目指名を受けてプロ入りして、2007年にパドレスでメジャーデビューし、翌年FAでアストロズで1シーズンプレー、メジャーでは2シーズン通算成績は先発7試合を含む15試合の登板で2勝2敗、マイナーでは10年プレーして56勝63敗とほぼ先発としてずっとプレーして09年にインディアンズのマイナーでプレーして28歳というキャリアでプレーを終えた選手なので知る人ぞ知る選手となります。

 

ちなみに最後の年は、元ヤクルトのロブロ(現Dバックス監督)監督の下で、大家、小林雅、ハーマン(楽天)、レイ(元楽天)、ペレス(元中日)、チューク(元広島)らと同じチームでプレーするなど、日本にも少しゆかりを感じるキャリアでした。

 

そんなカッセルの2歳下の弟がこちら

 

 

カンザスシティ・チーフスのクォーターバック(以下QB)として活躍、現在はテネシー・タイタンズでプレーしている現役選手のマット・カッセル選手です。

 

大学時代はハイズマン・トロフィーを獲得したカーソン・パーマー、マット・ライナートの控えとして過ごし、2005年のNFLドラフト7巡目と最終順位でペイトリオッツに入団。

 

2008年の開幕戦で今も史上最高と言われるスーパースターのQB、トム・ブレイディーがシーズン絶望の故障をすると代わりのQBとして出場し大ブレイクし、大学でもスターターでないQBがNFLでスターターとしてシーズン活躍した初の選手となり、ブレイディーの復帰と共にチーフスに移籍し、プロボウル(オールスター)選手にもなった異例のスター選手です。

 

ちなみに彼も94年に一塁手としてリトルリーグのワールドシリーズに出場し、04年には大学で1シーズン8試合しか投げていない投手で1打数1三振という打撃成績ながらアスレチックスの36巡目指名を受けるという野球選手としても評価を受けていました。

 

2012年にはカンザスシティで行われたオールスターでセレブリティが集う打撃練習やソフトボールのエキシビジョンでプレーするという野球ともかかわりを持っている一面もありました。彼のおかげでか兄ジャックもメジャーのオールスターのフィールドに関係者として来場する夢のひと時を過ごしてます。

 

更にマットの2歳下にも弟がおり

 

 

ジャスティン・カッセルは、投手として野球をプレー、03年に兄より前に30巡目にアスレチックスから指名を受けるも契約せず大学へ進学し、06年にホワイトソックスから7巡目の指名を受けてプロ入りしました。

 

08年には2Aのバーミンガムで先発として10勝4敗の好成績を挙げました。この年は後に巨人でもプレーしたトーレスやポレダらとローテーションを組んでいました。

10年のワールドカップ、11年のパン・アメリカン・ゲームでアメリカ代表選手としてもプレーしました。

 

しかし最高レベルは3Aでメジャーに昇格なく2012年に独立リーグで27歳にしてキャリアを終えています。

 

野球の世界で大きなキャリアを築くほどではありませんでしたが、アメリカの選手はアマ時代からみんな野球とフットボールをプレーするんだなと改めて思わせてくれるアスリート一家でした。

 

ちなみに長男ジャックは、現在この人。

 

 

クリス・ディッカーソン外野手と環境問題に取り組むアスリートたちの非営利団体を共同経営しているという野球選手というカテゴリに収まらない一面も見せています。

 

実はディッカーソン選手は、数年前来日選手候補としてここで紹介しようかと思ったほど長打力と守備力を備えたいい外野手で、35歳を迎えた昨年もマイナーでプレーするまだ現役の選手です。

03年にレッズのドラフト16巡目指名を受けてプロ入り、高校時代はアメフト、野球に加えてサッカーまでプレーしたというマルチアスリートで08年にメジャーデビューし、5チームを渡り歩きながらとにかくメジャー昇格時に猛チャージで長打をかため打ちするうえ守備もスピードのある面白い選手なんです。

 

14年シーズンを最後にメジャーから遠のいてますが、現役を続けつつ、ジャック・カッセルと共同経営するPlayers for the Planet というこのプロジェクトにも熱心で来日どころではなさそうと紹介を見送った名選手でもあります。

 

レッズのマイナー時代から選手が飲む水のプラスチックボトルをリユースできるアルミボトルに変更したり、オリオールズ時代は自転車で球場入りしたりと環境改善などの社会貢献活動も話題な紳士。

 

マイナー通算15年で常にメジャー傘下のマイナーでプレーし、通算1000試合以上の出場を誇るマイナーリーグ界のレジェンドともいえる名選手です。

 

そんな彼のいとこもプロフットボール界の大物。

 

 

殿堂入りのランニングバック、シーズン最多ラッシング記録を保持し、プロボウル6回選出。

ロサンゼルス・ラムズの永久欠番にもなった80年代最高の選手のひとりエリック・ディッカーソン選手です。

 

フットボールと密接な関係を持つカッセルとディッカーソンという成績的には目立たないメジャーリーガーが起こした運動は、現在MLBとNFLに多くのビッグネームの賛同によりサポートを受け、大きなムーブメントになっています。

 

興味のある方は、是非 Players for the Planet を検索してみて下さい。

 

 

今回は最後にちょっと社会派なファミリーネタでした。

 

 

 

 

 

 

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ベースボールカードのススメ その127

 

新年一発目は得意のファミリーネタから紹介です。

 

画像は、アアロン・ホルバート内野手。

90年ドラフト1巡目でカージナルスから指名されてプロ入りを果たした守備力に定評のある内野手でした。

 

入団時からメジャー級と呼ばれた守備は、同じタイプでチームの看板選手でキャリアの晩年を迎えていた殿堂入りの名襲撃手オジー・スミスの後継者とも見られていましたが、打撃面で苦戦し、スミスの現役最終年度に他チームからロイス・クレイトン遊撃手を獲得したカージナルスにあって出場の機会を失い、96年に1試合だけプレーしてマイナーに落とされます。

 

その後いろいろなチームを転々とし、すっかりベテランとなりそろそろメジャーのキャリアも絶望かと思われた2005年にレッズでメジャー昇格というチャンスに恵まれます。実にメジャーデビューから9年の歳月を経てメジャー初安打をマークしたというマニアックな記録で注目された選手で、翌年06年にレッズからシーズン中解雇されると指導者に転身しマイナーでコーチや監督をしています。

 

ホームラン時代とも言われる時期を守備力だけでは、メジャーの一線では活躍できないことを図らずも証明した代表的選手でした。

 

そんな彼には3歳上の兄がいました。

 

 

それが88年ドラフト3巡目でパドレス指名でプロ入りし、94年にメジャーデビューしたレイ・ホルバート内野手です。

 

同じようなキャラながら95年は開幕時ロースター入りし、サンディエゴに比較的近いトーランス出身でフランチャイズ選手として守備堅め要員で起用されました。

 

しかし弟同様打力はメジャーレベルでは厳しく時々マイナーで打率.300近くでブレイクの兆しを見せるもメジャーは5シーズンで通算45安打と目立つキャリアではありませんでした。

 

もう一人、お正月から渋いファミリーを紹介。

 

 

画像は、ジョー・シダル捕手です。

 

87年アマチュアFAでエクスポズに入団し、93年にメジャーデビュー。

 

その後96年マーリンズ、98年タイガースとメジャー4シーズンで通算74試合しか出場していない渋い控え捕手です。

デトロイトから川ひとつ渡ったカナダ、ウィンザーの出身でフットボールのQBとして奨学金をもらって大学でプレーするもドラフト外でエクスポズ入り、強肩とアメフト仕込みの頭脳で若い投手を引っ張るリードにも定評のある捕手ながら、なかなか渋い選手だと思います。引退後はブルージェイズのテレビ解説を務めています。

 

彼が注目されたのは、

 

93年9月6日のモントリオールでのロッキーズ戦。

 

 

先発投手は、モントリオール出身のデニス・バウチャー投手で、移籍後初登板の先発試合でバッテリーを組んだという試合でした。

(フランス語読みか当時の名鑑ではデニス・ブーシェイ表記でした。)

 

スタメンバッテリーが共にカナダ出身という史上初の試合で、スタメンにカナダ人(ラリー・ウォーカー)が3人プレーした初の試合、更にカナダ人で最初にブルージェイズとエクスポズでプレーした初の選手(バウチャー)といくつものカナダ野球史に残る試合となったのです。モントリオールのオリンピックスタジアムは4万66人という記録的観衆が集まり、試合後のインタビューは2時間45分にも及んだというモントリオールが熱い日だったのです。

 

余談ながらバウチャーは87年にカナダ代表のエースからドラフト外でブルージェイズ入り、インディアンズを経てロッキーズのエクスパンションドラフト指名を受けるもユニフォームを着ることなくパドレスに移籍し、マイナーでのプレーが続き、93年にエクスポズに移籍し地元復帰で9月だけのプレーで3勝1敗、防御率1.91と大活躍しました。94年に調子を落としマイナー降格するとストの影響もあり、表舞台から遠のきました。引退後はエクスポズ、ナショナルズのスカウトやカナダ代表の投手コーチとしてアテネ五輪からプレミア12まで投手陣を指導し、現在はヤンキースのカナダスカウトをしているとのこと。

 

2011年にはケベック州のスポーツの殿堂入りも果たしています。

 

さて話はシダル捕手ファミリーに戻って、彼の息子さんが、、

 

 

2015年アスレチックスからドラフト13巡目指名でプロ入りしたブレット・シダル外野手です。

 

左投げ左打ちということで外野手でプレー、指名後から1Aショートシーズンに始まり3シーズン目を迎えた17年シーズンは1Aアドバンスでプレーし、打率.300、21本塁打68打点と父とは違う強打者としての一面を見せ、マイナー組織内でも注目を集める存在で今後が楽しみな23歳です。

 

 

さて、メジャーリーグファンでも90年代にメジャーでほとんど知られなかったふたり、アアロン・ホルバートとジョー・シダルをなぜ取り上げたのかと言いますと、、、

 

実はこの二人はもうひとつある歴史的な試合で同じフィールドでプレーしたというつながりがあります。

 

それが、、、

 

 

2000年6月1日レッドソックスの3Aポータケットでチームメイトだった大家友和投手の完全試合で一緒にプレーしていたというつながりを持っていました。

 

ポータケットの歴史に残る大家投手の完全試合達成に貢献したホルバートとシダルのファミリーネタという渋くそれでいて日本ともどこか縁を感じる紹介でした。

 

ちなみにシダル捕手は、この試合で現役を引退したというエピソードまで持っています。

 

いやぁ、一見数字だけでは見えないメジャーリーガーの一面が見えてくるベースボールカードの魅力。

これだからカードを集めるのがやめられない。と思っております。

 

またファミリーネタやそれにまつわるネタがあれば紹介します。

 

 

 

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ベースボールカードのススメ その126

 

本日紹介する家族ネタは、渋いバックアップ捕手の話です。

 

画像は、球界で初めてアイスホッケーのゴーリータイプのマスクを使用した捕手、チャーリー・オブライエンです。

 

3度のドラフトで82年にアスレチックスの5巡目指名でプロ入りし、85年から2000年までのキャリア15シーズン800試合に出場し、40歳まで現役を続けた実力者です。

 

メッツ時代の93年には、延長10回で試合を決める本塁打を打った試合が2回あったり、キャリア唯一の盗塁を決めたりとオフェンス面で話題となりましたが、あまり打撃は得意ではなく、リーグでベストのディフェンシブな捕手との評価でした。

 

とりわけ当時の球界最高の投手グレッグ・マダックスが強打のレギュラー捕手ハビー・ロペスではなく、控えであるオブライエンを指名し、パーソナル捕手という役割を確立し、世に広めた捕手でもあります。

 

そんなチャーリーに9歳年下となる弟がいました。

それが、、、

 

 

ジョン・オブライエン内野手です。

 

91年カージナルスの34巡目指名でプロ入りし、3シーズンで最高位1A+までの昇格でリリースされると、94年からは独立リーグのテキサス・ルイジアナ・リーグでプレー。ここでは8シーズンもプレーし、3度の本塁打王、MVP1回、オールスター選出6回とリーグの看板選手としてプレー。99年のシーズン39本塁打は当時のリーグ新記録でした。(翌年オジー・カンセコが48本塁打で記録塗り替え)

 

マイナー、しかも独立系ではありながら兄とは違う強打が売りの選手でしたが、兄の名捕手らしい遺伝子は、リーグ晩年はプレーイングマネージャーとして活かされていたかもしれません。

 

そんなジョンのおい、つまりチャーリーの息子が現在マイナーで奮闘中です。

 

それが

 

 

クリス・オブライエン捕手です。

 

キャッチャーを務め、ホッケータイプのマスクに、オールスター社製のキャッチャーギアに、ずんぐり気味の体格、父親譲りな雰囲気がバッチリのクリスは、89年生まれの28歳で2011年にドジャースの18巡目指名を受けてプロ入り。

 

父と同じ、そしてブルージェイズの英雄ジョー・カーターもプレーしたウイチタ州立大出身、現在はオリオールズ傘下のマイナーで16年、17年と2シーズン続けて2Aと3Aを行き来しているところです。

 

成績を見ると打力も父譲りのようで、ディフェンシブな捕手のようです。

 

あとはメジャーのローテーション投手のひとりにパーソナル捕手として引っ張り上げてもらえることを期待です。

 

ノムさんじゃないですが、捕手の家族ネタって意外に多いんですよね。

また捕手ネタもしてみたいと思います。

 

では!

 

 

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ベースボールカードのススメ その125

 

ベースボールカードで紹介するファミリーネタ。

 

今回は、今話題のエンジェルスの選手でいきましょう。

 

画像は、90年代エンジェルスのショートでレギュラーを務めたゲイリー・ディサシーナ選手です。

 

88年ドラフト6巡目指名を受け、直後にショートシーズンの1Aベンドで活躍。

2年目の89年には実質プロ初のフルシーズンを2Aのミッドランドで過ごすといきなりオールスター選手になる活躍で広い守備範囲、強い肩、スピードもあり期待され、9月には早くもメジャーデビューを果たします。

 

翌90年は3Aのエドモントンからのスタートで打撃に苦しむも内野のポジションをこなせる便利屋としてまた9月に昇格。

 

当時のエンジェルスは守備のうまいディック・スコフィールド遊撃手がレギュラーでいたものの、トレードで放出した後は、こちらも名手のルイス・ソーホーを起用するつもりでしたが、91年に同じ3Aで劇的に打撃成績がUPして92年からはエンジェルスのレギュラーショートに成長します。

 

それまでは、後の殿堂入り左腕、ブレーブスのトム・グラビン投手と高校のチームメイトだったこと。

 

マサチューセッツ出身で、メジャー定着後引退したNBAボストン・セルティックスのスター選手のラリー・バードに敬意を示して背番号を33番にしたこと。(その後殿堂入りのエディー・マレー入団時に33番を譲りましたが、、)

 

何時もユニフォームを汚してプレーする全力プレー、ポジションの嗅覚と基礎ができていて決して派手なプレーはないが、10年以上も使い込んだグラブで飛行機移動時も自分で機内に持ち込むなどオールドスタイルなショート。

 

という選手でしたが、95年に7度の首位打者経験者のOB、ロッド・カルーが打撃コーチになると打率.300越えで打撃開眼し、野茂投手が先発を務めたオールスターゲームにも選出されました。

 

そんな渋いディサシーナ選手も全力プレーのつけか故障がちになり、2000年シーズン故障離脱でキャリアを終えました。

 

2002年に地元ボストンのマイナーで復帰を目指すもフルシーズンプレーできずに引退しています。

 

実質12シーズンの間メジャーデビューから引退までメジャーではエンジェルス一筋という近年では珍しい選手となりました。

 

そんな彼のファミリーはこちら

 

 

3歳下の弟で91年にホワイトソックスの14巡目指名を受けてプロ入りしたグレン・ディサシーナ内野手です。

 

96年までの6シーズンを傘下のマイナーで過ごし、メジャー昇格はできず最高位は3Aでのプレーでキャリアを終えましたが、兄と同じくショート、あるいはサードを守るコンタクトヒッターでした。

 

キャリアのハイライトは、94年の2Aバーミンガム・バロンズでのプレー。

 

この当時このチームの話題と言えば、この人。

 

 

そう、バスケの神様マイケル・ジョーダンが野球に挑戦していた時期です。

 

チームメイトであるグレンは、当時のジョーダンに関するインタビューで、18歳でプロ入りしてれば4〜5年でメジャーに行けたのではないかという身体能力の高さを挙げていたり、地元セルティックスファンということで、英雄ラリー・バードのほうがシュートがウマイなどと冗談をよく言っていたとのこと。

 

そんなボストン近郊のグレンのキャリアの想い出を聞かれると、オープン戦でこれまたボストン近郊の英雄となるクレメンスと対戦したこと(結果はツーベースヒット)という面白いコメントが残っています。

 

そんなグレンは97年のシーズン前に肩の故障で回復に2年はかかると言われたため26歳にしてキャリアを終えました。

 

引退後は、地元レッドソックスのマイナーで監督を務めていた兄のチームの打撃投手を買って出るなど兄弟と野球の絆は健在。

 

その後、古巣のエンジェルスの特別アシスタントGMやベースコーチを務めた兄ゲイリーは、レッドソックスのベンチコーチになり、今季はシーズン中に息子がメジャーデビューし、試合を休んだファレル監督の代理として指揮をとることもありました。

 

そして18年もメッツにベンチコーチとして招聘されるなど。指導者の道でも渋い活躍を始めています。

 

話的にはオチがあるわけではないですが、話題のエンジェルスからバスケと野球の二刀流ネタ、来季のメッツの新コーチの紹介といった要素を込めたファミリーネタ紹介でした。

 

ではまた。

 

 

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ベースボールカードのススメ その124

本日紹介するのは、一瞬芸能ニュースかと思うファミリーネタです。

 

皆さんは福山雅治の父の同僚で、石田純一の父を殴った元大リーガーをご存知でしょうか?

 

答えはこの人。

 

 

ディック・デービスこと元近鉄バファローズのリチャード・デービス選手です。

 

チームメイト吹石徳一(福山義父)とプレーし、ライオンズ東尾修投手(石田義父)と乱闘したというオチ。

 

 

そんな前置きで本日は、娘ブリトニー(正確にはブリタニー)をベッカムに嫁がせた元大リーガーの紹介です。

 

もうオチがわかりきった感じですが、、、

 

 

08年ホワイトソックスドラフト1巡目指名で入団、翌年にはメジャーデビューを果たしたというゴードン・ベッカム内野手です。

 

キャリア9シーズンプレーしましたが、デビューイヤーがほぼ最高の成績でじわじわ成績を落とし、今季はマリナーズで11試合しか出場できず少しキャリアのピンチを迎える31歳現役大リーガーです。

 

ただ、3Aタコマで80試合出場、セカンド、ショート、サードでプレーできるユーティリティーとして来季もどこかの球団で渋い控えとしてベンチに必要な選手になるかもしれない存在です。

 

さて彼の奥さんブリタニーの父親でベッカムの義理の父が、、、

 

 

こちらも内野手で81〜95年の間キャリア15年プレーしたスコット・フレッチャー選手です。

 

父も50年代にマイナーで投手をしていたという野球一家の血を引き、79年カブスの1巡目指名でプロ入りするも、それまでにドジャース、アスレチック、アストロズからもドラフトされた逸材でした。

 

カブスではボーワ、サンドバーグという殿堂クラスの影に隠れホワイトソックスへ移籍、主にショートとしてプレーするも後のチームをワールドシリーズ制覇に導いたオジー・ギーエンの登場でレンジャーズへ移籍、その後ソックスの顔だったベインズとのトレードでアルバレス、ソーサらと共にまたホワイトソックスに戻ります。この頃から堅守のセカンドとして活躍しました。

 

マイナーや大学の監督やコーチを務め、14年までアトランタに在籍しており、13年に結婚したベッカムの地元ということもあり、ここらへんが家族の縁に関係してるのかもしれないですね。

 

さて義理の息子だけでなく実の息子もプロ入りしてたんです。

 

 

それがブライアン・フレッチャー外野手です。

 

07年アストロズ39巡目指名を契約せず、10年ロイヤルズ18巡目指名でプロ入り、ボー・ジャクソンもプレーしたオーバーン大学時代はフランク・トーマスに並ぶ通算49本塁打をマーク、11年には1Aでマイナーリーグドットコムが選ぶオールスター選手になり、13年には2Aと3Aで打率.292、17本塁打54打点と期待させるものがありましたが、故障の影響もあり成績を落とし15年4月に解雇されるとシーズンに入り父もプレーしたホワイトソックスのマイナーでプレー。16年シーズン前に解雇されると契約するチームは現れず、現在はプレーしていないようです。

 

故障するまではマイナーでもかなりいい成績だっただけに義理の兄弟でそろい踏みできる機会がなくて残念です。

 

カード収集をしていると今話題にするにはネタが少ないというようなファミリーのものも多く引き当てますので、ネタが尽きません。

 

また次回もメジャーな選手から渋い選手までいろいろ紹介します!

 

 

| ファミリー | 23:59 | comments(0) | trackbacks(0) | ↑TOP -
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