二刀流 その13

大谷選手の活躍が止まりませんが、マイナーリーグにも現在注目を集める

二刀流選手がいます。

 

ブレンダン・マッケイでしょ?

 

というベースボールファンのかたはさすがです。

しかし、当ブログは別の二刀流選手を紹介します。

 

それが、、、

 

 

アメリカンフットボールNFLでクォーターバックとしてプレーしたティム・ティーボウ選手です。

 

厳密にはフットボールからは引退してるので、二刀流ではないというツッコミは遠慮下さい。

 

2000年代後半にフロリダ大学でプレーしたカレッジフットボール界のトップスターとして君臨したクォーターバックで、大学フットボール界最高選手に贈られるハイズマン賞を受賞し、2010年にドラフト1巡目でブロンコスの指名を受けてNFL入りした期待の選手でした。

 

若くして注目を浴びたアスリートとしてありがちな自分を見失って落ちぶれていくタイプとは違い、両親がキリスト教の宣教師ということもあり、ロールモデルになるような落ち着きのある言動に体のサイズやプロでプレーするには変則的なフォームでパスの精度が低いなど言われることもありながらここ一番で神がかったような劇的なパスを通すというドラマチックなプレースタイルが身上でした。そんな彼についた愛称は神の子。まさにですね。

 

日差しよけに目の下に貼るシール(アイ・ブラック)にメッセージを書き込んだり、タッチダウンセレブレーションで片膝をついて祈りを捧げるポーズ(ティーボウイングと呼ばれるポーズ、70年代生まれのかたはJリーグで活躍したビスマルクのポーズといえばわかりやすい)は彼の代名詞となり話題性でも他の追随を許さない存在でした。

 

しかし、NFLの世界では1年目の終盤にチャンスをもらうものの、2年目の前にチームが超大物クォーターバックを補強し、放出される憂き目にあい、そのまま満足なプレー機会をえることなくチームを転々とし、2015年にイーグルスのキャンプで開幕ロスターに入れず引退状態。テレビ界からも引く手あまたで、カレッジフットボールの解説者を努めつつNFL復帰を模索しており、ある意味コメンテーターと現役フットボール選手という二刀流ともいえる存在。

 

しかし2016年に突如野球への挑戦を発表しました。

 

最後にプレーしたのは高校時代で誰もが無謀な挑戦と思いつつも、スカウトを集めてショーケースを行うなど本人は周到な準備を行っていた模様でした。

 

実はティーボウの野球挑戦に協力したのが、自身もアカデミーを持つ元メジャーリーガー

 

 

チャド・モーラー捕手でした。

 

ディフェンシブなキャッチャーで目立ったハイライトは2004年のブリュワーズ時代にホームで球団史上初のサイクル安打を達成したという渋めの選手です。

 

さて、ティーボウ選手の野球挑戦表明が8月ということでほぼシーズン終盤のため、すぐのプレーならと独立リーグが数チーム声をかけたようですが、最終的にはニューヨーク・メッツとマイナー契約をむすぶことで決着。

 

9月に教育リーグで29歳にしてキャリアをスタートさせます。

注目を浴びるもさすがに高校時代からのブランクもあり、満足な活躍はできませんでした。

 

2017年はキャンプの招待選手として話題を集めるもノーチャンスと思われましたが、メッツのメンバーがWBCのために10名以上抜けるとオープン戦の2チームをつくるため駆り出されるというチャンスをもらいました。

 

ここでもメジャーの壁に活躍できず、1Aからのスタートとなります。

 

 

しかし、コロンビア・ファイヤーフライズでデビュー戦で本塁打を記録。

 

その後6月には1A+のセントルーシー・メッツに昇格し、ここでもデビュー戦本塁打をマーク。

 

何か大学時代同様、神がかった活躍で注目を集めるティーボウ選手。

1年目の成績は2クラスで126試合出場で打率.226、8本塁打52打点と外野手としては平凡なスタッツでしたが、早くも有望なマイナーリーガーをベースボールカードにするシリーズに登場しており、メジャーリーガーでないぶんなのか大谷選手よりもレア度から高値で取引されるカードとなってます。(ちなみに画像は拝借したもの)

 

マイケル・ジョーダンの野球挑戦はストライキの影響もあり1シーズンでしたが、ティーボウは実質2シーズン目となる2018年もプレー、メッツのキャンプに参加しオープン戦ではまたも壁に当たりメジャー契約は勝ち取れずですが、2Aのビンガムトン・ランブル・ポニーズでプレーが決定。ここで神の子・ティーボウは、またもデビュー戦で本塁打を放つという活躍。

 

しかも50試合消化時点で上のレベルなのに昨年の成績を上回りそうな勢いという持ってる男ぶりを発揮してます。

 

イメージ的に日本でこの二刀流を例えるなら、ハンカチ王子ことファイターズの斎藤佑樹投手が、J2あたりでサッカーに転向するようなイメージでしょうか?

 

年齢、大学の国民的スター選手、アイブラックとハンカチ、ドラ1プロ入りも一部その実力に懐疑的な声もある、注目を浴びる活躍ができるなど何か妙な共通点を感じます。

 

 

30歳になっても持ってる男ティーボウ、メッツで観れる日が来るのか注目の二刀流マイナーリーガーです。

 

 

 

| 二刀流 | 23:11 | comments(0) | trackbacks(0) | ↑TOP -
二刀流 その12

 

最近は、ファミリーネタ、二刀流ネタ、あるいはオススメ本とすっかり定番ルーティン化してきた当ブログですが、、、

 

今回は二刀流の紹介です。

 

画像は、大谷選手が生まれた1994年にエンジェルスのドラフト3巡目で入団した二刀流の先輩です。

 

ポール・ファイア内野手です。

 

ピッツバーグ生まれで高校時代は、アメフトのクォーターバック、野球のショートとしてプレー。

地元紙が選出するハイスクール・アスリート・オブ・ザ・イヤーに選出される注目の存在で、91年にロイヤルズの7巡目指名を受けています。ここで契約することなく、殿堂入りのカール・ヤストレムスキー、ブリュワーズの監督クレイグ・カウンセル、そして大学時代に投手とワイドレシーバーの二刀流で鳴らしたジャイアンツの投手ジェフ・サマージャらを輩出した名門ノートルダム大学に進学しました。

 

大学ではフットボールについては、控えのクォーターバックながら野球では、93年には53試合で72本の安打を放ち打率.346と巧打とスピードのあるショートとして注目を集めました。

 

94年ドラフト後にショートシーズン1Aからスタートし、95年には打率.253ながらシーズン30盗塁を記録しました。

とはいえ失敗19という果敢と無謀の狭間のような成績です。この頃は後にメジャーでチームの核になるベンジー・モリーナ捕手やジャロッド・ウォッシュバーン投手らと共にプレーしてます。

 

96年には1A+に昇格し、オールスターにも選ばれますが、打者有利のリーグと言われるカリフォルニア・リーグでも成績は奮わず、97年にも打率.228と苦戦し、内野をどこでも守れる選手として活路を模索するも

 

 

元近鉄のラリー・バーンズや

 

 

第1回WBCオーストラリア代表トレント・ダリントンら

 

タレント揃いの内野手陣の控えに甘んじてキャリアを終えています。

 

マイナー4シーズン通算71盗塁が目立つ成績というところでした。

 

余談ながら94年ドラフトを少し振り返りますが、エンジェルスは45人指名してその年に契約に至った選手の中でメジャーに昇格できたのは4人だけで、

 

 

1位のマッケイ・クリステンセン外野手が

メジャー通算4シーズンで出場100試合未満、

 

 

6位のジェイソン・ディクソン投手が、2年連続二桁勝利、オールスター1回という実績ながら故障で4シーズンの活躍に終わり、

 

最も活躍したのが17位指名で8シーズンプレーし、

 

 

2005年にはベイスターズでも活躍したマイク・ホルツ投手

くらいという不作の年と言えたと思います。

 

その他のチームで指名された選手でいうと、ノマー・ガルシアパーラ、ジェイソン・バリテックあたりが、スターとして活躍。

ファイア選手より下位指名で大成した選手としては、19シーズン活躍のオールスター選手、A・J・ピアジンスキー捕手、現在ヤンキースの監督で球界のサラブレッド、アーロン・ブーン内野手、盗塁王スコット・ポッセドニック外野手、12年連続2けた勝利のハビアー・バスケス投手あたりでしょうか。

 

意外と日本でプレーした選手は多く、ニトコースキー、ボカチカ、ブキャナン、ラス、ムーア、ベバリン、パウエル、デイビー、ブロウワー、マウンス、ラロッカ、スタニファーなどなど凄い顔ぶれでした。

 

 

さて、話をポール・ファイア選手に戻しましょう。

 

野球界では苦しみましたが、再びフットボール界に戻るため大学でプレーする道を選びます。

 

98年インディアナ大学ペンシルバニア校に入り、カレッジフットボールに再挑戦し、クォーターバックとしてシーズン10勝2敗の好成績を残してチームをプレーオフに導きました。

 

その好成績から卒業後、99年にはアリーナフットボールリーグのニュージャージー・レッドドッグスに入団。

 

そして2000年には念願のNFLチーム、カロライナ・パンサーズと契約に至ります。

しかしながら、チームのロースターには残れずプレー機会なくリリースされました。

 

 

MLBもNFLも夢破れた二刀流のまま終わらないのが凄いところで、、、

 

 

2001年には当時プロレス団体のWWF(現WWE)が作った新アメフトリーグ・XFLのシカゴ・エンフォーサーズのドラフトに指名されるというチャンスが訪れます。

 

そこで先発クォーターバックの座を争ったのが、ノートルダム大学時代のレギュラークォーターバックで、カナディアン・フットボールリーグやアリーナ・フットボールリーグを渡り歩いてきたケビン・マクドゥーガルという因縁。

 

ここでロースターに残れず、キャリアを終えることになりました。

 

結局1年で終了した幻のようなフットボールリーグでしたが、2つのスポーツの二刀流キャリアとしては、成績だけでないドラマを持つ特殊な選手として歴史に残れたのではないでしょうか。

 

野球カードから知るマニアック二刀流選手の紹介でした。

 

| 二刀流 | 22:03 | comments(0) | trackbacks(0) | ↑TOP -
二刀流 その11

 

久し振りの二刀流紹介です。

 

今回はアメフトと野球の二刀流。

 

ハイズマントロフィー受賞経験あるランニングバックとしてNFLでプレーしたリッキー・ウィリアムス選手です。

 

95年フィリーズのドラフト8巡目で強打の内野手として指名されプロ入り。

プロでは外野手としてプレーすることになりました。

 

同時に奨学金を経てテキサス大でフットボールをプレーするかたわらマイナー・リーグでプレーしたということで、マイナーリーグとカレッジフットボールで二刀流選手となります。

 

野球の4年での通算成績は、打率.211、4本塁打、40打点、46盗塁ということでスピードが武器だったと言えます。

一緒にプレーした経験のある後のオールスター選手ジミー・ロリンズも今まで見たことのないスピードのある選手と評したとか。

 

 

 

 

大学で最高のフットボール選手に与えられるハイズマン賞を獲得し、99年にはドラフトでニューオリンズ・セインツから1巡目指名を受けNFL入り。

 

背番号34番、ランニングバック、外野手ということでボー・ジャクソンの再来を期待する声も大きかったですが、大学の4年間で野球のキャリアを終えました。その後もルール5ドラフトでエクスポズに指名されたり、レンジャースにトレードされるなんて話題が出ますが、野球をプレーすることなくフットボールに専念することになりました。

 

その選択はすぐに結果として現れ、02年にはマイアミに移籍して、NFLのラッシングヤードリーダー、プロボウル(オールスター)選手になりフットボールのトッププレーヤーの仲間入りをしました。

 

しかし、マリファナ使用のペナルティや引退騒動など、フィールド外の話題が多く、NFL以外でのプレーを余儀なくされたり、キャリアの全盛に大活躍できなかったイメージがあるものの、32歳になって再びスターターのチャンスをもらうと6年ぶりの1000ヤード獲得で見事なカムバックを果たし、晩年には通算10,000ヤード獲得と歴史に残る選手になりました。

 

野球選手としては、記録は残せなかったものの、何年かにひとり現れるエキサイティングな二刀流選手として、記憶に残る選手にはなれたかと思います。

 

 

 

 

| 二刀流 | 21:29 | comments(0) | trackbacks(0) | ↑TOP -
二刀流 その10

 

本日紹介する二刀流選手は、投手と打者の両方でメジャーリーグでのプレーができるかという期待をされた選手。

 

まさに今、大谷投手が注目されているのと同じ状況下にいた25年ほど前の選手の話です。

 

今回の主役は、画像のクリス・ロバーツ選手です。

 

89年ワールド・ジュニア・チャンピオンシップでアメリカ代表チームの外野手として2本塁打6打点活躍でチームの金メダル獲得に貢献。同年にはフィリーズからドラフト2巡目に指名されるも大学へ進学します。

 

91年には国際大会パン・アメリカン・ゲームで外野手として4本塁打でキューバのキンデラン、グリエル父らと大会トップの成績をあげて大会ベストナインに選ばれると、大学では投手としての才能も発揮、フロリダ州立大で3年時には6完投で8勝4敗、防御率2.34、100イニングを投げて84奪三振という活躍をしながら外野手兼一塁手として打率.300、12本塁打59打点14盗塁とまさに二刀流の大活躍をしていました。

 

そして92年にメッツのドラフト1巡目指名を受けます。当時はバルセロナ五輪の代表チームはアマチュアで構成されていたため、この年にドラフト上位指名を受けた大学生が中心の代表チームがプレー、ロバーツは投手として3試合リリーフとして登板。

 

そう、メッツはコントロールの良さから投手として注目。結局投手としてプロの道で生きていくことになります。

 

 

スピードは平均レベルながらカーブとチェンジアップが効果的で、ブルージェイズやヤンキースで活躍したジミー・キー投手のような投手だというスカウティングの通り、93年、94年とマイナーで二ケタ勝利を挙げて順調にレベルを上げていくも、故障もあり95年頃から調子を落としメッツのトッププロスペクトの評価も薄れていきます。

96年にはベネズエラのウインターリーグでノーヒッターを記録したり、決して投手の能力も低くなかったものの、アスレチックス、ロッキーズ、ブリュワーズのマイナーや独立リーグを転々として、最高は3Aレベルでメジャーリーグの舞台に立つことはできませんでした。

 

結局は、アマの強打者として鳴らした腕前を披露できず、プロ入りから投手の道を選択しましたが投手として打席に立った機会の中では3本の本塁打を放つなど、打撃の腕もまずまずでマイナーでも少しだけ打者で登場したこともありましたが、もう少し早く打者としての挑戦もしてみても面白い選手だったかもしれません。しかし引退後はアマユアの指導者として大学やアカデミーで投手コーチを務めるなど投手の魅力を大きく感じていたのかもしれませんね。

 

さて、、、ここまでロバーツ選手を紹介して、あの選手じゃ?と思ったかた。。

 

そうなんです。マイナーでプレーした際

 

 

同じ釜の飯を食ったのが、、、、

 

 

 

 

 

ジェフ・バリー外野手で、彼の紹介でテストを受けて入団。

 

 

 

 

彼は2000年に千葉ロッテでプレーした経験を持ちます。

 

先発リリーフをこなすいわゆるスウィングマンとして活躍、3勝5敗とまずまずの結果を残すもバリーと同じく1年限りでリリースされています。

 

派手でなく長くもないながら日本にもゆかりあるユニークなキャリアの二刀流選手の紹介でした。

 

 

 

 

| 二刀流 | 14:27 | comments(0) | trackbacks(0) | ↑TOP -
二刀流 その9

 

本日紹介するのは、野球とフットボールの二刀流です。

 

画像は、T−バックことテレル・バックリー外野手。

 

92年アトランタ・ブレーブスのドラフト38巡目指名を受けてプロ入りし、93年に傘下のメイコン・ブレーブスで1シーズンだけプレーしました。

 

 

というのもフロリダ州立大でコーナーバックやキックオフリターナーとして大学フットボール界のスター選手で、この時はすでにNFLグリーンベイ・パッカーズの選手でした(画像はドルフィンズ時代)。

 

91年に大学フットボール界の最高ディフェンス選手に贈られるジム・ソープ賞を受賞。

 

フロリダ州立大、コーナーバック、ジム・ソープ賞、

外野手、ブレーブス

 

このキャリアの特徴でピンと来た人。。。

 

 

大学の先輩で、同じポジションで88年にジム・ソープ賞受賞、外野手でブレーブス。

 

なんなら

 

 

ユニフォームの着こなしまでディオン・サンダースとよく似てます。

 

まぁ、後輩なんで憧れなんかもあるかもしれませんね。

 

ちなみにバックリーを指名した92年のブレーブスは44巡目指名で

 

 

93年にNFLドラフトでバックリーのグリーンベイ・パッカーズに5巡目指名を受けてフットボール界入りして

のちにジャクソンビル・ジャガーズに移籍してプロボウル(オールスター)選手になったQBマーク・ブルネルを指名していたというフットボール界に目を向けていたチームでもあります。

 

さて、話をバックリーに戻しますが、

 

 

メイコン・ブレーブスでの成績は42試合の出場で打率.196と貧打にあえぎ、1シーズンでリリース。

盗塁9個を記録したくらいがサンダースと同じくスピードを売りにしたイメージですが、6回も失敗していることなど野球選手としては、大成が難しかった様子です。

 

94年には独立リーグで28試合出場し22盗塁を決めるなど野球への意欲はありましたが、ここでも打率.202に終わり、メジャーを目指すには難しい選手でした。ここでプロ野球唯一となる本塁打を1本記録したのがハイライトでしょうか。

 

しかし、バックリー選手はNFLでは、非常に渋い働きを見せて92年から05年まで14シーズンのキャリアを計6チームを渡り歩いて過ごし、13年連続で記録したパスインターセプトは通算50を超えるという名コーナーバックとして活躍しました。

 

01年のペイトリオッツ所属時にはスーパーボウルも1度制覇した経験を持ちます。

 

通算50以上のインターセプトを記録し、プロボウルに選出されていない史上唯一の選手というところが先輩ディオン・サンダースと同じようなキャリアを築きながら対照的な選手でした。引退したのは同じ05年ということでサンダースが9回プロボウルに選ばれたことも考えるとサンダースの影に隠れた名選手ということだったことも否定できません。

 

ちなみにパッカーズの本拠地でタッチダウンを記録するとそのままエンドゾーンから2メーター近いフェンスを駆け上がり客席に飛び込み、ファンにもみくちゃにされながら得点を祝うタッチダウンセレブレーションのランボー・リープという名物があるんですが、一説では最初の考案者が、このバックリーであるとの説もあります。

 

彼がルーキー時代に1度しか記録していないパッカーズでのタッチダウンとその後のこの儀式の流行までの時差的には信じがたい気もしますが、これだけ目立つ要素を持ちながらNFLでも決して大きく目立たないバックリーの存在感がその説の信憑性を高めてくれているのは間違いないところです。

 

ということで今回は知られざる二刀流選手の紹介でした。

 

ふとBGMに河島栄五さんの『時代おくれ』を聴きたくなりました。

 

 

 

| 二刀流 | 10:56 | comments(0) | trackbacks(0) | ↑TOP -
二刀流 その8

 

本日紹介するのは、野球とフットボールの二刀流です。

 

画像は、D・J・ドージャー外野手です。

 

83年にデトロイト・タイガースのドラフト18巡目を受けましたが、契約せず大学に進学し、フットボールをプレー。

 

 

87年ミネソタ・バイキングスのドラフト1巡目指名を受けてフットボール選手としてプロキャリアを始めます。

 

87年〜92年バイキングスとデトロイト・ライオンズで計5シーズンプレー。

 

ランニングバックとして通算691ヤードを稼ぎ、NFLでもしっかり活躍。

 

90年にアマチュアFAとしてメッツと外野手として契約。

 

83年のジョン・エルウェイ、86年のボー・ジャクソン、89年のディオン・サンダースとNFLのドラフト1巡目を受けながら野球に挑戦したキャリアで注目を集めます。

 

90年のマイナーでは1A+と2A合わせてシーズン15本塁打80打点36盗塁をマークし、ベースボールアメリカ誌が選ぶトッププロスペクト100の44位に選ばれ翌92年同99位にランクされるとついに5月に26歳でメジャーデビュー。

 

 

しかし、外野転向が本格化したハワード・ジョンソン、FA加入のボビー・ボニーヤ、前年7年連続盗塁王としてFA加入したビンス・コールマンというオールスターメンバーに割って入ることができず、25試合で打率.191、0本塁打2打点4盗塁と実力を発揮できず、

オフには後に西武でプレーすることになるトニー・フェルナンデス内野手とのトレードでパドレスに移籍しました。

 

結局93年にパドレスとカージナルスの3Aで1年プレーするも満足な活躍はできず、メジャーに戻ることなくキャリアを終えました。

 

カージナルスの3Aルイビルでは、同じ二刀流のブライアン・ジョーダン外野手とすれ違うように所属。

 

ボー・ジャクソンの成功から二刀流が最も盛んだった時期の知る人ぞ知る選手の紹介でした。

 

 

| 二刀流 | 18:32 | comments(0) | trackbacks(0) | ↑TOP -
二刀流 その7

 

本日紹介の二刀流は、二刀流史上最も野球で成功した選手といっていいでしょう。

 

カージナルス、ブレーブス、ドジャース、レンジャーズなどで15シーズンもMLBで活躍したブライン・ジョーダン外野手です。

 

この名前でこの画像を見ると、バスケとの二刀流かと思いきや。。。

 

 

89年〜91年まで3シーズン、アトランタ・ファルコンズのセーフティーとして活躍しました。

 

85年にはインディアンズのドラフト20巡目で指名されるもプロ入りせず、88年にカージナルスの1巡目指名でプロ入り。

92年にMLBでデビューし、15シーズンもプレーし続けました。

 

マイナーリーガーの間にNFLでプレーしました。

アトランタ・ファルコンズということで、二刀流史上フットボールで最も成功したといっていいディオン・サンダースとNFLでチームメイトだったという縁があります。

 

フットボールでは3シーズン、タッチダウンなしとはいえ、最後の2シーズンはシーズン15試合の先発出場でロースターにいるだけという選手ではなかったところも野球に専念しなくても何シーズンかはプレーできただろうという存在でした。

 

野球は、20本塁打以上のシーズン4回、20盗塁以上のシーズン2回、100打点以上のシーズン2回、打率3割以上のシーズン3回、通算打率.282とバランスのいいプレーを見せるとともに125試合以上出場が7シーズンとケガの少ない選手として活躍しました。

 

99年にはオールスターにも出場。ワールドシリーズ制覇はないものの、カージナルス、ブレーブスなどで5シーズン、38試合に出場したプレイオフでも通算6本塁打27打点と勝負強さを持った名選手でした。

 

フットボール、野球の両方でアトランタに在籍したことからホームランの後にファルコンズのタッチダウンセレブレーションのダーティーバードダンスをしながらホームインするといった魅せる技も持った一面もあり、出身はオリオールズのあるメリーランド州ながら第2の故郷ともいえるジョージア州アトランタでテレビ解説の仕事など今も人気の元メジャーリーガーです。

 

いよいよフットボールシーズンも始まったということで、MLBとNFLの二刀流紹介でした。

 

 

 

| 二刀流 | 17:39 | comments(0) | trackbacks(0) | ↑TOP -
二刀流 その6

 

久し振りの二刀流紹介は、この人から行きましょう。

 

85年ドラフト14巡目で投手としてオリオールズから指名された

デル・カリー選手です。

 

画像は自分所有の野球カードではありませんが、91年マイナーリーグ、テキサス・レンジャースの1A、ガストニア・レンジャーズのものです。

 

といっても実はカリー投手は、このチームで1試合登板しただけがプロ野球選手としてのキャリアのすべてです。

前置きが長くなりましたが、彼の本業は、バスケットボール。

 

 

シャーロット・ホーネッツを中心に16シーズンもNBAでプレーした名選手でした。

 

最近のファンにもわかりやすく説明するには、、、

 

 

現在NBAで人気実力ともナンバー1のウォリアーズのポイントガード

 

ステフィン・カリー。

 

 

マーベリックスのポイントガード、セス・カリーという兄弟の父親として有名かと思います。

 

この頃のホーネッツのオーナーが、ガストニア・レンジャースのオーナーでもあったことで1試合の出場が実現しました。

 

そしてその頃チームメイトだったマグジーことタイロン・ボッグス選手も

 

 

セカンドとして。。。

 

 

2打数2三振の成績に終わりました。

 

さて、そんな1日限りの二刀流があったNBAホーネッツにホントの二刀流がいました。

 

それが、、

 

 

この人、スコット・バレル選手です。

 

93年ドラフト1巡目でホーネッツの指名を受けて入団、コネチカット大のスター選手として活躍し、98年にはブルズでファイナルを制した経験もあり、キャリアの後半は、中国、フィリピン、スペインのリーグと海外を渡り歩き2005年にはBリーグのサンロッカーズ渋谷の前身、日立サンロッカーズでもプレーしたというキャリアを誇る日本にもゆかりのあるバスケットボール選手です。

 

バレル選手は、89年にシアトル・マリナーズから投手として1巡目指名を受けたことで、2つのスポーツから1巡目指名を受けたアスリートとして知られています。89年は奨学金を受けコネチカット大でバスケをするために入団を断るも翌年にブルージェイズがダメ元なのか5巡目で指名すると、バスケのオフシーズンに野球でプレーすることになります。

 

 

こうして2シーズン先発投手として7試合ずつ計14試合に登板し、2勝6敗という成績に終わり、プロバスケの指名によりバスケに専念することになりました。しかし、2シーズン目は33イニングで36奪三振、防御率1.91と野球を続けていたらと思われる成績でした。

 

ブルージェイズの1Aでは、後の主砲デルガード、阪神でプレーしたバトル、西武でプレーしたカラーラらとプレー。

 

 

 

今回はキャリアの短いバスケと野球の二刀流の紹介で、物足りないと思ったかたもいたかもしれないので、

 

 

 

 

 

 

ちょっとバレル選手からネタを広げますと、

 

 

 

 

 

 

 

90年の同じく2巡目にブルージェイズが指名し、バレル投手ともチームメイトになった二刀流選手がもうひとりいました。

 

 

クリス・ウェインキ内野手です。

 

ジュニアのアメリカ代表にもなっており、高校時代は野球だけでなくアメフトでも州一番のクォーターバックとしていろんな大学から奨学金の誘いがあり、ホッケーでキャプテンも務めたというこちらも天才型アスリートです。

91年にバレルと同じ1Aで三塁手としてプレー。

 

93年、94年にはマイナーでリーグの打点王に輝くなど順調にレベルを上げていき3Aまで到達しました。

メジャーリーグ最長のストライキ明けの95年シーズンにマイナーで調子を落とすと96年を最後に野球を諦め、大学に戻ってフットボールを再開しました。

 

その後は、まさかの大活躍で2000年には28歳と史上最年長で大学フットボールの年間最優秀賞ハイズマントロフィーを受賞し、01年にはカロライナ・パンサーズから4巡目で指名を受けてNFL入りを果たします。

 

 

大学時代の輝かしいキャリアで1年目から先発クォーターバックの職を掴むも1勝14敗、しかも14連敗という記録で2年目以降は控え選手となり、フットボールのキャリアは5年で幕を閉じました。

 

マイナーながら野球でタイトルを獲ったり、NFLでもルーキーでラッシングタッチダウン数が歴代4位だったり、1試合のパス成功数のチーム記録を持ったりと非凡な才能は見せてくれたウェインキ。

 

現在はフットボールで、NFLや大学のコーチをシーズンごとで務めています。

ポジションは違えどボー・ジャクソンと同じハイズマントロフィー受賞者の二刀流としては、かなりの実力者であり、プロ野球最後のシーズンも2Aと3A合わせて18本塁打73打点ともう少し続けてほしかった知られざる名選手だと思います。

 

ということで今回の二刀流ネタはここまで。

 

さらっと紹介のつもりが思わぬボリュームになりましたね。

 

 

 

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二刀流 その5

久し振りの二刀流紹介の話。

 

今回はアメリカ球界では、歴史上多いアメフトと野球の二刀流です。

 

フットボール界の歴史に残る選手が、実は野球も才能があったというエピソードです。

 

 

まずは、殿堂入りを果たしたデンバー・ブロンコスのクォーターバック、ジョン・エルウェイ選手。

 

アメフトでのキャリアは、80年代から90年代にデンバーで活躍して9回のプロボウル出場を果たし、スーパーボウルのMVPでキャリアを終えるという劇的なキャリアで、背番号7はブロンコスの永久欠番となるいわゆるレジェンドです。

 

名門スタンフォード大学でフットボールだけでなく野球もプレーしたエルウェイは、日米大学野球でもチームの主砲として来日。

 

高校時代からどちらの競技でもその実力を高く評価されており、79年にはロイヤルズが18巡目で指名したものの、父がコーチをしていたスタンフォード大に進みました。ちなみにロイヤルズは、二刀流最高の選手の呼び声高いボー・ジャクソンがプレーしたチームで、更にエルウェイを指名した同じ年のドラフトで4巡目で後に同じリーグを代表するクォーターバックとなり、フットボールの殿堂入りを果たしたマイアミ・ドルフィンズのレジェンド。

 

 

ダン・マリーノ選手を指名。

彼もピッツバーグの高校時代は23勝0敗を記録した投手でシーズン5割の打率を誇る打者という野球も二刀流の選手でしたが、大学でアメフトを選択しました。クォーターバックの投手というのは、興味深いですね。

 

さて、マリーノは野球を続けなかったものの、エルウェイについては大学でも活躍したこともあり、今度は81年にヤンキースの2巡目で指名を受けます。このヤンキースも前述のジャクソンと双璧に立つ二刀流選手ディオン・サンダースが最初にプレーしたチームです。

 

大学でフットボールを続けながら、マイナーで野球のキャリアを始めたエルウェイは82年にオネオンタ・ヤンキースで外野手として42試合出場し、打率.318、4本塁打25打点13盗塁とプロの世界でも上々の成績をマーク、何よりもこの試合数で外野手として8の捕殺をマークしているところが、名クォーターバックらしさを表してますね。この時チームメイトには西武やマーリンズで活躍したデストラーデ選手がいましたが、打点以外はエルウェイのほうが成績が勝っていたことからその実力の高さがうかがいしれます。

 

さて、エルウェイは83年のNFLドラフトで全米1位でコルツに指名されるも弱小チームでのプレーをするなら野球を選ぶという交渉術も使い、コルツでプレーすることなくブロンコスにトレードで入団し、フットボールに専念することになりました。

 

98年デンバーで行われたMLBオールスターゲーム前夜祭のセレブバッティングプラクティスで快打を見せ話題にもなりました。

 

 

彼以降、スタンフォード大学でアメフトと野球でプレーし、実力が突出した選手が出るたびに話題になりますが、他にもマイナーとNFLでプレーした選手がいます。

 

一番近いところでは、12年にパイレーツの24巡目指名でプロ入りし、ショートシーズン1Aのステイト・カレッジ・スパイクスで外野手としてプレーしたのが、、

 

 

タイラー・ギャフニー選手です。

 

打率.297、本塁打なし10打点11盗塁で、死球を20ももらうという、俊足打者として出塁から得点につなげるプレースタイルながら1シーズンで野球をあきらめ、

 

 

14年にはパンサーズの6巡目指名でランニングバックとしてNFL入り、パンサーズのロスターには残れなかったものの、ペイトリオッツにウェーバ加入し、早くもスーパーボウル2度制覇のメンバーになれたことを考えるとフットボール専念は正解だったかもしれませんね。

 

最後に紹介するのは、野球の歴史にも少し残るNFLの大物、スタンフォード出身。

 

 

ジョン・リンチ投手です。

 

フロリダ・マーリンズが誕生する93年に向けた最初の92年のドラフトで2巡目に指名されプロ入り。

大学では3年で20イニング24奪三振20四死球18失点1勝2敗とそれほど突出した感じでもなく、投手以外の日の打者としての成績は打率.244、6本塁打29打点という平凡なものでした。

 

ともあれ、マーリンズ最初のマイナーチーム、エリー・セイラーズの開幕投手となり記念すべきマーリンズの組織のスタートを飾るという野球界に名を残しました。ちなみに92年のドラフトと言えば、全体1位がフィル・ネビン、マーリンズの1巡目はチーム史上初のワールドシリーズ制覇時の正捕手チャールズ・ジョンソン、そしてヤンキースの1巡目はデレク・ジーターと同期選手もなかなかの顔ぶれ。マイナー時代にはジョンソンはもちろん、初制覇決勝打を放ったコロンビア出身のレンテリア、後に監督となったレドモンド、後に近鉄に入団したカラスコなどと共に汗を流しました。

 

92,93シーズンをマイナーで過ごし、9試合1勝3敗、防御率2.35という成績を残して、93年に3巡目で指名されたバッカニアーズにセーフティーとして入団し、野球のキャリアを終えました。

 

 

チームリーダーとしてリスペクトを集める振る舞い、プロボウルに9回も選ばれるリーグを代表する選手として活躍。03年にはバッカニアーズでスーパーボウルも制してます。

 

キャリア晩年にはブロンコスに移籍し、2回目のスーパーボウル出場も果たし、15年のキャリアで主力としてプレーしました。

 

引退後はブロードキャスター、そして今年からはサンフランシスコ49ersのGMとしてのキャリアをスタートさせたところです。

 

野球は外野手か投手、フットボールはクォーターバック、ランニングバックが多い印象ですがいろんなポジションの選手が二刀流をしているのも興味深いですね。

 

まだまだこのネタありますので、各スポーツのポジションにも注目してみて下さい。

 

ではまた!

 

 

 

| 二刀流 | 23:41 | comments(0) | trackbacks(0) | ↑TOP -
二刀流 その4

二刀流紹介の4回目は、、

 

投手と打者、野球とアメフト、野球とバスケという流れが来ると。。

 

次は4大スポーツ、野球とホッケーと行きましょう。

 

 

昨年アイスホッケーの殿堂入りを果たしたカナダ出身の90年代を代表するスーパースター。

 

エリック・リンドロス選手です。

 

NHLオールスター7回、世界選手権ジュニアチャンピオン、オリンピック金メダル、ホッケー界の歴史に残る選手は、高校時代強打の三塁手として野球もプレー、育ったのがトロントと言うことでブルージェイズがトライアウトの機会を与えたという野球選手でもありました。

 

結局は、91年のドラフト1巡目でNHLからドラフトされました。

 

 

ブルージェイズで打撃練習に参加した姿が、野球カードになるなど、

ボーー・ジャクソン、ディオン・サンダースに続くかと言われた逸材ながら、殿堂入りからも分かるようにホッケー選手としての実力が抜きんでており、幻の野球キャリアとなりました。

 

 

結局野球MLBとホッケーNHLの両立というのは、今のところありませんが、

 

ニュージャージー・デビルズで活躍したケン・ダネイコ選手は、2003年に独立リーグのニューアーク・ベアーズでDHとして出場したプロ野球選手です。惜しくも雨で1打席のみの出場となりました。当時の監督はロッテでもプレーしたビル・マドロックさん。

 

独立リーグだけにイベントのような感覚もありますが、二つのプロスポーツでプレーしたれっきとした記録です。

 

さて、メジャーリーガーにもアマ時代にホッケーで活躍した選手がいます。

 

代表格は2014年に殿堂入りを果たし、ブレーブスで大活躍したトム・グラビン投手は、84年にNHLロサンゼルス・キングスから4巡目でドラフトされるというプロ級の腕前を持っていた。

 

というのは有名な話ですが、、

 

他にもNHLからドラフトされたメジャーリーガーがいます。

 

 

近年では2009年、2011年にドジャースでプレーしたジェイミー・ホフマン外野手。

通算16試合4安打1本塁打という成績しか残せませんでしたが、野球のキャリアだけでは注目される選手になれなかったかもしれませんね。

 

その他では、

 

 

1986年にブルージェイズから27巡目ドラフトを受け野球界に入ったトム・クィンラン三塁手です。

 

寒冷地ミネソタ州出身のクィンランは、なんとNHLのカルガリー・フレイムズから同じ86年に野球より高評価の4巡目指名を受けていました。

 

90年、92年をブルージェイズで94年フィリーズ、96年は地元ツインズでと2年に1回メジャーに上がるという定着を果たせず、42試合出場で通算9安打1本塁打と言う寂しい成績ながら、当時アストロズのエースだった元サイヤング賞のエース、ダグ・ドレイベックから本塁打を打ったり、92年のブルージェイズではわずかな出場機会ながらチームがワールドシリーズを制したためチャンピオンリングを所持していること。そして、キャリアハイライトとしては、2000年に韓国プロ野球のヒュンダイ・ユニコーンズでプレーし、外国人史上初のコリアンシリーズMVPに輝いたという野球選手なんです。

 

ちなみに、、

 

 

2003年〜エンジェルスでプレーしたロブ・クィンラン内野手は、トムの弟というファミリーネタも持ちます。

兄よりキャリアのスタッツがいいロブですが、チームがワールドシリーズを制した翌年のデビューということでチャンピオンリングを兄弟で保持することはできずでした。

 

その他、メジャーでも活躍した。といえる元ホッケー選手といえば

 

 

90年代エンジェルスやホワイトソックスで活躍したカーク・マカースキル投手です。

 

カナダ生まれで父親のテッドがNHLでプレーしたということもあり、アメリカ育ちながらアマ時代はホッケーで全米代表に選ばれ81年のドラフト4巡目でウィニペグ・ジェッツから指名され1シーズン下部組織でもプレー経験があります。

 

翌82年にエンジェルスから2巡目指名を受けて野球に専念します。

 

なんとこのマカースキル選手を野球界に引っ張り上げたのが、いま最もメジャーリーグで人心掌握に長けていると知られる名将、、、

 

 

ジョー・マッドン監督がスカウトだったというホットな話題を持ってます。

 

90年には史上唯一の親子アベックアーチを記録したケン・グリフィー&ジュニアに本塁打を献上した投手として、91年にはシーズン19敗を喫したというありがたくない記録が残る一方で、カナダ出身投手としては歴代3位のメジャー通算106勝をマークする名投手としても知られており、2003年にはブルージェイズの主砲ジョー・カーターと映画化されたことでも有名になった日系チーム、バンクーバー朝日軍とともにカナダの野球殿堂入りを果たしたという輝かしいキャリアも誇っていました。

 

最後は番外編

 

 

マカースキルとチームメイトでもあったこの選手。

 

プロのキャリアがあるわけではありませんが、アイスホッケーのゴーリーを経験したことから、ピッチャー返しをさばかせたらメジャー1と話題になったジャック・ラゾーコ投手です。

 

 

話題になった映像がYouTubeでもあります。 →コチラ

 

 

野球とホッケーの二刀流の話題でした。

 

次回をお楽しみに。

 

 

| 二刀流 | 22:45 | comments(0) | trackbacks(0) | ↑TOP -
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