ベースボールカードのススメ その140

 

本日もファミリーネタ。

 

古い話が続けば、最近の選手も行きましょう!

 

ということで、大谷選手所属のエンジェルスの看板選手にして、メジャーリーグ最高の選手と評されるこの人。

 

マイク・トラウト外野手の出番です。

 

09年エンジェルスの1巡目指名を受けてプロ入りし、11年には19歳でメジャーデビューし、翌12年から今シーズンまで7年連続オールスター選出、シーズンMVP、オールスターMVPをすでに2度ずつ獲得している最高の現役選手と言っていいでしょう。

 

そんな彼の父親もプロ野球選手でした。

 

 

それが、こちらジェフ・トラウト内野手です。

 

82年にベースボールアメリカ誌が選ぶ大学オールアメリカンの二塁手として活躍すると83年にツインズの5巡目指名を受けてプロ入りしました。デラウェア大学時代には、元阪神のケビン・メンチに破られるまで学校記録の打率を残したとのこと、ちなみにその前にトラウトに迫ったのが、

 

 

元オリックスのクリフ・ブランボーだそうで、日本球界も歴史に生まれた歴史の男をスカウトしてますね。

 

と、、話がそれましたが、ツインズは83年当時全米1位の指名順を持っており、1巡目のベルチャー、2巡目のスウィフトと後にメジャーで活躍する投手を指名したものの契約がまとまらず、トラウトの父は実質3巡目といってもいいプロ入りでした。

 

83年にドラフト後、1Aミッドウエストリーグでプレーすると打率リーグ2位をマーク。

その後も2Aのオーランド・ツインズで3シーズンプレーし86年にも後にメジャーでプレーしたジーン・ラーキン三塁手とリーグ5位タイの打率を残すなど、打力に定評があったものの、4度のひざの手術を経験し三塁手としてプレーしていく中で、トラウト父がドラフトされる前年からチームのレギュラーとして不動の地位を築いたゲイリー・ガイエティ三塁手の壁を感じ、4シーズンでキャリアを終えました。2Aまでのプレーながら通算打率.303は、立派な成績だったと思います。

 

ちなみにトラウト父の壁となった男。

 

 

ゲイリー・ガイエティは、79年のツインズ1巡目指名でプロ入り、初打席初本塁打や1試合2回のトリプルプレーに参加、98年のマグワイアとソーサによる本塁打記録争いが盛り上がった歴史的シーズンに両チームに所属しチームメイトとしてプレーした選手、トレードなし、解雇かFAによる移籍のみで6球団20シーズンプレーしたという珍しい話題に事欠かないだけでなく、オールスター2回、ゴールドグラブ4回、30本塁打超え3回、100打点越え2回と攻守に実力を発揮し、80年代から90年代にかけてメジャーを代表する三塁手のひとりでした。

 

2000年に引退し、メジャーの打撃コーチを務めたり、2012年から昨年まで独立リーグの監督を務めました。

 

そんなトラウト父の壁、ガイエティにも息子さんがおり

 

 

それがジョー・ガイエティ外野手でした。

 

2003年12巡目にロッキーズに指名されてプロ入り、2007年に2Aと3Aで合わせて19本塁打60打点とメジャー目前までの活躍を見せるも、メジャーにはホリディ、ホウプ、タベラスという不動のレギュラーの壁があり、控えには元西武のスピルボーズがいるなど層が厚く、チームもワールドシリーズに出場するなど絶好調のため、昇格のチャンスを逃しました。その後はマイナーを転々とし、2010年に独立リーグのランカスター・バーンストーマーズでのプレーを最後に引退となりました。

 

ランカスターでは元西武のマルハーン、元ロッテのワトソン、元横浜のハーパー、元巨人横浜の西、元オリックスのヤング、コロンカなど日本ゆかりの選手たちもプレーしていました。

 

 

 

2世選手として、父親のキャリア、父親の越えられなかった壁となった選手のキャリア、そしてその2世のキャリア、今のところすべてを凌駕したといえるマイク・トラウト外野手はまだ26歳。この先がどうなるのか楽しみですね。

 

 

 

 

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ベースボールカードのススメ その139

 

本日紹介するのは、大家族ネタです。

 

画像は60年代から80年代にかけて20シーズンをメジャーでプレーしたドミニカン、マニー・モタ選手です。

 

オールスター1回、通算打率.304と巧打の選手ですが、100試合以上の出場は8シーズンで、主に対左投手の外野手、また代打としてキャリアを築きました。

2001年にレニー・ハリスに破られるまで代打での通算最多安打のメジャー記録を持っていた仕事人です。

 

そんな彼の息子たちがメジャーを目指してプレーしました。

 

 

まずは65年生まれのホセ・モタ選手。

大谷所属のエンジェルスのレポーターとして現地テレビ局の映像でよく見かけます。

その他、ラテン系向けの野球情報番組のホスト役を務めたこともあります。

 

85年のホワイトソックス2巡目指名ということで父の縁故採用でのプロ入りではない実力を感じますが、91年パドレスで95年ロイヤルズで合わせて19試合しかメジャーでプレーしておらず、通算安打は8本でした。

 

しゃべる仕事が得意なのか、ケビン・コスナー主演のラブ・オブ・ザ・ゲームにも出演するなど、プレー以外の活躍で名をはせています。

 

次に

 

 

66年生まれの弟アンディ・モタ選手が続きます。

 

87年アストロズの12巡目指名と高くない評価ながら兄ホセと同じ91年にアストロズでデビュー。

彼も残念ながら1シーズンだけのメジャーでのプレーでしたが出場は27試合、通算は17安打しています。

 

ストライキの94年限りで引退をしエージェントに転身、ハンリー・ラミレスをはじめとするドミニカ出身選手などをクライアントとして活躍しています。

 

続いては

 

 

69年生まれの弟、ドミンゴ・モタ選手です。

 

90年ドジャースの31巡目指名ということで、メジャー昇格が期待できる指名順位ではなく父の所属チームからのドラフトのため大きな期待は受けていないものの6シーズン、ロイヤルズやレッズの傘下にも移籍し、プレーを続け最高2Aまで昇格しました。

 

更に続いて

 

 

70年生まれのゲイリー・モタ選手です。

 

通称マニー・モタJr.とも呼ばれますが、ドミンゴと同じ90年のドラフトで兄アンディ所属のアストロズから2巡目指名を受けてプロ入りしました。

 

それまでの守備のいいスピードのある内野手というモタ一家の流れを汲まない強打の外野手で、92年にはマイナーながらリーグのMVPに輝く活躍を見せています。

 

結果的に最高位は2Aクラスでしたが、メキシカンリーグや独立リーグでもプレーするなどメジャー昇格を目指すも8シーズンのプレーで終了しました。

 

最後は少し離れた弟

 

 

77年生まれのトニー・モタ外野手です。

 

95年ドジャースの15巡目指名でプロ入り、メジャーまでは到達できなかったものの、3Aまで昇格し、マイナー8シーズン、独立リーグ3シーズンと2005年までプレーしました。

 

突出した成績はないものの、5シーズンもシーズン100安打以上を記録するなど、マイナーではコンスタントに活躍しました。

 

2002年にはカージナルス傘下で、元オリックスのナナリーや田口などとチームメイトとしてプレーしました。

引退後は、ルーキーリーグなどのコーチを務めていました。

 

兄弟選手の多いメジャーリーグですが、マイナーまで幅を広げると知られざる兄弟が現れることもしばしば。

 

大家族ネタの面白いところです。

 

また機会があれば大家族ネタを行います。

 

 

 

 

| ファミリー | 23:09 | comments(0) | trackbacks(0) | ↑TOP -
ベースボールカードのススメ その138

 

本日紹介するファミリーネタは、

70〜80年代に活躍した名選手で1979年に開催された日米野球で来日したメンバーにスポットを当ててみました。

 

まずは、メジャーで19シーズンプレー。

8年連続を含む10回のオールスター選出で2度のMVP受賞。

74年のナ・リーグMVP。

ゴールドグラブ4回。

6回のシーズン200安打以上を記録。

通算272本塁打1308打点という記録にも記憶にも残る名選手。

ドジャースとパドレスで活躍したスティーブ・ガービー選手です。

 

彼のファミリーは、息子さん

 

 

ライアン・ガービー外野手です。

 

2011年フィリーズのドラフト15巡目指名で契約せず、翌年ロッキーズの33巡目でプロ入り。

ルーキーリーグでは、同期の上位指名選手のデビッド・ダール、エディー・バトラー、マット・カラシティ(現ヤクルト)らと共にプレーし、29試合ながら打率3割をマーク、翌年もルーキーリーグでプレーするも苦戦し、3シーズン目の1Aショートシーズンを最後に21歳の若さでキャリアを終えました。しかし昨年2年のブランクを経て独立リーグで現役復帰しました。

まだ24歳、名選手の遺伝子に期待されるも2年のブランクは大きかったかキャリア最低の成績となり再び引退となりました。

 

独立リーグを除くマイナー通算は124試合で打率.249、12本塁打57打点と成績的にはまずまずながら、同期でメジャーまで到達した選手達との差は大きかったのかもしれないですね。

 

続いての79年来日選手は、、、

 

 

15シーズンメジャーでプレー。

81年首位打者。

88年オールスター選出。

89年にはアスレチックスで世界一を経験。

通算2074安打の安打製造機。

カーニー・ランスフォード三塁手です。

引退後も師匠トニー・ラルーサ監督のもと打撃コーチをアスレチックス、カージナルスで歴任、その後ベイエリアのジャイアンツでもコーチをした後、台湾に渡りコーチを務めラミゴ・モンキーズの台湾シリーズ制覇に貢献しました。

 

彼の弟が、

 

 

79年パドレスの1巡目でプロ入りしたジョー・ランスフォード。

82、83年にメジャーで計25試合のプレー経験がありますが、83年からFAで前述のガービーが移籍してきたため一塁のレギュラーを掴むことができませんでした。

マイナーでは通算9シーズンで138本塁打と30球団ある今ならメジャーで活躍できたかもしれない選手でした。

 

兄カーニーの息子、弟ジョーの甥っ子が

 

 

ジャレッド・ランスフォード投手です。

 

2005年父もプレーしたアスレチックスのドラフト2巡目でプロ入り。

最高位3Aまで到達するも2011年シーズンを最後にアスレチックス傘下を退団。

その後独立リーグで3シーズンプレーしました。

2014年に救援から先発投手に配置換えしたことが功を奏して、2015年に台湾リーグのラミゴと契約最多勝タイの16勝をマーク。

更に2016年は義大ライノスでプレー。2017年はイタリアでプレーし、30歳を迎える今季もプエルトリコのウインターリーグに参加するなど、まだプレーを続けています。

 

そんなジャレッドに兄がいまして

 

 

それが画像右側のジョシュア・ランスフォード内野手です。

 

2003年のレンジャース39巡目指名で契約せず、2006年のカブス6巡目指名を受けてプロ入りしたため、弟が先にプロ野球選手になりましたが、2008年の2Aでのプレーが最高位でした。

 

2009年から投手へ転向し再起を目指し、2010年からは父の古巣アスレチックス傘下、2012年からは弟と同じ独立リーグのロングアイランド・ダックスで3シーズンチームメイトとしてプレーしました。

 

アスレチックスや台湾行きなど、父が在籍したチームとの関係も使いながら何とか続けた2世たちのチャレンジは、選手として本当にプレーをしたいんだという情熱が伝わります。

 

最後は、この人。

 

 

オールスター3回。

打率3割20本塁打越え3回。

左投手に強い、死球王4回

84年タイガース世界一のメンバー。

16シーズンのメジャーキャリアで最初のシーズン以外はすべてレギュラーを務めてきたというタフガイ。

 

チェット・レモン外野手です。

 

長打率5割超えのシーズンが1度あったり、リーグトップの成績を振り返るとレンジファクター、フィールディング・パーセンテージなどいろんな数字で評価がされる現在にその実力が再評価されるような名外野手でした。

 

そんな彼の息子さんが

 

 

2006年レンジャースの4巡目でプロ入りしたマーカス・レモン内野手です。

父がプレーしたタイガースやホワイトソックス傘下のマイナーで最高3Aまで到達するもメジャー昇格がかなわず、昨年独立リーグでプレーしたことを含めてマイナー12シーズンを過ごしました。

 

4球団の傘下のマイナーを経て独立リーグまで行き、バッテリーと一塁以外のポジションをこなすなどのユーティリティぶりは、いつか指導者としてメジャーの舞台に挑戦できるかもしれませんね。

 

本日は唐突な日米野球来日選手の2世たちの今を紹介しました。

 

サラッと紹介する気が長くなりました。

 

 

| ファミリー | 23:16 | comments(0) | trackbacks(0) | ↑TOP -
ベースボールカードのススメ その137

 

お得意のファミリーネタが、ちょっと古いネタが多いのでたまには旬の選手も紹介です。

 

大谷選手と同じ背番号17番でリーグを席巻する注目度を誇る若手スター、クリス・ブライアント選手です。

 

2010年にブルージェイズの18巡目指名を受けるも大学へ進学。

 

大学球界最高の選手となった2013年のドラフトでカブスの1巡目、全体2番目の指名を受けてプロ入りすると2015年には昇格して新人賞を獲得、オールスターにも選ばれる大活躍で、翌2016年には、チームの世界一に貢献し、MVPにも輝いています。

 

今季は頭に死球を受けたり、肩のけがなどで例年より成績が良くないと言われるものの、カブス史上最速の通算100号本塁打もマークするなどオールドファンも評価しやすい成績の数値は決して悪くないので、今シーズンも終わるころにはその存在感が大きくなっているかもしれません。

 

そんなクリスを学生時代からコーチしたのが、、

 

 

父親のマイク・ブライントです。

 

80年のドラフト9巡目でレッドソックスの指名を受けて2シーズンだけマイナーリーグでプレーした外野手でした。

 

通算121試合出場して打率.204、4本塁打25打点と打撃では思うような結果が残せませんでした。

 

試合数から見ると通算の捕殺が9個あるので外野手として強肩だったのかなと想像しますが、プロに早く見切りをつけアマチュアの指導者に転身し、打撃コーチとしてメジャーリーガーを育てたというのは素晴らしいですね。

 

ちなみに、父マイクのドラフト同期、マイナー同期で後に活躍したのが、

 

 

アルコール、薬物などプレー以外に話題を提供しつつも、本人が名づける変化球を駆使して活躍、メジャー10シーズンで通算78勝し、日米野球にも来日したデニス”オイルキャン”ボイド投手。

 

バックドア○○○なんて変化球を聞いたのは彼が初めてだと思います。

 

45歳に独立リーグで現役復帰するなど、定期的に話題にのぼる名選手でした。

 

あまりメジャーの世界で大成した選手は多くなかったボストンの80年ドラフト組でしたが、

 

 

後に近鉄でプレーしたパット・ドットソン選手も在籍。

 

マイナー時代はチーム1の強打者という感じでした。

 

いつか日本でも1軍経験なし、独立リーガーの子供たちが、プロ野球のオールスタークラスで活躍する日がくるかもしれませんね。

 

 

 

 

| ファミリー | 03:02 | comments(0) | trackbacks(0) | ↑TOP -
ベースボールカードのススメ その136

本日紹介するのはお得意のファミリーネタ。

 

 

本日の主役はマイナーリーグで左の中継ぎ投手として活躍中の渋い選手。

 

クレイグ・シットン投手です。

 

2009年レッドソックスの17巡目指名を受けプロ入りを見送り、翌2010年にロッキーズの7巡目指名で入団し、マリナーズ、ジャイアンツの傘下のマイナーを渡り歩き3Aまで辿り着きプレーを続ける29歳。

 

昨シーズンまでマイナー通算349試合で先発わずか3試合と典型的なブルペン投手です。

 

一見、左キラーで短いメジャー昇格があるか30歳をメドにキャリアを終えるかという微妙な存在で、恐らく脚光を浴びることのない投手かもしれません。

 

しかし、この名前でピンと来たらかなりのアメリカ4大スポーツマニアでしょう。

 

彼のいとこが別のスポーツで活躍してました。

 

そう、あのチャーリー・シットン選手です!

 

え、誰?

 

あ、こちらです。

 

 

84年ドラフト2巡目でダラス・マーベリックス入りしたオレゴン州立大出身のスモールフォワード。

 

そうNBAでプレーしたプロバスケ選手です。

 

ちなみに84−85シーズンのたった1シーズンだけプレー、43試合で39点をマークしたという超渋な選手。

 

互いに渋い家族ネタなんでこれ以上の情報が少ないですが、

 

実は野球選手に戻っていとこのクレイグは、今シーズン米独立リーグのアトランティック・リーグでプレーしてます。

 

下手なマイナーより、レベルが高く、シーズン中の緊急補強などで毎年数十人単位で海外リーグやメジャー傘下のマイナーと契約をするチャンスが転がっているリーグと言われています。

 

で、クレイグが今季所属するのがシュガーランド・スキーターズで、実はロッテ、阪神、DeNAでプレーした我が故郷奈良県出身のプロ野球選手、久保康友投手がつい先日契約し、登板したチームなんです。

 

ちなみに、チームメイトには元MLBオールスターのデレック・ノリス捕手、西武でプレーしたポウリーノ投手やオリックスでプレーしたランズラー投手、メジャー、韓国で活躍したミッチ・タルボット投手など豪華な顔ぶれ。

 

さらに祖父ジョー、父ジョーJr.

 

 

もメジャーのマウンドに上がり、2015年のプレミア12でアメリカ代表にもなった

親子3代メジャーリーグの投手という

 

 

ケイシー・コールマン投手も所属しています。

 

そして、そんな個性的な選手を指揮する監督が、、

 

 

元ロッテのピート・インカビリア氏という豪華メンバー。

 

父も兄もマイナーリーガーだったインカビリア氏ですが、兄トニーの息子トーマスはアメリカン・アソシエイションという独立リーグで2009年、2010年とプレー。

 

 

2シーズン35試合で通算打率.209、0本塁打、9打点と叔父譲りのパワフルな打撃はありませんでしたが、実はこの時チームの監督だったのが叔父であるピート・インカビリア氏だったという納得の起用理由。

 

ちなみにこの頃同じチームに日本ハムから今季メジャー復帰を果たした

 

 

クリス・マーチン投手もプレーしてました。

 

更には、今季ノーヒッターを記録したジェイムズ・パクソン投手もプレー。

 

独立リーグから化ける選手が現れることもしっかりわかる歴史ですね。

 

 

 

渋い別スポーツファミリーから渋い3世代ファミリーで、最後は得意の助っ人ネタでしめる。

 

マニアックファミリー紹介でした。

 

 

| ファミリー | 23:32 | comments(0) | trackbacks(0) | ↑TOP -
ベースボールカードのススメ その135

 

本日紹介するのはちょっとマニアックなファミリーネタ。

 

画像の選手は、クリス・ロバーソン外野手。

 

01年フィリーズの9巡目指名を受けてプロ入り。

 

06年にデビューし、2シーズンで計85試合出場、通算打率.232、0本塁打2打点5盗塁とあまりパッとした結果を残さず、27歳にしてメジャーの世界から消えてます。

 

しかし、今年38歳、8月には39歳になりますが、まだ現役なんです。

 

マイナーでの成績は、打率3割近くながら本塁打はメジャー昇格前の06年の15本がキャリアハイ。

 

彼の転機は2010年に移籍したメキシカンリーグでのプレーでした。

元々オフの間の修行でメキシコのウィンターリーグでプレーしていたことでメキシコの野球に見事にフィット。

 

夏はモンテレーで100試合程度、冬はメキシカリで60試合程度とコンスタントにプレー。

2012年のみアメリカに戻ってますが、2010年から2017年まで打率はすべて3割オーバー、2014年には打率.384という驚異の活躍でメキシカンリーグの顔という存在になりました。

 

また2014年はカリビアンシリーズに進出したメキシコチームでシリーズ制覇に貢献し、MVPも受賞とカリブの冬では知られた存在になっています。モンテレーでは、元オリックスのカリム・ガルシアや今季から中日でプレーしている

 

 

ゾイロ・アルモンテ選手とチームメイトとしてプレー。

 

ウィンターリーグでは、元オリックスのユニエスキ・ベタンコートやまたも今季から中日でプレーする

 

 

オネルキ・ガルシア投手らと共にプレー。

 

アメリカ人選手としては、7年ぶりというカリビアンリーグMVP、オールスターの常連ともなり、

メキシコ野球にフィットし私生活ではメキシコ人女性と結婚するなどメキシコを安住の地とすると、2017年にはWBCのメキシコ代表に選出され

チームは1次リーグで敗れたものの5打数2安打3打点とバリバリのメジャーリーガーやプロスペクト、日本で活躍する選手に負けない活躍で

地元ファンにもメキシコでの強さを見せつけてくれました。

 

さて、本人の紹介が長くなりましたが、ファミリーネタのほうです。

 

彼の父親がこのかた

 

 

69年のNBAドラフトでレイカーズの1巡目全体15番指名でプロ入り。

 

リック・ロバーソン選手です。

 

殿堂入りのウィルト・チェンバレン、ジェリー・ウエスト、エルジン・ベイラーらとプレーした実績を持ち、キャバリアーズ、ブレイザーズ、ジャズ、キングスなど計7シーズンNBAでプレーしたバスケット選手でした。

 

突出した成績だけでなくとも、いろんなつながりを持つロバーソン選手。

 

一見、キャリアの数字だけではわからない個性も見つけるきっかけになる。

 

ベースボールカードの楽しみのひとつのファミリーネタでした。

 

 

 

 

 

 

 

| ファミリー | 17:05 | comments(0) | trackbacks(0) | ↑TOP -
ベースボールカードのススメ その134

 

久し振りのファミリーネタは懐かしい助っ人選手の家族から

 

画像は、80年代後半から90年代前半に大洋や阪神で活躍したジム・パチョレック外野手です。

 

メジャーではブリュワーズで1シーズンだけのプレーに終わるものの、後に来日し阪神でプレーするディアーの控えとして活躍。

 

 

日本ではリーグ最多安打3回、首位打者1回の安打製造機として、また真面目でチャンスに強い堅実な選手としてパッキーの愛称で歴史に残る助っ人として認識されている名選手でした。

 

以前にも紹介しましたが、彼には兄がいまして

 

 

70年代から実に18シーズンメジャーで活躍したトム・パチョレック選手です。

 

通算打率.282、86本塁打503打点と渋い成績のキャリアで81年のマリナーズ時代には打率.326と活躍してオールスターにも選出されています。引退後もテレビの解説者として活躍。パチョレック家で最も有名な存在といえます。

 

実は、トムの上にもまだ兄がいまして

 

 

それが63年に1試合だけメジャーでプレーしたジョン・パチョレック選手です。

 

当時はヒューストン・コルト 45’sというチーム名でしたが、シーズン最後の1試合に出場して5打席で3安打2四球を記録する活躍を見せました。その後は腰を痛めプレーできず、マイナーで再起を目指すもメジャー復帰ならず引退。

 

通算打率10割という記録をメジャーで残したことになります。

 

またトムとジムの間にも5シーズンマイナーでプレーしたマイク・パチョレックという兄もいたとのこと。

 

懐かしい助っ人の兄弟の息子たちが更に後年メジャーリーガーを目指しました。

 

まずは長男ジョンの息子ピート・パチョレックは94年パドレスの16巡目指名を受けてプロ入り。

パドレスやドジャースの傘下で2Aまで昇格するも最後は独立リーグでプレーし2003年に引退後、大学のコーチに就任。

 

ピートの弟マック・パチョレック内野手が1歳下にいましたが98年にタイガースのドラフトにかかり、契約せず大学でプレー、その後独立リーグで5シーズンプレーしました。

 

 

そして次男トムの息子、トム・パチョレックJr.は98年に父も一時プレーしたメッツの43巡目でプロ入り。

 

ルーキーリーグのキングスポート、1Aショートシーズンのピッツフィールドと2チームでプレーするも成績は奮わず1シーズンでプロの世界を去りました。

 

 

トリはこの人でしょう

 

 

日本では一番有名なパチョレック、ジムの息子ジョーイもまたプロの世界へ。

 

2007年ジムも所属したブリュワーズの15巡目指名を受けてプロ入りしました。

 

画像の通り捕手ですが、サードや外野も守りユーティリティーな存在で2013年に3Aナッシュビルまで昇格したのが最高位となりますが、主に活躍できたのは2Aまでで、2015年独立リーグでのプレーを最後に引退。

 

通算の打撃成績も特筆すべきところはありませんでした。

 

ちなみに画像のカードはブリュワーズ傘下の2Aで2014年プレーしたものですが、当時のチームメイトは多数メジャーに昇格しており、なかでも。。。。。

 

 

昨年阪神でプレーしたロジャース選手。

 

 

今年巨人でプレーするヤングマン投手も一緒にプレーした仲でした。

 

結局9シーズンとジムの息子が最も長くプロでプレーし、最もメジャーに近づいたものの、パチョレック一家の第2世代はマイナーリーガーとしてキャリアを終えました。

 

長年野球ファンでいるとこういう2世、3世の登場が楽しみになってきます。

 

中にはドラフトの指名人数が多いので、コネや想い出づくり的ドラフトもありますが、そんな下位指名からも化ける逸材が現れるかもしれない楽しみもあります。日本でも育成枠の登場で昔より2世代目の選手が増えてきた気がします。

 

本当に毎年のように数件は挙がる家族ネタ。今年もアリアス、ドリスキルといった日本でプレーした助っ人の2世が指名されたとのこと。またそんな選手たちのベースボールカードが出てくるかも楽しみです。

 

 

 

 

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ベースボールカードのススメ その133

本日は、アメフトと野球の家族ネタで行きましょう。

 

ちょっとボリューム多めで、今回はベースボールファミリーの多いフットボールチームということでロサンゼルス(セントルイス)・ラムズを取り上げたいと思います。

 

まずはラムズ史上最高の選手の呼び声高い、殿堂入りと永久欠番29番、シーズン歴代最多ラッシングヤード記録保持者で80〜90年代前半に大活躍したランニングバック。

 

 

エリック・ディッカーソン選手です。

 

実は以前にも当ブログで紹介済みなんですが、当時はもうひとつの活躍したチーム、コルツのカードで紹介しました。

 

そしてその時も紹介した彼のいとこは、、

 

 

昨年までオリオールズの3Aでプレーした元メジャーリーガー、クリス・ディッカーソン選手です。

 

ふたりの紹介の振り返りは→コチラ

 

 

続いては、60〜70年代にかけて11シーズンで通算45タッチダウンを獲得し、1回のプロボウル(オールスター)に選ばれた往年の名ワイドレシーバー。引退後はTV解説でも活躍した。

 

ジャック・スノー選手です。

 

彼の息子さんが、

 

 

エンジェルス、ジャイアンツなどで活躍した巧打好守の一塁手。

J・T・スノー選手です。

 

90年代に6年連続ゴールドグラブを獲得したミットさばきはまさにワイドレシーバーのハンドリングの遺伝子を感じさせ、ともにカリフォルニアで活躍したという点も親子の絆を感じさせます。

 

02年のワールドシリーズでバットボーイを務めたベイカー監督の息子をホームクロスプレーに巻き込むのを未然に防ぐシリーズ史に残る名場面やボストンに移籍した実質最後のシーズン前に父親ジャックが他界し、レッドソックスでは背番号を慣れ親しんだ6番ではなく、父がラムズで着けていた84番に変更したというエピソードやジャイアンツの1日契約で引退する際は、始球式でなくイニング間の内野でのボール回しを行うなど記憶に残る名選手でした。

 

 

 

続いてはセントルイスとロサンゼルスという移転過渡期に12〜16年の5シーズンプレー。

 

タイトエンドとして活躍したコリー・ハーキー選手です。

 

ドラフト外で契約しチーム入りし、トレーニングキャンプで怪我をして、一度はカットされるも再び練習生で帯同して正式契約までこぎつけた粘りの選手、そこからの5シーズンプレーを続けたのは立派の一言です。

 

 

そんな彼の父親が、元メジャーリーガー

 

 

87年のドラフト1巡目全体でも4番目ドラフト指名を受けカブスに入団した右腕マイク・ハーキー投手です。

 

87年と言えば殿堂入りのケン・グリフィーJr.が全体1位指名のドラフト。

大学と高校からドラフトの年齢的差はあれどグリフィーより早くメジャーデビューし、90年には先発で二桁勝利を挙げるも故障が多く8シーズンで通算36勝に終わりました。引退後はチームメイトでバッテリーを組んだジョー・ジラーディがマーリンズの監督になるやブルペンコーチとしてスタッフに加わり、ヤンキースでもブルペンコーチを務めました。ダイヤモンドバックスでピッチングコーチになるも現在はヤンキースのブルペンコーチとして活躍しています。

 

 

 

続いては、11年のドラフト3巡目でラムズ入りしたワイドレシーバー、

オースティン・ペティス選手です。

 

4シーズンNFLでプレーして控えながら通算9つのタッチダウンを獲得したレシーバーです。

 

そのスピードとキャッチセンスは、叔父であるメジャーリーガー譲りでしょうか。

 

 

それが79年ドラフト6巡目でエンジェルス入りし、80〜90年代まで11シーズンプレーしたゲイリー・ペティス外野手です。

 

打率は2割台前半ながら通算354盗塁の俊足と5回のゴールドグラブを獲得し、最も浅い位置で守るセンターと言われた守備範囲の広さが売りの名外野手でした。現在は守備走塁のコーチとしてメジャーで活躍。17年はアストロズの三塁ベースコーチとしてワールドシリーズ制覇も経験しています。余談ながらNFLのチアリーダーをしていた妻との間に4人の子供さんがいますが、息子カイラーは俳優として活躍。更に大学生の息子ダンテは、ワシントン大でワイドレシーバーとしてプレーし、NCAAのパントリターンタッチダウンの記録を保持するなどプロ注目のフットボール選手なんです。

 

更に余談で、85年トップス社のベースボールカードでは、

 

 

若かりし、ペティス選手のまるでアイドルのようなイケメンぶり。

そりゃ息子もイケメン俳優になるのもわかるわ。

 

と思いきや、

 

こちら弟でマイナーリーガーだったステイシーの写真だったという有名なエラーカードとなっている話題多きメジャーリーガーでした。

 

 

 

トリはこの人でしょう。

 

今NFLでも注目されている選手のひとり

 

16年のドラフト1巡目全体1位でラムズに指名されたクォーターバック。

 

ジャレッド・ゴフ選手です。

 

カリフォルニア大で26のチーム記録を打ち立てた大学フットボール界のスターとして注目されプロ入り。

カリフォルニア出身で49ersのファンということでジョー・モンタナに憧れてのナンバー16というところがオールドファンにもわかりやすいネクストスター候補ですね。

 

全米1位指名の注目の重圧や大学とプロとのシステムの違いに苦戦した1年目は7試合に出場して7敗というファンを失望させる結果になりましたが、2年目の17年シーズンは15試合に出場し11勝4敗と見事にアジャストし、チームをプレイオフに導きました。1回のパス成功による獲得ヤード数平均でリーグのトップになるなど全米1位指名の実力を見せてプロボウルにも選出されました。

 

そんなチームを牽引する頭脳と鋭いパスを通す強肩はメジャーリーガーの父から受け継いだものです。

 

 

そんな父は、86年マリナーズから3巡目指名でプロ入りした捕手。

ジェリー・ゴフ選手です。

 

大学を出るまでにもアスレチックス、ヤンキースと2度のドラフト指名を受けるプロ注目の存在だった父ジェリー。

大学時代はオールアメリカンのセカンドチームに選ばれる有望な捕手でした。

 

 

エクスポズ、パイレーツ、アストロズで控えの捕手として活躍。

 

マイナーでは力強い打撃もあり、メジャーでケガ人が出ればチャンスをもらえるといった存在でした。

メジャー初本塁打は90年シーズン、9回代打での決勝ホームラン。

 

メジャー最後の試合はアストロズでプレーした96年シーズンで、その年唯一メジャーで出場した試合ですが、古巣エクスポズ相手で4打数2安打うち1本は、本塁打と打撃で見せました。

 

が、メジャー記録タイとなる1試合6パスボールもマークし、不名誉な記録を残しつつの引退となってます。

 

派手な活躍と失敗が隣り合わせな部分まで親子で似てしまったのか?というゴフ選手ですが、来年もリーグを代表するQBとして父親を越えるビッグスターとして活躍してくれることを願います。

 

メジャーリーグファンのアメフト入門編として、どこのチームを応援したいか悩むかたはメジャーとの縁の多いラムズを応援してみるのも面白いのではないでしょうか。

 

 

 

| ファミリー | 02:40 | comments(0) | trackbacks(0) | ↑TOP -
ベースボールカードのススメ その132

 

今回もお得意のファミリーネタから

 

画像は83年ドラフト4巡目でオリオールズから指名されてプロ入りしたマーク・ライター投手です。

 

マイナー時代に肩を故障して3シーズンリハビリで全休するというキャリアに関わらず、90年にヤンキースでデビュー。

タイガース、エンジェルス、ジャイアンツ、エクスポズ、フィリーズなどを渡り歩き、先発に中継ぎに11シーズンもメジャーでプレーした渋い投手です。

 

リーグ最多のデッドボールを与えたり、最多被本塁打、最多失点など不名誉にも見える記録が多いものの、勝ちだしたら止まらないというタイプでどのチームに移っても連勝を続ける期間があるという面白い記録を持つ投手です。

 

またフィリーズ時代には35歳にしてシーズン20セーブを挙げる活躍をするなど存在感のある投手でした。

 

特に存在感でいうと彼の弟が、メジャー屈指の好投手である

 

 

アル・ライター投手で、84年ドラフト2巡目でヤンキース入りして、87年にはメジャーデビューと弟が先にメジャーでブレイクしたためにアル・ライターの兄という位置づけで話題に上ることが多かった印象です。

 

アル・ライターのキャリアは、ブルージェイズやマーリンズでワールドシリーズ制覇に貢献したり、オールスター2回、19シーズンで通算162勝を挙げ、シーズン15勝以上を4回記録したり、メジャーの全30チームから勝利した最初の投手になるなど突出しており、現在もTV解説で引っ張りだこと知名度も衰え知らずなんです。

 

兄弟の小ネタでいうと弟アルが87年、兄マークは90年ともにヤンキースで背番号56を着けてメジャーデビューをしていてヤンキース放出時のトレード相手は、弟アルがバーフィールド(巨人)、兄マークがロブロ(ヤクルト)と、のちの助っ人選手という偶然。

 

そんなライター兄弟には実はもうひとり一番年上の兄が存在しまして、、

 

 

それがオリオールズのマイナーでプレーしたカート・ライター投手です。

 

マークとマイナーでもチームメイトとしてプレーし、4シーズン先発投手を中心に通算17勝36敗、最高2Aまで昇格し、86年でキャリアを終えたマイナーリーガーでした。

 

チームでは最多のデッドボールを与えながら完投数もトップのシーズンがあるなどライター兄弟の特徴が出ているような成績ですね。

 

今まさにライター兄弟の話題がホットになってきてるんです。

 

それは、、

 

 

マーク・ライターのジャイアンツ時代の一枚から。

 

彼の胸に抱かれる息子さんが、、

 

 

マーク・ライターjr.投手です。

 

13年22巡目で父が晩年プレーし、20セーブを挙げた古巣フィリーズから指名されプロ入り。

指名直後からマイナー入りしてルーキー、1A、1A+と3つのレベルでプレーするなど上々の評価で、コントロールに定評があり、マイナー2Aでもオールスターに選ばれるなど、指名順位の低さと父の古巣にいるところから家族の縁による入団という話題先行型でなく、実力派であることを証明しました。

 

昨年は3Aまで昇格し、開幕を迎えると早くも4月の終わりには、、

 

 

待望のメジャーデビューを果たしシーズン3勝を挙げるなど、今シーズンも楽しみな若手投手のひとりなんです。

 

近年低迷の続いたフィリーズに復活の気配がしてきてるので、故障で開幕は遅れる見込みながら、深刻でないことと今季のブレイクを期待したいと思います。

 

 

 

| ファミリー | 23:47 | comments(0) | trackbacks(0) | ↑TOP -
ベースボールカードのススメ その131

 

本日は、懐かしの助っ人ファミリーの紹介。

 

画像は親子カードですが、左が父親、右が息子です。

 

もう名前が出ているのでわかると思いますが、元中日ドラゴンズの助っ人が息子のバンス・ローです。

 

父親バーノン(バーン)・ローは、1950年から途中兵役で2シーズンを抜けますが、16シーズンをパイレーツ一筋で過ごし通算162勝を挙げた名投手で、1960年には20勝を挙げてサイ・ヤング賞を獲得。実に18完投という離れ業でチームのワールドシリーズ制覇にも貢献しました。

 

しかも引退後79年〜81年までは

 

 

 

西武ライオンズでコーチも務めました。

 

そんなバーノンには5人の息子がおり、全員がVで始まる名前とのこと。

 

そしてそのひとりバンスが、

 

 

78年のドラフト39巡目という低い順位ながら父もプレーしたパイレーツから指名されプロ入りすると2年後には早くもメジャーデビューを果たしました。パイレーツのスター、ウィリー・スタージェルは親子と共にチームメイトとしてプレーしました。その後、ホワイトソックス、エクスポズ、カブスと渡り、10シーズンメジャーで活躍し堅守と巧打で鳴らし、88年にはオールスターにも選ばれました。そんなオールスター出場の2年後に中日ドラゴンズに入団。

 

打率.313、29本塁打78打点とキャリアハイの活躍をマークし、1シーズンで帰国しアスレチックスに復帰するなど、フィルダーやガリクソン、クロマティのような選手と同じく、日本でキャリアを終えずにメジャー復帰できるという流れを確立した選手のひとりとなりました。

 

ちなみにサイ・ヤング賞投手の息子として実はメジャーで7試合も登板しております。いずれもワンサイドゲームの敗戦処理的な当登板ながら8イニングで被本塁打ゼロ、防御率3.38となかなかのマウンドさばきだったようです。

 

引退後は母校のコーチなどを務めましたが、

 

ドラゴンズのキャンプ中である90年2月に生まれた息子さんが、、

 

 

2013年にドジャースから12巡目でドラフト指名されプロ入りしたアダム・ロー内野手。

 

父と同じブリガムヤング大出身、背番号2を着けてプレーしてますね。

 

16年の夏からマリナーズ傘下へ移籍し、現在最高位2Aクラスで奮闘中です。

 

父に比べて打撃、とりわけ長打力では苦戦している状況ですが、外野も挑戦したり、この冬も中米のウインターリーグに参加するなど何とかメジャーの枠に上がっていこうとプレー中です。

 

メジャーのキャンプに参加してますが、イチロー選手のチームメイトとなれば、話題になるかもしれないですね。

 

親子3代メジャーリーガー家族として歴史に名を刻みたいところです。

 

懐かしの助っ人家族ネタもまだまだあるので、また紹介したいと思います。

 

 

 

 

 

| ファミリー | 22:29 | comments(0) | trackbacks(0) | ↑TOP -
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