ベースボールカードのススメ その123

 

本日もファミリーネタです。

 

いつも紹介する選手が古くないか?と思われるかもしれませんが、90年代にメジャーを見始めただけにこの頃の選手がついつい取り上げたくなるんですよ。

 

さ、今回は最近です。

現役選手ですよ。マイナーリーガーですが。。。

 

本日は、ダービー・マイヤーズ外野手です。

 

2006年フィリーズのドラフト4巡目指名でプロ入り。

 

同期のドラフト1巡目組は、ロンゴリア、カーショー、リンスカム、アンドリュー・ミラー、チェンバレンなどすでにメジャーで大活躍し、中心選手やベテラン選手として活躍、あるいはすでに引退し始めた選手までいるという中、マイナーで実に12シーズンプレーし、まだメジャー昇格はありません。

 

ちなみにこの年の1巡目には、カープのジョンソン、オリックスのマレーロ、元ライオンズのレイノルズという選手たちの名前も。。。

 

ベースボールカードの情報によると13歳にしてアストロズの本拠地、ミニッツ・メイド・パークで柵越えを打ったという神童ぶりだそうです。ただ、、試合なのか練習なのか、金属バットなんだろうかといった情報は不明です。

 

 

しかしプロのキャリアでは12シーズンで二桁本塁打なし。と長打力が売りという選手ではない模様。

 

7シーズンをフィリーズ傘下でプレーするも13年にアスレチックス傘下へ移籍し、2Aミッドランドでシーズン最多の33試合連続安打を記録し、注目されます。14年もミッドランドでプレー。当時のチームメイトといえば。。。

 

 

そう、現オリックスの中島選手です。

 

結局メジャー昇格ならずで15年にエンジェルス傘下に移籍し、何とか3Aまで昇格するもリリース。

 

16年、17年は独立リーグでプレーするというキャリア的には現役ながら崖っぷち付近です。

 

しかし、まだ28歳、今年は独立リーグとはいえキャリア最高の打率.337、31盗塁という成績をマークし、オールスターにも選出されたということでいつかのメジャー昇格があるかもしれません。

 

独立リーグも経験した苦労人、マイヤーズ。なんて日が来るかも。。。

 

知る人ぞ知るマイナーリーガー、マイヤーズ選手の前置き紹介が長くなりましたが、彼のファミリーネタはいとこが超ビッグネームなんです。

 

それが、この人。

 

 

NBA史上最高のセンターと言っても過言ではない、シャックこと

 

シャキール・オニール選手なんです。

 

彼については説明の必要もないですね。

 

その経歴は、書ききれないほど多いので割愛します。

 

ちなみに前回ファミリーネタで出したレジー・ミラーとオリンピック・アメリカ代表のドリームチーム2の中心選手つながりだったということで1回で紹介するつもりが、長くなったので2回に分かれたというネタでした。

 

 

 

 

 

 

 

| ファミリー | 23:30 | comments(0) | trackbacks(0) | ↑TOP -
ベースボールカードのススメ その115

 

お得意のファミリー紹介。

 

今回は話題の助っ人クリス・マレーロ選手です。

 

今季シーズン途中にオリックスに加入し、来日初アーチを放ったものの、ホームべース踏み忘れでアウト。

記録は三塁打となった珍プレーでいきなり話題になった選手です。

 

翌日に今度はしっかり本塁打を打ちなおす当たりもってますね。。

 

88年生まれのクリスは06年ナショナルズの1巡目指名を受けてプロ入り。

同期の1巡目選手には、ロンゴリア、ミラー、カーショー、リンスカム、シャーザー、カープのジョンソンなど錚々たる顔ぶれです。

 

マイナーのほとんどのシーズンで二ケタ本塁打を記録する長打力が魅力で、11年にはメジャーデビューします。

翌年のシーズン定着を目指してドミニカ・ウインターリーグに参加も故障して翌年のスタートが遅れ、マイナー暮らしが続きます。

 

以降オフにドミニカ、メキシコ、ベネズエラなどでプレーし、いろんなチームのマイナーでプレーし、メジャー復帰を目指します。

一時は独立リーグでプレーしていたが、いとこが在籍するレッドソックスのマイナーで昨年プレーし、好成績を残して今季はジャイアンツと契約。13年以来のメジャーでのプレーを経験し、メジャー初本塁打もマーク。

 

同じシーズンにメジャー初本塁打とNPB初本塁打を達成する珍記録を持つことになりました。

 

そんなクリスには

 

 

クリスチャン・マレーロという2歳上のマイナーリーガーの兄がいます。

 

05年ホワイトソックスの22巡目という低い指名順ながらマイナー11年で1100試合以上プレー。

 

アベレージヒッターながら一塁兼外野というところで長打力が弟ほどないのが昇格できないところかもしれません。

弟同様ウインターリーグに参加するなど経験値は高く、今季はメキシカンリーグでプレーしてます。

 

 

もともとこのマレーロ兄弟を取り上げようとネタを準備していたのは、ふたりの叔父さんに当たる元メジャーリーガーが有名であったことでした。

 

 

カージナルスの正捕手といえば、モリーナ、その前がマシーニ監督、その前に努めたのがマレーロ兄弟の叔父さんイーライ・マレーロ選手だったのです。

 

キューバ出身の選手ということで以前紹介したので細かいキャリアの紹介は割愛しますが、ロッキーズ時代に松井稼頭央選手とのトレード相手だったということで稼頭央選手のワールドシリーズ進出に影ながら貢献したという日本に無理やりのご縁を紹介。

 

更に現在、彼の息子も学生でアメリカ代表に招集される捕手になってます。

 

 

イライア(と発音するのかな?)選手です。

15年にレッズの29巡目ドラフトを受けるも入団せずミシシッピ州立大でプレーしてます。

子供の頃ブッシュスタジアムで打撃練習をして遊んでいたなど、いずれメジャーの世界に来る日も近い気がしますね。

 

そしてイーライのもう一人の甥っ子で、クリスとクリスチャンのいとこにあたるのが、

 

 

現在レッドソックスで故障のペドロイアに変わりプレーしている

デベン・マレーロ内野手です。

 

クリスの2歳下の90年生まれで、09年レッズの17巡目指名を受けずに大学球界の名門アリゾナ州立大でプレーし、

1年時からから活躍。大学のアメリカ代表にも選ばれています。

 

 

マレーロ家の血筋か強肩で守備がうまく、大学球界1の名遊撃手として鳴らしました。

同じころの代表には、マイケル・ワカ、ケビン・ガウスマン、マーカス・ストローマンなど、すでにメジャーで活躍している投手もズラリと並びます。

 

走塁とコンスタントな打撃も向上をみせ、12年ついにレッドソックスからドラフト1巡目の指名を受けてプロ入りしました。

野手としては92年のスコット・ハッテバーグ以来となるドラフト指名後最初のキャンプでメジャーキャンプに参加したことなどからかなりの有望株という評価でした。

 

まだメジャーで活躍できる攻撃力があるかを判断するには早いかもしれませんが、守備力でチャンスを掴み経験値から打力向上があるとチームの中心になれるかもしれないですね。

 

マイナーの指導者(イーライ)

大学球界のプレー(イライア)

NPBでのプレー(クリス)

メキシカンリーグでのプレー(クリスチャン)

MLBでのプレー(デベン)

 

各リーグで活躍が観れるチャンスありの楽しみなマレーロ一家でした。

 

 

 

 

 

 

| ファミリー | 22:56 | comments(0) | trackbacks(0) | ↑TOP -
球界席巻 キューバ その1
 日本では、グリエル、セペダ、アブレイユ、ミランダ、カニサレス、アンダーソンと多くの選手がプレー、アメリカでは、アブレウ、セスペデス、チャップマン、プイーグなどが大活躍。

近年爆発的な活躍を見せるキューバの選手たちが海外でのプレー解禁と言うことですが、いまだアメリカでは亡命しないとプレーできない状況です。

ただ、その亡命が続いた事実が少しずつ、海外でのプレーの容認につながったのかもしれません。
90年代あたりからそんな歴史の礎をつくってきたパイオニア的メジャーリーガーたちから最近のプレーヤーを何度かにわけて紹介したいと思います。

では、90年代あたりから、、



まずは、93年からカージナルスでプレーし、数年のキャリアながらインパクトを残した選手。レネ・アローチャ投手です。高校では野球とバスケで活躍したキューバきってのアスリートは、91年に亡命カージナルスと契約すると92年はマイナーで12勝を挙げ最多勝、防御率や奪三振はリーグ3位とはやくも93年にはメジャー昇格。93年は11勝8敗、94年途中からは抑えに転向し11セーブをマークし、投手陣の主力となってましたが、ストライキと故障が響き、短命のキャリアに終わりました。




この当時のキューバ選手は、破壊力のある打者よりも国際大会で活躍する投手に注目が集まる傾向があったようです。そんな代表格のひとりとなったのがアリエル・プリエト投手。

シンキングファストボールとシャープなスライダーを武器に90年から94年キューバで合計76勝、国際大会では11勝0敗の勝負強さ、90年には1試合20奪三振も記録した圧倒的な実力を備えていました。亡命阻止の目をかいくぐる無気力プレーなどで国内の評価を敢えて落とすという技も使い、契約後わずか48日後にデビューする期待の投手でしたが、シーズン二桁の勝利は挙げることが出来ず、6シーズンの短いキャリアで終了。近年ではマイナーコーチでアスレチックスに復帰、いまではキューバ出身のセスペデスの通訳を務めるなど、後輩の活躍をサポートしてます。

そんな中、キューバの大物として対岸のジャイアンツに入団したのがこの人、



オズワルド・フェルナンデス投手です。
92年オリンピックの金メダリスト、ドミニカとアメリカから点を許すことなく2勝し、その間わずか3安打2四球でランナーを背負ったのみという圧倒的な活躍、国際試合22試合負けなし、などという実績をひっさげて96年にデビュー、いきなり初先発で勝利投手になるもシーズン6連敗などを経験したりと不安定なシーズンでした。とはいえ、2完投を記録するなど、得意のシンカーがはまった時の実力は本物でした。しかし、シーズン30試合を越える先発としての仕事は、コンディションの調整面などでアマ球界最高の投手を苦しめたのかその後肘の故障などもあり全休シーズンを2シーズン過ごし、2000年にレッズで復帰し、時に素晴らしい投球を見せましたが、わずか4シーズンのメジャーキャリアとなりました。その後はメキシコなどでもプレーをし05年を最後に引退。

キューバ投手がヘルシーなコンディションで最も試合数の多いプロリーグで安定したプレーをするのは難しいという見方もありそうですね。そんなときに野手も少しずつ活躍し始めます。

まずはジーターと同時期にニューヨークに登場したこの人。



RAY−O(レイ・オー)こと、レイ・オルドニェス遊撃手です。
93年に亡命し、メッツと契約、95−96のウィンターリーグでリーグ2位の打率.351で注目度も高まり、96年にデビュー、開幕戦でレフトライン際からのバックホーム返球に中継で入り、難しい送球を膝をついたままホームに中継するスローイングでホームをアウトにすると当時対戦相手のカージナルスにいた殿堂入りショート、オジー・スミスが自分もあれはセーフになると思った。彼は自分の再来といった賛辞を送りました。打撃力はメジャーレベルでは少し弱かったものの、そのアクロバティックな守備が相手の安打を減らすと好評価を受けました。珍しい背番号0のショートという外見も人気を獲得する要素のひとつだったのかもしれませんが、キャリアを重ね10番に変更というあたり、キューバ最高野手の象徴的番号に変えたのかなと思ってしまいました。

ロッテでも指揮をとったバレンタイン監督は、彼はグレートなショートと言うだけでなく、進化していると言うようにアクロバティックなプレーだけでなく年々エラーの数を減らし、97年から99年までゴールドグラブに輝きました。遊撃手として101試合ノーエラーの記録も作りましたが、まさかの日本初のメジャー開幕戦東京ドームでその記録が途絶えるエラーを記録するなど、当時はマニアックなハイライトとなっていました。ジーター、A−ロッド、ガルシアパーラという大型で攻撃力も優れた遊撃手がビッグ3と呼ばれる中、その頭文字のOを持つ守備が優秀な遊撃手のオジー・スミス、オマー・ビスケイルとともに3Oなどと呼ばれることも。伝説の遊撃手、リプケン、ビスケイルとコンビを組んだ後の殿堂入りの二塁手、ロベルト・アロマーがメッツ入りの直前にチームを放出された際はファンの落胆の声が挙がるほどメッツの歴史に残る名手でした。最後はレイズにて打率.316、22打点と打者としてA−ロッドに次ぐ打率2位という状態から膝を故障し、キャリアを終えてしまったのが残念でした。

野手のポテンシャルはこの頃から要注目。そこで続いたのはこの人、



カージナルスで活躍したイライ・マレーロ捕手。
97年デビューですが、93年にドラフトにかかってのマイナーからのたたき上げの選手なんです。というのもマイアミの高校に通っていたということで、キューバリーグでのプレー経験のない選手。
デビュー戦で2安打や翌年メジャーで迎えた開幕では3塁打とホームランを打つなど、強烈な印象を与える打力と盗塁阻止する強力な肩の強さが売りの選手、甲状腺の癌や捕手らしい親指の靭帯を痛めての長期欠場など、不運な欠場もありましたが10シーズンをメジャーでプレー。外野やファーストもプレーし、1試合で捕手で盗塁阻止、外野で補殺を記録すると言う珍記録もマーク。晩年はユーティリティや対左投手の長打力期待の打力で打率3割や二桁本塁打するなどチームにいると心強い選手でした。現在はレッズでマイナーの監督を務めるなど球界に貢献。またナショナルズでプレーし、現在オリオールズのマイナーに所属するクリス・マレーロ内野手は、甥っ子にあたります。

最後は、短命ながら歴史に名を刻んだ投手



デビルレイズで活躍したローランド・アローホ投手です。
オズワルド・フェルナンデスと同じにバルセロナ五輪の金メダル獲得に貢献、96年に亡命し98年に誕生する新球団タンパベイ・デビルレイズの看板選手の一人としてキャリアをスタート、チーム史上初の勝利投手を含む、シーズン14勝をマークし、オールスター戦にも選出されました。その後ロッキーズという高地でのプレーに苦労し、1年持たずにレッドソックスに放出されるも蘇ったような活躍を見せ期待されました。しかし、コンディション調整の悪さの問題などもあり彼も短命のキャリアで終わってしまいます。結果的に5シーズンながら通算40勝と言う数字はまずまずですが、もう少し金メダルチームの主力と言ったプレーをみたかった選手でした。


やはり常夏で広さも限られたキューバ国内から広大なアメリカで寒暖の差もある環境、アマの世界からトッププロで成績を残し続けるコンディションづくりと大きな契約によるハングリー精神を力の元とする士気の持続ができるかというのはキューバ人選手活躍のカギとなりそうな感じですね。

現在日本で活躍するキューバ選手もアップの短さや試合後のケアについて、食事になじむかどうかなどという報道を見るにつけ、亡命というような流出がなければ、これからの海外移籍でキューバの野球がさらに母国にいいものを持ち帰り、強くなっていく可能性があるかもしれないですね。

| ひと | 20:32 | comments(0) | trackbacks(0) | ↑TOP -
CALENDAR
S M T W T F S
   1234
567891011
12131415161718
19202122232425
2627282930  
<< November 2017 >>
SPONSORED LINKS
RECOMMEND
RECOMMEND
RECOMMEND
RECOMMEND
RECOMMEND
RECOMMEND
SELECTED ENTRIES
CATEGORIES
ARCHIVES
RECENT COMMENT
RECENT TRACKBACK
モバイル
qrcode
LINKS
PROFILE