二刀流 その16

 

本日紹介するのは野球とアメフトの二刀流。

 

どちらかというと、アメリカでは一番ポピュラーな二刀流ですね。

2002年のドラフト2巡目でヤンキースに入団したブランドン・ウィーデン投手です。

 

高校時代にクオーターバックと投手としてフットボールと野球でオクラホマ州のオールステイト選手に選出されるスーパーアスリート。

 

02年のドラフトと言えば、全米1位はカープでもプレーしたバリントン投手。

2巡目指名にもレッズでプレーするジョーイ・ボットやカブスのジョン・レスターなど、まだ現役で一線級の活躍をする大物揃いの当たり年。

 

ドラフト後すぐにルーキーリーグでプレーをはじめ、翌年はルーキーリーグとショートシーズン1Aのスタテンアイランドでプレー。2シーズン23試合で16先発で4勝3敗とまずまずの成績。当時のチームメイトは、のちにヤンキースで主力となるメルキー・カブレラ外野手、ソフトバンクでプレーしたブラゾバン投手、オリックスでプレーしたコーク投手などがいましたが、03年のオフにケビン・ブラウン投手の獲得のためジェフ・ウィーバー投手とブラゾバン投手と共にドジャースへトレードされます。

 

 

04年から2シーズン、1Aのコロンバス・キャットフィッシュで投手としてプレーしますが、2シーズンで9勝18敗、イニングと同じくらいの三振は奪うも、四死球も9イニング平均で5〜6個、ワイルドピッチもシーズン二桁と制球に苦しみました。

 

06年にロイヤルズからルール5ドラフトで指名されるも1Aアドバンスのハイデザートで6勝5敗と平凡な成績に終わり、メジャー昇格なくキャリアを終えました。

そして07年からオクラホマ州立大へ進学し、フットボールの道に復帰。

1年目に学業を優先する制度で5年大学に通い4シーズンフットボールをプレー。

大学でも当時のコーチが持つ大学記録を塗り替え、集大成の12年のフィエスタボウルでスタンフォード大を破りチャンピオンに輝く活躍で、12年のNFLドラフトで28歳最年長のドラフト1巡目指名選手として、クリーブランド・ブラウンズに入団。

 

 

1年目からレギュラーQBとして15試合に出場、5勝10敗、2年目は8試合で0勝5敗と満足する結果は残せず、その後は控えのQBとしてカウボーイズやテキサンズでプレー、その後はチームと契約するもプレー機会なく、テキサンズ、タイタンズに所属し、今シーズンはテキサンズと契約し、3シーズンぶりに1プレーだけ出場してます。

 

およそプロ野球界、フットボール界では、ドラフトで話題となった選手くらいのイメージですが、35歳アスリートとしてフットボールの最高峰のロースターに残れることを思えば、凄いことだと思います。

 

この感じでいうと、以前二刀流で紹介したジョシュ・ブーティーやクリス・ウェインキを彷彿とさせますが、ブランドン・ウィーデン投手は、ファミリーネタを野球にも持ってます。

 

 

 

それが2006年レッドソックスの16巡目指名でプロ入りしたタイラー・ウィーデン捕手です。

ブランドンの4歳下の弟で、兄が野球を辞めた年にドラフトされ、兄が大学に通うタイミングでプロ野球人生をスタートさせています。

 

06年ドラフトと言えばドジャースのカーショー、ナショナルズのシャーザーという大物が活躍。

レッドソックスはというと1巡目に4人を指名するチャンスをもらったドラフトだったものの、1巡目の4人のうち2名はマイナーでキャリアを終え、ダニエル・バード投手とカープのクリス・ジョンソン投手とがメジャーまで登りつめるも決して定着したとは言い難い活躍でした。レッドソックスの組織で最もメジャーな指名選手は、タイラーの直後の17巡目指名のジョシュ・レディック外野手。ちなみに18巡目は高知でプレーしたラーズ・アンダーソン外野手でした。

 

タイラーに話を戻すと07年ローウェルでニューヨーク・ペン・ステイト・リーグのオールスターに選ばれるなど期待の強肩捕手と言われてましたが、プロ4シーズンで170試合、打率.236、15本塁打76打点という成績で2010年22歳でプロキャリアを終えています。兄と同じ1Aアドバンスまでのプレーに終わりました。

 

もし、兄弟でメジャーまで昇格していれば、ニューヨークとボストンのライバルに所属する投手と捕手という対極な立ち位置が話題になったかもしれない選手というお話でした。

 

ヒューストン・テキサンズで今季わずかなプレータイムを3シーズンぶりに得たベテラン控えQBにそんな二刀流エピソードがあったということだけでもアメフトファンの豆知識のネタになったかもしれないですね。

 

 

 

 

 

 

 

| 二刀流 | 23:39 | comments(0) | trackbacks(0) | ↑TOP -
二刀流 その15

 

本日紹介する二刀流は、おなじみアメリカンフットボールと野球から

 

画像は、86年ドラフト3巡目でピッツバーグ・スティーラーズに入団。

クォーターバックとして活躍したウォルター・”バビー”・ブリスター選手です。

 

イーグルス、ジェッツ、ブロンコス、バイキングスなどで控えとしても活躍をし続け、スーパーボウル制覇も経験。

15シーズンNFLでプレーし、引退後はブロンコスのTV解説などメディアの世界でも活躍。

 

そんなブリスター選手は高校卒業時、

 

 

81年ドラフト4巡目でデトロイト・タイガースに指名され、ルーキーリーグのブリストル・タイガースで1シーズンだけプレーしました。

 

成績は39試合出場で20安打5盗塁10打点と成績自体は奮いませんでしたが、外野手として31試合で3捕殺あったり、5試合ほど遊撃手としてプレーしていることから、肩の強さはクォーターバックの資質を感じさせる成績でした。

 

1シーズン終了で大学フットボールでプレーし、野球に戻ることはなかったものの、結局15シーズンプロのフットボールでプレーできたことを思えばその選択は正しかったと言えるでしょう。

 

81年4巡目ドラフトではポール・オニール外野手の次に指名されており、野球での実力の高さも磨けば光ったかもしれないですね。

 

また当時のタイガース同期には、巨人で後にプレーしたチャック・ケアリー投手くらいが有名になったというドラフトで不作と思いきや全体では上位にトニー・グウィン、デビッド・コーン、マーク・ラングストン、ジョー・カーター、マット・ウィリアムスなどまた下位指名ではミッキー・テトルトン、ジョン・フランコ、フレッド・マグリフといったリーグを代表するスターも指名されています。

 

興味深いのは、ブリスターより上位の2巡目で、後にフットボールのブロンコスでレギュラーのクォーターバックとして活躍するジョン・エルウェイ選手がヤンキースに指名されています。

 

野球でもフットボールでもブリスターの上を行くエルウェイに偉大さを感じます。

そんなエルウェイの二刀流記事も過去に書いたので気になる方はどうぞ

コチラ

 

ちなみに記事ではスタンフォード大出身のアメフト野球の二刀流も紹介してますが、そこで紹介したタイラー・ギャフニー選手が2018年から再び野球に戻り、パイレーツ傘下のチームでプレーするという新しい二刀流キャリアを見せてくれてます。

こちらの二刀流も注目ですね。

| 二刀流 | 12:10 | comments(0) | trackbacks(0) | ↑TOP -
二刀流 その14

 

本日の二刀流選手は、93年ブレーブスのドラフト2巡目指名でプロ入り。

 

ジャマイカはキングストン生まれのその名もアンドレ・キング外野手です。

 

高校時代時代は巧打とスピードが売りの選手で、ベースボールアメリカ誌が選ぶ全米セカンドチームに選出されるアマ注目の存在でドラフト直後からルーキーリーグのダンビル・ブレーブスでプレー開始。

 

本塁打こそないものの60試合で打率3割、15盗塁、安打数はチーム2位の69安打という将来を期待させる活躍。

後のオールスター選手ジャーメイン・ダイ、チーム最高のプロスペクトで後に巨人入りしたデイモン・ホリンズ、オリックスでもプレーしたランドール・サイモン、阪神でもプレーしたエステバン・ヤン投手(登録名:ジャン)などと同世代でしのぎを削りました。

 

しかし、翌年満を持して1Aメイコンに昇格すると打撃のほうはスランプに陥り、同世代のライバルたちに後れを取ります。とはいえシーズン31盗塁をマークするなど光るものがありました。翌95年には1A+ダーラムに移ると成績が伸びないながら本塁打9本とパンチ力も少しずつ身に着けてきました。ワールドシリーズ制覇を狙うブレーブスのシーズン中の補強でホワイトソックスのベテラン外野手マイク・デベローとの1対1トレードで移籍したことからも、その評価はまだ健在でした。

 

95年にはカージナルスからルール5ドラフトで指名されるも40人ロスターに残れず、ロイヤルズを含めた三角トレードでレッズに移籍、ここで2Aまで昇格しますが、打率はついに2割を切り、翌97年に新球団デビルレイズの準備段階のマイナーに所属し、そこでも結果を残せず、プロ野球のキャリアを終えました。

 

引退後、マイアミ大学に入りフットボールをプレーすると外野手の守備では定評があった才能が開花。

 

 

ワイドレシーバーとして活躍すると2001年28歳にしてクリーブランド・ブラウンズの7巡目指名を受けてNFL入りを実現。

 

低い指名順位ながらロスターにも残り2001〜2004年と4シーズンプレーをしました。

 

通算成績は42試合でタッチダウンが1回というスタッツながら、大学のスター選手もなかなか活躍できないハイレベルなプロリーグで、野球引退後の大学を経て28歳からプロ入りし、4シーズンプレーしたというキャリアは異色です。

 

現在は、ブレーブスマイナー時代の地元ともいえるジョージア州のクリスチャンの学校にてフットボールのコーチをしているとのこと。元二刀流選手という指導者のもと、プレーできる学生アスリートなんて羨ましいですね。

 

 

 

 

 

 

 

 

| 二刀流 | 23:15 | comments(0) | trackbacks(0) | ↑TOP -
二刀流 その13

大谷選手の活躍が止まりませんが、マイナーリーグにも現在注目を集める

二刀流選手がいます。

 

ブレンダン・マッケイでしょ?

 

というベースボールファンのかたはさすがです。

しかし、当ブログは別の二刀流選手を紹介します。

 

それが、、、

 

 

アメリカンフットボールNFLでクォーターバックとしてプレーしたティム・ティーボウ選手です。

 

厳密にはフットボールからは引退してるので、二刀流ではないというツッコミは遠慮下さい。

 

2000年代後半にフロリダ大学でプレーしたカレッジフットボール界のトップスターとして君臨したクォーターバックで、大学フットボール界最高選手に贈られるハイズマン賞を受賞し、2010年にドラフト1巡目でブロンコスの指名を受けてNFL入りした期待の選手でした。

 

若くして注目を浴びたアスリートとしてありがちな自分を見失って落ちぶれていくタイプとは違い、両親がキリスト教の宣教師ということもあり、ロールモデルになるような落ち着きのある言動に体のサイズやプロでプレーするには変則的なフォームでパスの精度が低いなど言われることもありながらここ一番で神がかったような劇的なパスを通すというドラマチックなプレースタイルが身上でした。そんな彼についた愛称は神の子。まさにですね。

 

日差しよけに目の下に貼るシール(アイ・ブラック)にメッセージを書き込んだり、タッチダウンセレブレーションで片膝をついて祈りを捧げるポーズ(ティーボウイングと呼ばれるポーズ、70年代生まれのかたはJリーグで活躍したビスマルクのポーズといえばわかりやすい)は彼の代名詞となり話題性でも他の追随を許さない存在でした。

 

しかし、NFLの世界では1年目の終盤にチャンスをもらうものの、2年目の前にチームが超大物クォーターバックを補強し、放出される憂き目にあい、そのまま満足なプレー機会をえることなくチームを転々とし、2015年にイーグルスのキャンプで開幕ロスターに入れず引退状態。テレビ界からも引く手あまたで、カレッジフットボールの解説者を努めつつNFL復帰を模索しており、ある意味コメンテーターと現役フットボール選手という二刀流ともいえる存在。

 

しかし2016年に突如野球への挑戦を発表しました。

 

最後にプレーしたのは高校時代で誰もが無謀な挑戦と思いつつも、スカウトを集めてショーケースを行うなど本人は周到な準備を行っていた模様でした。

 

実はティーボウの野球挑戦に協力したのが、自身もアカデミーを持つ元メジャーリーガー

 

 

チャド・モーラー捕手でした。

 

ディフェンシブなキャッチャーで目立ったハイライトは2004年のブリュワーズ時代にホームで球団史上初のサイクル安打を達成したという渋めの選手です。

 

さて、ティーボウ選手の野球挑戦表明が8月ということでほぼシーズン終盤のため、すぐのプレーならと独立リーグが数チーム声をかけたようですが、最終的にはニューヨーク・メッツとマイナー契約をむすぶことで決着。

 

9月に教育リーグで29歳にしてキャリアをスタートさせます。

注目を浴びるもさすがに高校時代からのブランクもあり、満足な活躍はできませんでした。

 

2017年はキャンプの招待選手として話題を集めるもノーチャンスと思われましたが、メッツのメンバーがWBCのために10名以上抜けるとオープン戦の2チームをつくるため駆り出されるというチャンスをもらいました。

 

ここでもメジャーの壁に活躍できず、1Aからのスタートとなります。

 

 

しかし、コロンビア・ファイヤーフライズでデビュー戦で本塁打を記録。

 

その後6月には1A+のセントルーシー・メッツに昇格し、ここでもデビュー戦本塁打をマーク。

 

何か大学時代同様、神がかった活躍で注目を集めるティーボウ選手。

1年目の成績は2クラスで126試合出場で打率.226、8本塁打52打点と外野手としては平凡なスタッツでしたが、早くも有望なマイナーリーガーをベースボールカードにするシリーズに登場しており、メジャーリーガーでないぶんなのか大谷選手よりもレア度から高値で取引されるカードとなってます。(ちなみに画像は拝借したもの)

 

マイケル・ジョーダンの野球挑戦はストライキの影響もあり1シーズンでしたが、ティーボウは実質2シーズン目となる2018年もプレー、メッツのキャンプに参加しオープン戦ではまたも壁に当たりメジャー契約は勝ち取れずですが、2Aのビンガムトン・ランブル・ポニーズでプレーが決定。ここで神の子・ティーボウは、またもデビュー戦で本塁打を放つという活躍。

 

しかも50試合消化時点で上のレベルなのに昨年の成績を上回りそうな勢いという持ってる男ぶりを発揮してます。

 

イメージ的に日本でこの二刀流を例えるなら、ハンカチ王子ことファイターズの斎藤佑樹投手が、J2あたりでサッカーに転向するようなイメージでしょうか?

 

年齢、大学の国民的スター選手、アイブラックとハンカチ、ドラ1プロ入りも一部その実力に懐疑的な声もある、注目を浴びる活躍ができるなど何か妙な共通点を感じます。

 

 

30歳になっても持ってる男ティーボウ、メッツで観れる日が来るのか注目の二刀流マイナーリーガーです。

 

 

 

| 二刀流 | 23:11 | comments(0) | trackbacks(0) | ↑TOP -
二刀流 その12

 

最近は、ファミリーネタ、二刀流ネタ、あるいはオススメ本とすっかり定番ルーティン化してきた当ブログですが、、、

 

今回は二刀流の紹介です。

 

画像は、大谷選手が生まれた1994年にエンジェルスのドラフト3巡目で入団した二刀流の先輩です。

 

ポール・ファイア内野手です。

 

ピッツバーグ生まれで高校時代は、アメフトのクォーターバック、野球のショートとしてプレー。

地元紙が選出するハイスクール・アスリート・オブ・ザ・イヤーに選出される注目の存在で、91年にロイヤルズの7巡目指名を受けています。ここで契約することなく、殿堂入りのカール・ヤストレムスキー、ブリュワーズの監督クレイグ・カウンセル、そして大学時代に投手とワイドレシーバーの二刀流で鳴らしたジャイアンツの投手ジェフ・サマージャらを輩出した名門ノートルダム大学に進学しました。

 

大学ではフットボールについては、控えのクォーターバックながら野球では、93年には53試合で72本の安打を放ち打率.346と巧打とスピードのあるショートとして注目を集めました。

 

94年ドラフト後にショートシーズン1Aからスタートし、95年には打率.253ながらシーズン30盗塁を記録しました。

とはいえ失敗19という果敢と無謀の狭間のような成績です。この頃は後にメジャーでチームの核になるベンジー・モリーナ捕手やジャロッド・ウォッシュバーン投手らと共にプレーしてます。

 

96年には1A+に昇格し、オールスターにも選ばれますが、打者有利のリーグと言われるカリフォルニア・リーグでも成績は奮わず、97年にも打率.228と苦戦し、内野をどこでも守れる選手として活路を模索するも

 

 

元近鉄のラリー・バーンズや

 

 

第1回WBCオーストラリア代表トレント・ダリントンら

 

タレント揃いの内野手陣の控えに甘んじてキャリアを終えています。

 

マイナー4シーズン通算71盗塁が目立つ成績というところでした。

 

余談ながら94年ドラフトを少し振り返りますが、エンジェルスは45人指名してその年に契約に至った選手の中でメジャーに昇格できたのは4人だけで、

 

 

1位のマッケイ・クリステンセン外野手が

メジャー通算4シーズンで出場100試合未満、

 

 

6位のジェイソン・ディクソン投手が、2年連続二桁勝利、オールスター1回という実績ながら故障で4シーズンの活躍に終わり、

 

最も活躍したのが17位指名で8シーズンプレーし、

 

 

2005年にはベイスターズでも活躍したマイク・ホルツ投手

くらいという不作の年と言えたと思います。

 

その他のチームで指名された選手でいうと、ノマー・ガルシアパーラ、ジェイソン・バリテックあたりが、スターとして活躍。

ファイア選手より下位指名で大成した選手としては、19シーズン活躍のオールスター選手、A・J・ピアジンスキー捕手、現在ヤンキースの監督で球界のサラブレッド、アーロン・ブーン内野手、盗塁王スコット・ポッセドニック外野手、12年連続2けた勝利のハビアー・バスケス投手あたりでしょうか。

 

意外と日本でプレーした選手は多く、ニトコースキー、ボカチカ、ブキャナン、ラス、ムーア、ベバリン、パウエル、デイビー、ブロウワー、マウンス、ラロッカ、スタニファーなどなど凄い顔ぶれでした。

 

 

さて、話をポール・ファイア選手に戻しましょう。

 

野球界では苦しみましたが、再びフットボール界に戻るため大学でプレーする道を選びます。

 

98年インディアナ大学ペンシルバニア校に入り、カレッジフットボールに再挑戦し、クォーターバックとしてシーズン10勝2敗の好成績を残してチームをプレーオフに導きました。

 

その好成績から卒業後、99年にはアリーナフットボールリーグのニュージャージー・レッドドッグスに入団。

 

そして2000年には念願のNFLチーム、カロライナ・パンサーズと契約に至ります。

しかしながら、チームのロースターには残れずプレー機会なくリリースされました。

 

 

MLBもNFLも夢破れた二刀流のまま終わらないのが凄いところで、、、

 

 

2001年には当時プロレス団体のWWF(現WWE)が作った新アメフトリーグ・XFLのシカゴ・エンフォーサーズのドラフトに指名されるというチャンスが訪れます。

 

そこで先発クォーターバックの座を争ったのが、ノートルダム大学時代のレギュラークォーターバックで、カナディアン・フットボールリーグやアリーナ・フットボールリーグを渡り歩いてきたケビン・マクドゥーガルという因縁。

 

ここでロースターに残れず、キャリアを終えることになりました。

 

結局1年で終了した幻のようなフットボールリーグでしたが、2つのスポーツの二刀流キャリアとしては、成績だけでないドラマを持つ特殊な選手として歴史に残れたのではないでしょうか。

 

野球カードから知るマニアック二刀流選手の紹介でした。

 

| 二刀流 | 22:03 | comments(0) | trackbacks(0) | ↑TOP -
二刀流 その11

 

久し振りの二刀流紹介です。

 

今回はアメフトと野球の二刀流。

 

ハイズマントロフィー受賞経験あるランニングバックとしてNFLでプレーしたリッキー・ウィリアムス選手です。

 

95年フィリーズのドラフト8巡目で強打の内野手として指名されプロ入り。

プロでは外野手としてプレーすることになりました。

 

同時に奨学金を経てテキサス大でフットボールをプレーするかたわらマイナー・リーグでプレーしたということで、マイナーリーグとカレッジフットボールで二刀流選手となります。

 

野球の4年での通算成績は、打率.211、4本塁打、40打点、46盗塁ということでスピードが武器だったと言えます。

一緒にプレーした経験のある後のオールスター選手ジミー・ロリンズも今まで見たことのないスピードのある選手と評したとか。

 

 

 

 

大学で最高のフットボール選手に与えられるハイズマン賞を獲得し、99年にはドラフトでニューオリンズ・セインツから1巡目指名を受けNFL入り。

 

背番号34番、ランニングバック、外野手ということでボー・ジャクソンの再来を期待する声も大きかったですが、大学の4年間で野球のキャリアを終えました。その後もルール5ドラフトでエクスポズに指名されたり、レンジャースにトレードされるなんて話題が出ますが、野球をプレーすることなくフットボールに専念することになりました。

 

その選択はすぐに結果として現れ、02年にはマイアミに移籍して、NFLのラッシングヤードリーダー、プロボウル(オールスター)選手になりフットボールのトッププレーヤーの仲間入りをしました。

 

しかし、マリファナ使用のペナルティや引退騒動など、フィールド外の話題が多く、NFL以外でのプレーを余儀なくされたり、キャリアの全盛に大活躍できなかったイメージがあるものの、32歳になって再びスターターのチャンスをもらうと6年ぶりの1000ヤード獲得で見事なカムバックを果たし、晩年には通算10,000ヤード獲得と歴史に残る選手になりました。

 

野球選手としては、記録は残せなかったものの、何年かにひとり現れるエキサイティングな二刀流選手として、記憶に残る選手にはなれたかと思います。

 

 

 

 

| 二刀流 | 21:29 | comments(0) | trackbacks(0) | ↑TOP -
二刀流 その10

 

本日紹介する二刀流選手は、投手と打者の両方でメジャーリーグでのプレーができるかという期待をされた選手。

 

まさに今、大谷投手が注目されているのと同じ状況下にいた25年ほど前の選手の話です。

 

今回の主役は、画像のクリス・ロバーツ選手です。

 

89年ワールド・ジュニア・チャンピオンシップでアメリカ代表チームの外野手として2本塁打6打点活躍でチームの金メダル獲得に貢献。同年にはフィリーズからドラフト2巡目に指名されるも大学へ進学します。

 

91年には国際大会パン・アメリカン・ゲームで外野手として4本塁打でキューバのキンデラン、グリエル父らと大会トップの成績をあげて大会ベストナインに選ばれると、大学では投手としての才能も発揮、フロリダ州立大で3年時には6完投で8勝4敗、防御率2.34、100イニングを投げて84奪三振という活躍をしながら外野手兼一塁手として打率.300、12本塁打59打点14盗塁とまさに二刀流の大活躍をしていました。

 

そして92年にメッツのドラフト1巡目指名を受けます。当時はバルセロナ五輪の代表チームはアマチュアで構成されていたため、この年にドラフト上位指名を受けた大学生が中心の代表チームがプレー、ロバーツは投手として3試合リリーフとして登板。

 

そう、メッツはコントロールの良さから投手として注目。結局投手としてプロの道で生きていくことになります。

 

 

スピードは平均レベルながらカーブとチェンジアップが効果的で、ブルージェイズやヤンキースで活躍したジミー・キー投手のような投手だというスカウティングの通り、93年、94年とマイナーで二ケタ勝利を挙げて順調にレベルを上げていくも、故障もあり95年頃から調子を落としメッツのトッププロスペクトの評価も薄れていきます。

96年にはベネズエラのウインターリーグでノーヒッターを記録したり、決して投手の能力も低くなかったものの、アスレチックス、ロッキーズ、ブリュワーズのマイナーや独立リーグを転々として、最高は3Aレベルでメジャーリーグの舞台に立つことはできませんでした。

 

結局は、アマの強打者として鳴らした腕前を披露できず、プロ入りから投手の道を選択しましたが投手として打席に立った機会の中では3本の本塁打を放つなど、打撃の腕もまずまずでマイナーでも少しだけ打者で登場したこともありましたが、もう少し早く打者としての挑戦もしてみても面白い選手だったかもしれません。しかし引退後はアマユアの指導者として大学やアカデミーで投手コーチを務めるなど投手の魅力を大きく感じていたのかもしれませんね。

 

さて、、、ここまでロバーツ選手を紹介して、あの選手じゃ?と思ったかた。。

 

そうなんです。マイナーでプレーした際

 

 

同じ釜の飯を食ったのが、、、、

 

 

 

 

 

ジェフ・バリー外野手で、彼の紹介でテストを受けて入団。

 

 

 

 

彼は2000年に千葉ロッテでプレーした経験を持ちます。

 

先発リリーフをこなすいわゆるスウィングマンとして活躍、3勝5敗とまずまずの結果を残すもバリーと同じく1年限りでリリースされています。

 

派手でなく長くもないながら日本にもゆかりあるユニークなキャリアの二刀流選手の紹介でした。

 

 

 

 

| 二刀流 | 14:27 | comments(0) | trackbacks(0) | ↑TOP -
二刀流 その9

 

本日紹介するのは、野球とフットボールの二刀流です。

 

画像は、T−バックことテレル・バックリー外野手。

 

92年アトランタ・ブレーブスのドラフト38巡目指名を受けてプロ入りし、93年に傘下のメイコン・ブレーブスで1シーズンだけプレーしました。

 

 

というのもフロリダ州立大でコーナーバックやキックオフリターナーとして大学フットボール界のスター選手で、この時はすでにNFLグリーンベイ・パッカーズの選手でした(画像はドルフィンズ時代)。

 

91年に大学フットボール界の最高ディフェンス選手に贈られるジム・ソープ賞を受賞。

 

フロリダ州立大、コーナーバック、ジム・ソープ賞、

外野手、ブレーブス

 

このキャリアの特徴でピンと来た人。。。

 

 

大学の先輩で、同じポジションで88年にジム・ソープ賞受賞、外野手でブレーブス。

 

なんなら

 

 

ユニフォームの着こなしまでディオン・サンダースとよく似てます。

 

まぁ、後輩なんで憧れなんかもあるかもしれませんね。

 

ちなみにバックリーを指名した92年のブレーブスは44巡目指名で

 

 

93年にNFLドラフトでバックリーのグリーンベイ・パッカーズに5巡目指名を受けてフットボール界入りして

のちにジャクソンビル・ジャガーズに移籍してプロボウル(オールスター)選手になったQBマーク・ブルネルを指名していたというフットボール界に目を向けていたチームでもあります。

 

さて、話をバックリーに戻しますが、

 

 

メイコン・ブレーブスでの成績は42試合の出場で打率.196と貧打にあえぎ、1シーズンでリリース。

盗塁9個を記録したくらいがサンダースと同じくスピードを売りにしたイメージですが、6回も失敗していることなど野球選手としては、大成が難しかった様子です。

 

94年には独立リーグで28試合出場し22盗塁を決めるなど野球への意欲はありましたが、ここでも打率.202に終わり、メジャーを目指すには難しい選手でした。ここでプロ野球唯一となる本塁打を1本記録したのがハイライトでしょうか。

 

しかし、バックリー選手はNFLでは、非常に渋い働きを見せて92年から05年まで14シーズンのキャリアを計6チームを渡り歩いて過ごし、13年連続で記録したパスインターセプトは通算50を超えるという名コーナーバックとして活躍しました。

 

01年のペイトリオッツ所属時にはスーパーボウルも1度制覇した経験を持ちます。

 

通算50以上のインターセプトを記録し、プロボウルに選出されていない史上唯一の選手というところが先輩ディオン・サンダースと同じようなキャリアを築きながら対照的な選手でした。引退したのは同じ05年ということでサンダースが9回プロボウルに選ばれたことも考えるとサンダースの影に隠れた名選手ということだったことも否定できません。

 

ちなみにパッカーズの本拠地でタッチダウンを記録するとそのままエンドゾーンから2メーター近いフェンスを駆け上がり客席に飛び込み、ファンにもみくちゃにされながら得点を祝うタッチダウンセレブレーションのランボー・リープという名物があるんですが、一説では最初の考案者が、このバックリーであるとの説もあります。

 

彼がルーキー時代に1度しか記録していないパッカーズでのタッチダウンとその後のこの儀式の流行までの時差的には信じがたい気もしますが、これだけ目立つ要素を持ちながらNFLでも決して大きく目立たないバックリーの存在感がその説の信憑性を高めてくれているのは間違いないところです。

 

ということで今回は知られざる二刀流選手の紹介でした。

 

ふとBGMに河島栄五さんの『時代おくれ』を聴きたくなりました。

 

 

 

| 二刀流 | 10:56 | comments(0) | trackbacks(0) | ↑TOP -
二刀流 その8

 

本日紹介するのは、野球とフットボールの二刀流です。

 

画像は、D・J・ドージャー外野手です。

 

83年にデトロイト・タイガースのドラフト18巡目を受けましたが、契約せず大学に進学し、フットボールをプレー。

 

 

87年ミネソタ・バイキングスのドラフト1巡目指名を受けてフットボール選手としてプロキャリアを始めます。

 

87年〜92年バイキングスとデトロイト・ライオンズで計5シーズンプレー。

 

ランニングバックとして通算691ヤードを稼ぎ、NFLでもしっかり活躍。

 

90年にアマチュアFAとしてメッツと外野手として契約。

 

83年のジョン・エルウェイ、86年のボー・ジャクソン、89年のディオン・サンダースとNFLのドラフト1巡目を受けながら野球に挑戦したキャリアで注目を集めます。

 

90年のマイナーでは1A+と2A合わせてシーズン15本塁打80打点36盗塁をマークし、ベースボールアメリカ誌が選ぶトッププロスペクト100の44位に選ばれ翌92年同99位にランクされるとついに5月に26歳でメジャーデビュー。

 

 

しかし、外野転向が本格化したハワード・ジョンソン、FA加入のボビー・ボニーヤ、前年7年連続盗塁王としてFA加入したビンス・コールマンというオールスターメンバーに割って入ることができず、25試合で打率.191、0本塁打2打点4盗塁と実力を発揮できず、

オフには後に西武でプレーすることになるトニー・フェルナンデス内野手とのトレードでパドレスに移籍しました。

 

結局93年にパドレスとカージナルスの3Aで1年プレーするも満足な活躍はできず、メジャーに戻ることなくキャリアを終えました。

 

カージナルスの3Aルイビルでは、同じ二刀流のブライアン・ジョーダン外野手とすれ違うように所属。

 

ボー・ジャクソンの成功から二刀流が最も盛んだった時期の知る人ぞ知る選手の紹介でした。

 

 

| 二刀流 | 18:32 | comments(0) | trackbacks(0) | ↑TOP -
二刀流 その7

 

本日紹介の二刀流は、二刀流史上最も野球で成功した選手といっていいでしょう。

 

カージナルス、ブレーブス、ドジャース、レンジャーズなどで15シーズンもMLBで活躍したブライン・ジョーダン外野手です。

 

この名前でこの画像を見ると、バスケとの二刀流かと思いきや。。。

 

 

89年〜91年まで3シーズン、アトランタ・ファルコンズのセーフティーとして活躍しました。

 

85年にはインディアンズのドラフト20巡目で指名されるもプロ入りせず、88年にカージナルスの1巡目指名でプロ入り。

92年にMLBでデビューし、15シーズンもプレーし続けました。

 

マイナーリーガーの間にNFLでプレーしました。

アトランタ・ファルコンズということで、二刀流史上フットボールで最も成功したといっていいディオン・サンダースとNFLでチームメイトだったという縁があります。

 

フットボールでは3シーズン、タッチダウンなしとはいえ、最後の2シーズンはシーズン15試合の先発出場でロースターにいるだけという選手ではなかったところも野球に専念しなくても何シーズンかはプレーできただろうという存在でした。

 

野球は、20本塁打以上のシーズン4回、20盗塁以上のシーズン2回、100打点以上のシーズン2回、打率3割以上のシーズン3回、通算打率.282とバランスのいいプレーを見せるとともに125試合以上出場が7シーズンとケガの少ない選手として活躍しました。

 

99年にはオールスターにも出場。ワールドシリーズ制覇はないものの、カージナルス、ブレーブスなどで5シーズン、38試合に出場したプレイオフでも通算6本塁打27打点と勝負強さを持った名選手でした。

 

フットボール、野球の両方でアトランタに在籍したことからホームランの後にファルコンズのタッチダウンセレブレーションのダーティーバードダンスをしながらホームインするといった魅せる技も持った一面もあり、出身はオリオールズのあるメリーランド州ながら第2の故郷ともいえるジョージア州アトランタでテレビ解説の仕事など今も人気の元メジャーリーガーです。

 

いよいよフットボールシーズンも始まったということで、MLBとNFLの二刀流紹介でした。

 

 

 

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