二刀流 その4

二刀流紹介の4回目は、、

 

投手と打者、野球とアメフト、野球とバスケという流れが来ると。。

 

次は4大スポーツ、野球とホッケーと行きましょう。

 

 

昨年アイスホッケーの殿堂入りを果たしたカナダ出身の90年代を代表するスーパースター。

 

エリック・リンドロス選手です。

 

NHLオールスター7回、世界選手権ジュニアチャンピオン、オリンピック金メダル、ホッケー界の歴史に残る選手は、高校時代強打の三塁手として野球もプレー、育ったのがトロントと言うことでブルージェイズがトライアウトの機会を与えたという野球選手でもありました。

 

結局は、91年のドラフト1巡目でNHLからドラフトされました。

 

 

ブルージェイズで打撃練習に参加した姿が、野球カードになるなど、

ボーー・ジャクソン、ディオン・サンダースに続くかと言われた逸材ながら、殿堂入りからも分かるようにホッケー選手としての実力が抜きんでており、幻の野球キャリアとなりました。

 

 

結局野球MLBとホッケーNHLの両立というのは、今のところありませんが、

 

ニュージャージー・デビルズで活躍したケン・ダネイコ選手は、2003年に独立リーグのニューアーク・ベアーズでDHとして出場したプロ野球選手です。惜しくも雨で1打席のみの出場となりました。当時の監督はロッテでもプレーしたビル・マドロックさん。

 

独立リーグだけにイベントのような感覚もありますが、二つのプロスポーツでプレーしたれっきとした記録です。

 

さて、メジャーリーガーにもアマ時代にホッケーで活躍した選手がいます。

 

代表格は2014年に殿堂入りを果たし、ブレーブスで大活躍したトム・グラビン投手は、84年にNHLロサンゼルス・キングスから4巡目でドラフトされるというプロ級の腕前を持っていた。

 

というのは有名な話ですが、、

 

他にもNHLからドラフトされたメジャーリーガーがいます。

 

 

近年では2009年、2011年にドジャースでプレーしたジェイミー・ホフマン外野手。

通算16試合4安打1本塁打という成績しか残せませんでしたが、野球のキャリアだけでは注目される選手になれなかったかもしれませんね。

 

その他では、

 

 

1986年にブルージェイズから27巡目ドラフトを受け野球界に入ったトム・クィンラン三塁手です。

 

寒冷地ミネソタ州出身のクィンランは、なんとNHLのカルガリー・フレイムズから同じ86年に野球より高評価の4巡目指名を受けていました。

 

90年、92年をブルージェイズで94年フィリーズ、96年は地元ツインズでと2年に1回メジャーに上がるという定着を果たせず、42試合出場で通算9安打1本塁打と言う寂しい成績ながら、当時アストロズのエースだった元サイヤング賞のエース、ダグ・ドレイベックから本塁打を打ったり、92年のブルージェイズではわずかな出場機会ながらチームがワールドシリーズを制したためチャンピオンリングを所持していること。そして、キャリアハイライトとしては、2000年に韓国プロ野球のヒュンダイ・ユニコーンズでプレーし、外国人史上初のコリアンシリーズMVPに輝いたという野球選手なんです。

 

ちなみに、、

 

 

2003年〜エンジェルスでプレーしたロブ・クィンラン内野手は、トムの弟というファミリーネタも持ちます。

兄よりキャリアのスタッツがいいロブですが、チームがワールドシリーズを制した翌年のデビューということでチャンピオンリングを兄弟で保持することはできずでした。

 

その他、メジャーでも活躍した。といえる元ホッケー選手といえば

 

 

90年代エンジェルスやホワイトソックスで活躍したカーク・マカースキル投手です。

 

カナダ生まれで父親のテッドがNHLでプレーしたということもあり、アメリカ育ちながらアマ時代はホッケーで全米代表に選ばれ81年のドラフト4巡目でウィニペグ・ジェッツから指名され1シーズン下部組織でもプレー経験があります。

 

翌82年にエンジェルスから2巡目指名を受けて野球に専念します。

 

なんとこのマカースキル選手を野球界に引っ張り上げたのが、いま最もメジャーリーグで人心掌握に長けていると知られる名将、、、

 

 

ジョー・マッドン監督がスカウトだったというホットな話題を持ってます。

 

90年には史上唯一の親子アベックアーチを記録したケン・グリフィー&ジュニアに本塁打を献上した投手として、91年にはシーズン19敗を喫したというありがたくない記録が残る一方で、カナダ出身投手としては歴代3位のメジャー通算106勝をマークする名投手としても知られており、2003年にはブルージェイズの主砲ジョー・カーターと映画化されたことでも有名になった日系チーム、バンクーバー朝日軍とともにカナダの野球殿堂入りを果たしたという輝かしいキャリアも誇っていました。

 

最後は番外編

 

 

マカースキルとチームメイトでもあったこの選手。

 

プロのキャリアがあるわけではありませんが、アイスホッケーのゴーリーを経験したことから、ピッチャー返しをさばかせたらメジャー1と話題になったジャック・ラゾーコ投手です。

 

 

話題になった映像がYouTubeでもあります。 →コチラ

 

 

野球とホッケーの二刀流の話題でした。

 

次回をお楽しみに。

 

 

| 二刀流 | 22:45 | comments(0) | trackbacks(0) | ↑TOP -
二刀流 その3

久し振りの二刀流紹介。

 

フットボール界とのつながりに続いて今回はバスケットボールです。

 

以前紹介したこともありますが、有名どころでいうと

 

 

ブルージェイズ、レイズ、マーリンズやオリオールズ、ドジャースなどで活躍した長身投手マーク・ヘンドリクソンです。

92年から実に6度のドラフトにかかるという期待の投手でメジャーリーグで10年プレーし、通算58勝で先発として2度二ケタ勝利も経験。ブルージェイズの歴史上初の投手として本塁打を打ったという記録も残した名選手でした。

 

 

 

フィラデルフィア・76ersに入団したヘンドリクソンは、96年〜2000年の間の4シーズンNBAで計4チームに所属し114試合に出場したキャリアを持ちマイナーリーガー時代にバスケで活躍していたということになります。メジャー昇格時は野球に専念していたことになりますが、二刀流といってもいいんじゃないでしょうか。

 

続いての有名どころは、この人でしょう。

 

 

バスケットの神様。マイケル・ジョーダン選手です。

 

説明するまでもないバスケ界の歴史上最高の選手も父親の死をうけて父の夢だった野球選手への道へと進みます。

 

 

ホワイト・ソックスの2Aバーミングハム・バロンズでプレー。

 

通称:ジョーダン・クルーザーと呼ばれるマイナーでは考えられない豪華なチームバスを寄贈するなど、金持ちの趣味かとも見られましたが、31歳にしての挑戦は遊びでなく真剣そのもの。客寄せとの目もありましたが、チーム最多タイの127試合に出場し、打率こそ.202の低調ながら30盗塁をマークし、3本塁打を放ちました。ちなみに当時の監督は16年にインディアンズをワールドシリーズに導いたテリー・フランコーナ監督でした。

 

 

当時のチームメイトには、のちに西武でプレーしたブライアン・ギブンスも所属してました。

 

ジョーダンの挑戦はシーズン途中の野球界最長のストライキもあって1シーズンで終わりましたが、彼とともにプレーした選手は、ハードワークと身体能力の高さを称賛し、18歳からプレーしていれば数年でメジャーに昇格したのではないかというものもいました。

 

 

さて続いてジョーダンとも対戦したことのあるバスケット界の名選手。

 

 

ダニーエインジ選手です。

 

セルティックス時代に2度のチャンピオンに輝きリーグを代表する選手として活躍。

個人的には、晩年のサンズでの渋い活躍が記憶に残る名選手にしてコーチとしてもその手腕を発揮したイメージ。

 

全盛期は鼻っ柱の強さからアウェーで常にブーイングをもらい、乱闘騒ぎや罰金のペナルティを受けるなど並みならぬ闘争心で悪童としても活躍した選手でした。

 

そのエインジ選手は高校時代はバスケのほかフットボールに野球と活躍、77年にブルージェイズからドラフトされています。

 

ブリガムヤング大でバスケをプレーしながら大リーガーになるという異色のキャリア。

 

 

79年のメジャー昇格から81年まで3シーズンプレー。

内外野を守り、通算打率.220、2本塁打37打点12盗塁とまだまだこれからという22歳のシーズンで、大学バスケのスターとしてドラフト指名したセルティックスが、ブルージェイズから契約を買い取る形でNBA入りしました。

 

もし、野球に専念していたらNBAでのキャリアやヘッドコーチ、はたまたセルティックスの古豪復活を支えたチームのエグゼクティブのポジションという功績がなかったかもしれないと思うと歴史を変えるブルージェイズからセルティックスへの契約だったのだなと思わせてくれます。

 

ちなみにスポーツ万能のエインジの血を引いた甥っ子エリック・エインジは、、、

 

 

NFLのニューヨーク・ジェッツに2008年5巡目指名を受け、プロ入りしています。

惜しくもケガや薬物問題もあり、まともにプレーすることなく引退してます。

 

最後は、最近話題になったこの選手。

 

 

16年間のNBAキャリアで7度のオールスターと2度の得点王に輝いたスター選手。

トレイシー・マグレディー選手です。

 

 

2014年に独立リーグのシュガーランド・スキーターズで、高校時代以来の野球のキャリアに転身。

先発投手として、たった4試合で6回3分の2で2敗。

本塁打1本を含む4安打5失点で10個の四球を与えてキャリアをあっさり諦めました。

 

このチームは元広島のベン・コズロースキーやニック・スタビノーハ、巨人でプレーしたラスティー・ライアルなどもチームメイトとして所属してました。

 

本気でメジャーを目指したとは思えませんが、こういった独立リーグででも、話題作りの客寄せと言われてもプロとして野球と他のスポーツをプレーするという二刀流キャリアは面白いですね。

 

マイナーリーグでメジャーを目指しつつ、他のスポーツを選んで大成したという二刀流など、また紹介したいと思います。

 

 

 

| 二刀流 | 20:12 | comments(0) | trackbacks(0) | ↑TOP -
二刀流 その2

 

2回目の二刀流紹介は、この選手。

ジョシュ・ブーティー選手です。

 

94年に全米5位でフロリダ・マーリンズの指名を受けてプロ入りした内野手です。

 

高校フットボール史上初となる10000ヤードを投げるクォーターバックとして、NFL史上に残るクォーターバック、ペイトン・マニングとも比較される才能を持った傍ら毎年州代表のショートとして選ばれ、93年にはワールド・ジュニア・チャンピオンシップのアメリカ代表のセカンドとして銀メダル獲得に貢献した万能選手でした。

 

当時全米の大学からフットボールの誘いを受けるも当時最高額の契約ボーナスを記録しマーリンズ入りを選びました。

 

96年に1Aで20本塁打を放つと9月に早くもメジャーデビュー。

シーズン終盤の話題性や若手の経験のための昇格とはいえ97年も2Aで20本塁打をマークし、また9月に昇格。

翌98年は、世界一の後のチーム解体を受けて開幕メジャーで迎えるもひと月持たずで降格。

その後も2A、3Aでプレーするも打率が2割に届かない状態で、早くも野球のキャリアをあきらめます。

3シーズンでわずか13試合、通算7安打という結果に終わりました。

 

この時22歳、第2の人生に注目が集まる中、ブーティーは99年からルイジアナ州立大でフットボールをプレーするようになります。

ここでクォーターバックとしてブランクを感じさせないプレーを2年続けたブーティーは、01年のNFLドラフトでシアトル・シーホークスから6巡目指名を受けてNFLの選手になります。

 

 

しかし、キャンプでロースター入りできずで、01〜03年にクリーブランド・ブラウンズの控えクォーターバックとして過ごします。07年レイダースのキャンプに呼ばれるもロースターに入らず、NFLのキャリアも終了します。満足いくキャリアではなかったものの、二刀流としては異色のキャリアですね。

 

ちなみに彼の弟、ジョン・デビッド・ブーティーは南カリフォルニア大のクォーターバックとして大活躍し、08年にミネソタ・バイキングスから指名をされNFLでプレーしました。

 

 

二刀流だけでなくファミリーネタも持っているブーティー選手は、NFLのキャリアを終えるとフットボールのコメンテーターとしてTVラジオの世界で活躍。

 

そんな中、TVのリアリテイショーブームに沸いた13年にMLBネットワークが企画したネクスト・ナックルボーラーというオーディション番組に参加することになります。番組のホストはケビン・ミラーとティム・ウェイクフィールドという面々。

 

ジョシュは、弟のジョン・デビッドやチャージャーズで活躍したダグ・フルーティー他、NFLでプレーしたほか2名のクォーターバックらとしのぎを削り、見事に勝ち抜き、アリゾナ・ダイヤモンドバックスのスプリングトレーニングに参加する権利を得ました。

こうして異例の野球界への復帰を果たしました。一度目の引退後マーリンズで離脱リスト扱いだったため、15年たってようやく解雇されてからダイヤモンドバックスと招待選手契約をするという珍事も話題になりましたが、残念ながらメジャー契約はできず、マイナー契約も結ぶことなく、2度目の野球引退となりました。

 

キャリアの数字だけ見ると、それほど目立つ選手には見えませんが、二刀流のキャリアやプロ選手の兄弟がいたり、15年のブランクの後投手として野球選手になったり、97年シーズン中に4試合しか出てませんが、マーリンズ初のワールドチャンピオンリングを持っていたり、93年ワールドジュニアチャンピオンシップ出場時の金メダルチームはキューバで、そこには97年マーリンズ世界一の原動力だったリバン・ヘルナンデスがいたといういろいろなストーリーを持つ、ジョシュ・ブーティー選手。

 

マーリンズファンでも見落としがちな隠れた名選手と言ってもいいのではないでしょうか?

 

 

| 二刀流 | 18:55 | comments(0) | trackbacks(0) | ↑TOP -
二刀流 その1

 

プレイオフ真っ盛りで盛り上がる野球界ですが、今回は二刀流選手のお話し。

 

もちろん、ファイターズの大谷選手こそ、マンガ顔負けの二刀流選手ですが、メジャーの世界でもここまで投打に支配的な二刀流というのはさすがに見当たりませんね。

 

大谷選手程ではないものの、こんな選手がいたことは過去に紹介しました。

野球人 その3へ

 

少し見る向きを変えればこんな過去の紹介選手も二刀流でしょうか?

野球人 その2へ

 

そんな定義でいえば、、、

まず、メジャーの二刀流といえば、、

 

 

この人、パット・ベンディット投手ではないでしょうか?

 

グレッグ・ハリス投手以来の左右両投げ投手として、メジャーで活躍しました。

ヤンキースに2度ドラフトされプロ入り、マイナー時代には、スイッチピッチャーVSスイッチヒッターのニュースで話題を集めるも、メジャー昇格が難しいかと思われましたが、WBCイタリア代表経験などを経て2015年アスレチックスでデビューし、オフにはブルージェイズに移籍、今年はブルージェイズでプレーし、シーズン中にマリナーズに移籍してます。

 

とはいえメジャーでは今季2チームで15試合、ブルペンながら22イニングで13与四死球、5本塁打を浴びるなど苦戦してます。

通算2勝の変わり種投手とはいえ、こういう選手がプレーしているのが、面白いですね。

 

異論があるかもですが、90年代後半から2000年代にかけては、こんな選手も活躍しました。

 

 

97年ドラフト2巡目でカージナルスの指名を受けてプロ入りしたリック・アンキール投手です。

99年にはメジャー昇格し、翌00年には11勝を挙げ、ローテーションの軸にもなりつつあったエース候補でしたが、シーズン終盤から突如制球が乱れ、ストライクが投げられなくなる状態に陥り、翌年6試合で1勝しか挙げられない時点で故障者リスト入り。

2年後ブルペン投手として平凡な成績に終わると、投手時代から定評のあった打撃センスと強肩を活かし、外野手として一から出直しを図ります。

 

 

3年後、選手の移籍が盛んなメジャーの世界で、同じカージナルスで外野手として復帰。

二けた本塁打(11本)をマークし、08年には25本塁打を放つ主軸打者となりました。

また、投手で苦労した経緯を知る地元ファンからは、見事な野手への転身は称えられスター選手として活躍しました。

強肩で捕殺リーグ3位になることもあり、13年までメジャーでプレー、メジャー通算13勝、76本塁打という251打点と記憶に残る選手になりました。

 

また、99年6巡目にアストロズからドラフトされたジェイソン・レーン外野手も紹介しましょう。

 

トム・シーバー、ドン・サットン、ランディー・ジョンソンという殿堂入り投手にブーン兄弟やマーク・マグワイアというエリート選手の出身校である名門サザンカリフォルニア大出身で、同じ大学で同時期に活躍したモーガン・エンズバーグとアストロズの主力としてプレー、05年にはシーズン26本塁打をマークし、ワールドシリーズ進出に貢献。プレイオフでも本塁打を放ち、守っては左投げ右打ちと言う珍しい野手ながら強肩が売りの外野手として活躍しました。

 

07年から成績を落とし、パドレスに放出されるとマイナーを転々とし、その間10年、11年にはマイナーでブルペンで数試合投げながら外野手として出場。なんとかメジャー復帰の道を探りました。12年、13年と独立リーグのシュガーランドで先発投手としてプレーすると、シーズン終盤にメジャー球団からマイナー契約を提示されるようになりました。

 

 

14年には、シーズン通してパドレスのマイナー、エルパソで先発投手としてプレーすると、なんとシーズン中に投手としてメジャー昇格を果たし、先発1試合を含む3試合で登板する機会を得ました。またマイナーでは登板がない日に複数試合で外野手としてもプレー3本の本塁打も記録しました。普段シーズンを諦めたチームが終盤に話題の選手をマイナーから呼ぶのと違いシーズン中の先発投手の故障の代わりとしてプレーしたあたりが、投手としても評価されていた証ではないでしょうか。マイナーではシーズン9勝をマーク。

 

15年も継続し、エルパソで先発を務めていましたが、今度は昇格なくシーズンを終えたものの、投手として10勝の二けた勝利をマークしました。

 

ちなみにその頃のエルパソでは、

 

 

元阪神のコンラッドもプレー。

 

更に後に日本でプレーすることになる

 

 

阪神のマテオ投手や

 

 

カープのジャクソン投手もチームメイトとして在籍しました。

 

結局15年シーズンを最後に選手としてのキャリアを終えました。

今シーズンは、ブリュワーズのアシスタント打撃コーチに就任しましたが、2Aのスプリングトレーニングのエキシビジョン試合で代打で本塁打を放つという、なんとも特異な才能を発揮し続けています。

(なぜプレーしてるの?って感じですが、、)

 

マイナー、独立、ウィンターリーグ合わせて通算43勝で、メジャー、マイナーすべて合わせて通算232本塁打という成績と17年に及ぶプロキャリアは立派の一言です。

 

でも、それって二刀流よりコンバートでしょ?

 

と言いたくなるところですね。

 

ではもうひとつ見る方向を変えた二刀流を最後に、、

 

 

 

その男は、ライガーと呼ばれた男です。

 

あ、山田恵一さんじゃないですよ。。(わかってるって?)

 

この人です。

 

 

89年にカージナルスで8試合。90年にタイガースで1試合に登板したマット・キンザー投手です。

 

先発としては、わずか1試合、通算0勝2敗で、マイナー通算も7年で35勝の投手の二刀流は、なんと別のスポーツです。

そう、ボー・ジャクソンやディオン・サンダースという有名どころと同じ、アメリカンフットボールのNFLでプレーしました。

 

ちなみにチームはデトロイト・ライオンズ。しかも87年のストライキになったシーズンに1試合だけパンターとして代替選手としてプレーしました。わずか3週ほどのストライキでしかも代替選手として1試合のプレーと言うことで、先のジャクソンやサンダースほど二刀流という有名選手にはならなかったですが、デトロイトのライオンズ(フットボール)、タイガース(野球)という2チームでプレーした史上唯一の選手です。そう、ライオンとタイガーを合わせてのライガーと呼ばれた男なんです。

 

野球のキャリア終了後は、レイズのスカウトや選手のエージェント(ラトロイ・ホーキンスなど)となり、息子テイラーの大学のコーチを務め、エンジェルスからドラフト指名される選手に育てたり、またマーリンズやブレーブスのスカウトにもカムバックし、二刀流以外にも渋い働きをしました。

 

 

どうでしたか?こんな二刀流もありですか??

 

また定期的にマニアックな二刀流として、いろんな選手を紹介したいと思います。

 

 

 

 

| 二刀流 | 19:19 | comments(0) | trackbacks(0) | ↑TOP -
CALENDAR
S M T W T F S
    123
45678910
11121314151617
18192021222324
252627282930 
<< June 2017 >>
SPONSORED LINKS
RECOMMEND
RECOMMEND
RECOMMEND
RECOMMEND
RECOMMEND
RECOMMEND
SELECTED ENTRIES
CATEGORIES
ARCHIVES
RECENT COMMENT
RECENT TRACKBACK
モバイル
qrcode
LINKS
PROFILE